神前決闘



 ──神前決闘。

 神が実在するこの世界で、神に誓うという行為は果てしなく重い。

 ──神に誓うことなかれ。決して神を欺くことなかれ。

 聖書の始まりの一文に載るほど、神への宣誓は重い。

 そして、この世界に生きる人々の誰もが神前決闘の権利を有している。

 神前決闘を行うのに必要なのは神への誓言と、そして神が互いの賭け金が釣り合ったと認めた場合にのみ成立する。

 今回で言えばサドスへマリオンとの不接触、つまり婚約の破棄を求めるだけに対してアズは己の一生を賭けなければならなかった。

 負ければアズは命を失ったも同然であるにも関わらず、サドスは婚約こそ無かったことになるも貴族の地位も特権も保持したままである。

 一見して不平等だが、そもサドス側は受けるメリットが無いのだから、それくらいの不平等は当然であった。


 流石に街中で剣を、魔法を、振るう訳にはいかない。

 一行は場所を衛兵の練兵場へと移した。

「……すいませんマリオンさん。勝手に決めて」

 アズは決闘の準備を進めながら、今更マリオンに謝った。

 慣れぬ革鎧を着、幾つかの剣を振るう。冒険者としてそれなりに体力はあるアズだが、だからと言って剣の心得があるかと言えばノーだ。

 最終的に彼はショートソードを選択した。

 そしてアズの謝罪にマリオンは静かに首を振る。

「アズ……。勝ち目はあるのか?」

「はは、正直厳しいですねぇ」

 何てことのないように苦笑いするアズに、マリオンは絶句した。

「な──⁉ 分かっているのかアズ⁉ これはただの決闘ではなく、神に捧げる神前決闘なんだぞ⁉ 誓いは絶対だ‼ 破ればそれこそ、死よりも恐ろしい神罰が下るんだぞ⁉」

「分かってますよ、マリオンさん。ちゃんと分かってます」

「いいや分かっていない! 私がどれだけお前を心配しているのか‼ 心配、しているか……」

 マリオンの怒声は徐々に絶え、耳を澄ませば僅かに嗚咽が聞こえた。

 ──彼女が兜を被っていてくれて良かった。もし涙を見ていたら、決心が鈍っていたところだ。

「おい! さっさとしろ‼」

 サドスの苛立ちが響く。

 見れば彼は、マリオンに劣らぬ立派な鎧を着て、その手にはこれまた見事な大剣が握られていた。

「……いってきます」

「アズ! 死ぬな! 勝ち負けなんてどうでもいい! 生きて、生きて帰ってきてくれ……」

 縋るようなマリオンの声援を背に受け、アズは一度だけ頷いた。

「……お待たせしました」

「ハッ。見せつけてくれるじゃねぇか。……まぁいい。男のいる女を寝取るのも、それはそれで楽しいからな」

 練兵場中央、五メートルほどの距離を空けてアズとサドスが正対した。

「さすがの下種さですね。マリオンさんが蛇蝎のごとく嫌うのも分かります」

「非モテくんには分からねぇか? 苦労して女を手に入れた時の喜び。嫌がっていた女を堕とした時の悦びが、ハハ!」

「……知りたくもないですね」

 嫌悪を見せるアズをサドスは鼻で笑った。

 そして示し合わせたように二人は剣を構えた。

 神前決闘に審判はいない。決闘の行く末を見守る神こそが、まさしく神判であるからだ。

 最低限のルールすらない。如何なる不正も卑怯も認められる。

 重要なのは決着の後、誓いが守られるか否かであった。

「っ」

 アズの頬を一条の汗が撫でる。

 緊張の中、軽量なショートソードながら剣を構え慣れていないアズはそれだけで体力が削られていった。

 対してサドスは余裕の表情だ。一体どう料理してやろうか、そんな事を考えているのだろう、口角が厭らしく吊り上がっている。

 だのに打ち込むスキは、全く見当たらなかった。

 腐っても英才教育を受けた貴族という訳だ。

「そうそう、お人好しってのはいつの時代もバカだよなぁ」

「……?」

 唐突に、サドスが語り始めた。こちらの油断を誘うつもりかもしれない。

