愛は人を強くする

「アズ‼」

 私の叫びが虚しく練兵場に木霊した。

 彼は『硬化ハードポイント』のおかげで致命傷こそ負っていないものの、全身擦過傷すりきずだらけだった。大分血を失っているようで顔色が悪い。

 このままでは失血死か魔力が尽きるのが先か、はたまた集中を切らして魔法を途切れさせてしまうか。いずれにせよ、アズの敗北は明らかであった。

 ──いっそ乱入してしまおうか。

 何度その考えがぎったことか。

 乱入してサドスを倒すことは難しいことではない。だが、そうなれば確実に神罰が下るだろう。

 以前、神前決闘の誓い破った大富豪がいたが、その後の富豪は一夜にして商会が潰れ一族に不治の奇病が逸り、かつて国一番の富を持っていたその男は最期、何処ぞとも知れぬあばら家で半世紀の闘病の末、一族に恨まれながら亡くなったとか。

 私は無意識に剣の柄へ添えられていた手を離した。

 本人に累が及ぶだけならば、私は迷わず乱入していたろう。その場合は貴族として騎士として、永遠に回復できぬ不名誉も与えられるだろうが。

「そんな奴に負けるな! アズ!」

 結局私は、自己満足に過ぎない声援を送ることしか出来ない。

 無力な己を呪いながら、私は声が張り裂けんばかりに叫んだ。



「ハァ、ハァ……! いい加減にくたばれよな……‼」

「ぐっ⁉」

 サドスは苛立ちと共に、半ばから折れた剣を振るう。

 ガリと、人の肉を斬った音ではない。巨大な岩塊に剣を叩きつけたような、そんな感触と音が帰ってきてアズの肌を傷付けた。

 周囲の人間が思っているほど、一方的な勝負ではなかった。

 確かに、攻撃をしているのはサドスだ。アズは最初の一撃以降、ずっと棒立ちに等しい。傷を負っているのはアズだけだし、失血による死を控えているのもアズだ。だが──。

(こいつ、全然集中力が途切れねぇ⁉)

 棒立ちで剣を受け続けるアズの目は死んでいなかった。

 為す術が無いというのに、勝負を諦めている様子はない。

 その事実がサドスの神経を逆撫で──また恐怖を与えていた。

「っ! クソ平民ゴミがあぁぁぁぁっ‼」

 認め難い感情を斬り捨てるようにサドスは狂ったように剣を振るう。

 新たに付けられた傷が、只でさえ少なくなっていった血を奪ってゆく。

(どうする……⁉)

 そしてアズも内心焦りが芽生えていた。

 何せ強化バフを維持し続ける限り、彼は攻撃に転じる手段が無い。

 サドスに何をされようと強化バフを切らさない自信はあったが、このままではジリ貧なのも事実であった。

 ──いや、一つ、方法がある。

(出来るのか、俺に……?)

 一流の魔法使いは、魔法発動の集中を維持したまま動ける。

 アズも歩く、走るぐらいの単純動作は出来る。それは日常で何気なく、意識すらせずに行える動作だからだ。無意識に剣を振るうなんて、剣士ではないアズには到底出来ぬ芸当であった。

(あぁ、こんなになるんだったら師匠の言う事をきちんと聞いておくんだった……)

