迷子のブレア
──ここはどこだろう?
暗い、場所だった。光の一切無い真っ暗な、平衡感覚すら失ってしまうような。いやさ身体の感覚、一切を感じ取れないような闇の世界。
不意に世界が色づく。目の前には艶やかな木々が生い茂り、険しくも雄大な山が目に映る。
あぁ、これは
凡そ人が入ることなど出来ない激流が流れていた。僕は激流に身体半分以上を沈めていた。
そんな状態でありながら、上流から幾つもの丸太が流れてくる。
「
僕は全力で長杖を振るった。
手足の隅々まで行き渡った
流れてきた丸太を全て砕いて見せると、川上で見ていた師父らが感心の声をあげた。
「ほう……」
「これでまだ十に満たぬとは」
「うむ、末恐ろしい才能よの」
彼らは蓮天道の教徒の中で、僕を一番に目をかけていた。
愛情を感じたことはないが、期待には応えたかった。彼らもまた、それを望んでいたからだ。
──あぁ、これは走馬灯なんだ、と。ブレアは唐突に理解した。
その事実を不思議と冷静に受け止められた。
(僕、死んじゃうんだ)
死ぬことに恐怖は無かった。
だが、辛い修行の日々が無駄になったこと。師父の期待に答えられなかったこと。……一言謝りたかったこと。後悔と未練がブレアの胸中に浮かんだ。
(……ちょっとだけ足掻いてみようかな)
ある人の顔が浮かんで、ブレアは生きる気力を取り戻した。
なれど身体は指先一つ動かず、意識だけがあるような状態だ。
出来ることは限られており、不明な意識で、曖昧な感覚で。出来ているかも分からないが
普段感じる丹田の熱が感じ取れず不安を覚えるも、ブレアは薄い呼吸を整えるのに意識を集中し、ゆっくりと息を吸ってゆっくりと息を吐く動作を、……繰り返しているつもりだ。
マイコニドの麻痺毒はブレアの感覚をこれでもかと奪っていた。
だがブレアはゆっくりゆっくり、呼吸を繰り返す。
──修行の感覚に似ていると思った。
外部との情報を断ち、世界から自己を切り離し、内へ内へ──。
次第世界と自分との境界が曖昧になり、世界が自分そのものになってしまったような、錯覚。
(……?)
ふいに
ほんの些細な、些細な違和感だ。
意識は既に内へ閉じ、肉体も麻痺毒で動きやしないのに何か、そうだ。温かい何かが自分へ触れているのが分かった。
「──! ──っ、──っ‼」
触角の次は聴覚が違和を捉えた。
音ならぬ音が耳朶を震わし、脳はそれを単なる
だが、ブレアの意識はそれが誰かの声なのだと理解していた。
誰だろうか? その正体が喉元まで出かけているのだが、死にかけの脳は正解を導き出せずにいた。
気持ちが悪い。一切の情報を排し内へと世界を拡げようとしている今、切って捨てるべき熱を、音を、魂の一部が大事なのだと叫んでいる。
そうして、突然だ。唐突に前触れなく突如として──。
唇に灼熱が触れた。
(──へ?)
熱い、熱い、熱い!
魂それら全て薪にしても、尚足りぬと思ってしまうような灼熱である。
だが、痛みはない。恐怖も、不快も。ただ喜びにも似た安堵を覚えた。
そうして唇から何かが流し込まれる。
麻痺した肉体で拒絶することなぞ出来ずにトクトクと臓腑に流し込まれる。
──
清涼とは程遠い生ぬるい空気を吸い込み、弱々しいながらも脈打つ心臓が全身へと送る血によって体温を取り戻し、
そう。この瞬間に僕は、今一度世界に生まれ落ちたのだ。
意識と共に身体の自由も徐々に取り戻す。
微かながら指先が意思を反映し、肌に触れる灼熱も別の誰かさんの体温なのだと、朧気ながら理解出来る程度には。
そうして現況を確かめようと、僕は全力で瞼に力を入れる。ただ目を開くためだけに、今の僕はそれほどの労力を要したのだ。
そして、生まれ直して初めて見た光景に、動き直した僕の心臓はまた止まってしまうかと思った。
視界一杯に男の人の顔が映った。
それは僕が謝りたかった──一番見たかった人の顔だ。
(アズさん⁉)
こひゅと、喉から不自然な呼気が漏れ、僕は涙目になるほどに
全く以て無様である。最年少で
それもよりにもよって、一番見られたくない人に見られているのだ。恥である。穴があったら入りたい。
だけど、そんな僕を見てあの人は──。
「よかったブレア! 生きていて……」
心の底からの安堵を見せて。何故だか目の奥がツンとした。
いやそれよりも──。
(う、うわぁ~~~⁉ な、なんだこれなんだこれっ⁉)
今まで練ったどんな
鼻先が触れそうなほどに近いアズの顔を正面から見るのも恥ずかしいったらないのに、痺れの抜けぬ身体では目も逸らせず、真正面から視線を受け止める羽目になった。
「ぁ、ぅぅ……」
「どうした? どこか痛むのか?」
──離れてください!
そう言おうとしたのに唇はうめき声しか出ない。
アズは離れるどころか、ブレアの願いとは逆に瞳を覗き込むように近付いてくるではないか。
(うわ、うわわあわあわ──⁉)
そしてブレアは気付いてしまった。
意識を取り戻した時に何故アズの顔があんなに近くにあったのか。胃の腑に流し込まれたものの正体。
唇に触れた灼熱、それはアズの──。
「はふぅ」
「ブレア⁉ おい、ブレアっ⁉」
ブレアは意識を手放した。
元々連戦に次ぐ連戦で体力が減っていたのだ。そこに麻痺毒を喰らい呼吸法で生命維持に努めていたところに、トドメとばかりにアズの口吻である。
小さな彼の脳が処理が追っつかず降参するのも仕方ない。
アズはと云えば、何故かまたも気を失ってしまったブレアに焦りを抱き必死で呼びかける他なかった。
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