 アズは一層気を引き締め、逆にスキが生まれないか注意深く観察した。

「おいおい、お前にとって最後のお喋りだぜぇ? もっと楽しそうにしろや」

 ──聞く耳は、持たない。

 そう、心に決めていたアズだが、次なるサドスの言葉は聞き捨てならなかった。

「苦労したんだぜ? ファルメル家のオヤジは脇が硬くてよ、奴らお抱えの商人の首を縦に振らせるには大分握らせる必要があったんだぜ?」

「っ⁉ 何だって──⁉」

 ファルメル家の御用商人に賄賂を渡したというサドス。借金の形に売られたマリオン。何があったのか、想像に難くない。

 動揺が、アズの剣先に如実に現れた。

「ハッハァ! スキだらけだぜぇ‼」

(しまっ──⁉)

 サドスは待っていたと言わんばかりに大剣を振るう。

 マリオンほどではないが、その剣筋は鋭い。例えアズが万全の態勢で迎え撃とうとしても、到底反応出来ないほどに。

「アズ‼」

 マリオンの悲鳴がやけに遠くから聞こえた。

 切っ先が、己の首へ吸い込まれてゆく。

 ゆっくり、ゆっくりと。

 走馬灯が、アズの脳裏を駆けた。 






 嗚呼──しかし──。

 嗚呼、舐めるなよドラ息子。

 こちとら命懸けの冒険者だ。

 死にかけたことなんて、両手足の指では足りない。

 その度に俺たち冒険者は、地獄から生還してきたのだ。

 知っているか?

 何故俺が『流離いの付与術師エンチャンター』なんて呼ばれているのか。

 パーティーの離脱が激しいから? あちこち旅をしているから?

 いいや、違うね。

 二つ名を持つ冒険者は少ない。それは二つ名が、ただ有名さだけで与えられるものではないからだ。

 ただ、その優秀さを以てのみ与えられるものなのだ──。





 激しい打音と共に、くるりくるりと宙を舞う。

 ……折れた、剣先が。

「──あ?」

 何が起きたのか、その場の誰もが理解出来なかった。

 サドスの剣は確かにアズの首を捉えた。

 魔術師の細首なぞ、サドスの凶刃を以て両断される筈であった。

 ──『硬化ハードポイント』。指定した部位を鋼の如く硬くする強化魔法。

 付与術師エンチャンターアズ・ラフィールは一呼吸のときがあれば、どんな強化バフでも掛けられる。

 魔法発動までの集中動作の短さ。それこそが『流離いの付与術師エンチャンター』の真髄であった。

 そしてただ一人、事態を正確に把握しているアズだけが動く。

「はあぁぁぁぁっ‼」

 渾身の力を込めた一刀である。

 お返しとばかりにサドスの首を狙ったのは、鎧の隙間を狙った偶然であった。

「ちぃ⁉ 舐めるなクソが‼」

 だが、やはり腐っても貴族である。

 サドスは始めて余裕の表情を消したものの、折れた束の部分で容易くアズのショートソードを切り払った。

 そして返す刀でアズを斬ろうとするも、その時にはもう、アズは『硬化ハードポイント』を発動済みである。

 サドスの剣は、またも人間が発することのない金属音と共に弾かれた。

 信じられぬモノを見たとサドスの両目が見開かれる。

 魔術師の柔肌には薄っすら赤い線を付けるのみで、サドスの振るった大剣の刃が欠けたのだから。

「ちぃっ!」

 尚も二撃三撃と振るうも結果は変わらず。

 しかしサドスは余裕の笑みを取り戻した。

「ハハ! こりゃいいサンドバッグだっ‼」

 サドスは気付いた。強化魔法は脅威であるが、強化バフを維持し続けるには集中をし続ける必要があるのだと。

 つまりは──。

「おら、どうしたフ○ャチン付与術師エンチャンター! 反撃してみろや‼」

「ぐっ⁉」

硬化ハードポイント』中のアズは身動きが取れない。

 アズを滅多打つ音が練兵場に響いた。

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