 アズの脳裏に「付与術師エンチャンターでも、最低限の護身は出来るようにしないとダメよ!」と口を酸っぱくしている師の姿が浮かんだ。

 その度アズは「剣を振るう時間があるなら魔法の訓練をした方が役に立つだろ!」と生意気に言い返したものだ。

 ──感傷に浸っている場合ではない。

 サドスの振るわれる剣に合わせて、アズはショートソードを振るおうと試みた。

「おっ? ……なんだそのへっぴり腰は、ハハ‼」

 サドスの剣が空気を裂く勢いなのに対して、アズの剣はトンボが止まれそうなほどにゆっくりとした一撃だった。

 サドスは余裕でそれを躱す。どころかノロノロと眼前を通るショートソードを馬鹿にするように撫でた。

 そんな攻防とも言えぬ遣り取りが幾度も続けば短気のサドスがキレるのは当然であった。

「舐めてんのか、あぁ⁉」

 文字通り、撫でるようなアズの剣閃を篭手で雑に払い、怒りに任せて折れた剣を振るうサドス。

 ガギンと、何度やってもサドスの剣はアズの『硬化ハードポイント』を破ることは出来なかった。

 互いに決めてを欠いた現況に限って言えば千日手と言えようが、時間はアズの味方ではなかった。

 時と共に失われてゆく血。徐々に底をつく魔力。

 サドスからすれば焦る理由は無いが、消極的な勝利しか得られない体たらくに苛立ちが募る。

 そんな彼を更に苛立たせるのが、一応の婚約者の存在だ。

「そんな奴に負けるな! アズ‼」

 サドスはそんな奴呼ばわりに内心ツバを吐く。

 何とも耳障りな声援だ。しかしあと少しで、鎧の下に隠れされたあの魅力的な肢体を好き勝手出来るとなれば我慢も出来た。

(ククク! いくらお前が必死に応援しようが、こいつはもう終わりだ! ざまぁねぇな付与術師エンチャンター! 恰好つけた割にはこのザマだ‼)

 そう、サドスが勝利を確信した瞬間──。


 眼前を鋭い剣閃が掠めた。


「あ⁉」

 避けるまでもなく当たらない一撃であったが、不意の出来事でサドスは大きくよろける。その事実が、サドスの虚栄心プライドいたく傷つけた。

「クソ平民ゴミが調子に乗って──⁉」

 感情のままに吠えた怒りは最後まで形にならなかった。 

 サドスの目に、奇妙な光景が映ったからだ。

 アズだ。まるで手足が、自分とは別の意思に操られているかのように無軌道に動くアズの姿があった。


◇◇◇


 一流の魔法使いは決して集中を途切れさせることはない。そして集中を維持したまま行動をすることが出来る。

 未だアズはその境地に達せないのか、彼の振るう剣は無様この上ない。

「そんな奴に負けるな! アズ‼」

 そんな中、練兵場にマリオンの声援が響いた。

 声に釣られて視線がそちらへ向く。鎧姿ながらマリオンは、アズの目には涙しているように見えて。


 ──瞬間、稲妻のように昨晩の出来事が蘇った。


 身体が自然と動いていた。

 剣が、鋭い剣撃がアズから放たれた。

 残念ながら今日一番の一太刀ながら空を斬るに終わったが。

(違う! こうじゃない‼)

 アズはもう一度試みる。思考と行動の切除を。

 思考は強化バフの維持にのみ集中し、肉体は意識でも無意識でもなく、ただ一つの命令──剣を振るえという命令のみを忠実実行する機械のように!

 その動きはさながら傀儡マリオネットのようで。

(違う、違う! もっと、もっと思考と行動を切り離せ! おっぱいを揉んだあの時のように──!)

 マリオンの九〇のFカップを思い出せアズ・ラフィール!

 あの時の感触、じゃなくて感覚は今でも鮮明に思い出せる‼

「うおおぉぉぉぉぉぉっ‼」

 アズは今、魔法使いとして一つの殻を破ろうとしていた。

 一流足らしめん、集中動作中の別行動。それを今、会得しようとしていた。

 ……おっぱいを揉んだことで。

 おっぱいアズを一つ上の男にしたのだ。おっぱいの力は偉大である。

「クソが! 調子に乗んな平民ゴミカス‼」

 アズの動きは未だ拙い。しかし、時を置くごとに加速度的に良くなっていった。

 危機感を覚えたサドスがアズの頂天に剣を振るう。

「『加速アクセルブースト』‼」

「な、あっ⁉」

 しかし、サドスの剣は虚しく空を切った。

 強化バフの重ね掛けは付与術師エンチャンターにとって基本も基本である。『硬化ハードポイント』の上に『加速アクセルブースト』を掛けるなぞ、アズには造作もないことだった。

 尤も──。

「『強化リインフォース』‼」

「なっ、ぐわっ⁉」

 平然と三つ、いや四つもの強化バフを重ね掛けるのは常人技ではないが。

「『刃撃シャープエッジ』‼」

「ぐぎゃあっ⁉ ……て、てめぇ‼」 

 甲斐あってか、ついにアズの剣がサドスを捉える。

 金に任せて名工から買った鎧が、バターのように切り裂かれてしまった。

 拙い動きでありながら、強化バフを重ね掛けたステータスの暴力だ。

 対して苦し紛れに振るったサドスの剣は、未だ衰えが見えず鋭いものの『硬化ハードポイント』を打ち破るには至らない。決して。

 この瞬間、両者の優位は完全に逆転した。

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