誇りと覚悟

「おいおいおい! そこに居るのは我が愛しの婚約者フィアンセじゃないか?」

 見知らぬ男が、親しげに近寄ってくる。

(……誰だ?)

 着ている衣服は見事な装飾が施され、一見で高価なものだと解る。

 だが男は服をだらしなく着崩し、服の価値と中身が釣り合っていないように見える。

 すぐ隣から強い殺気が放たれた。

「サドス……」

「おいおい、だろ? お前立場分かってんのか、んん?」

 ザメル家の長男、放蕩息子──そして、マリオンの婚約者。

(こいつが……)

 サドス・フォン・ザメル。

 大きく開かれた胸元からは鍛えられた胸筋と逞しい胸毛が覗いており、まくった袖からは筋肉のついた腕が生えている。

 野性味の強い男だと、アズは思った。

 また彼は多くの取り巻きを引き連れていた。

 男どもからはサドスと似た臭いを感じるが、付き従う女性からは色濃い怯えの色が見て取れる。どのような関係なのかは一目瞭然であった。

 サドスの目にアズは映らないのか、真っ直ぐにマリオンへと近づいてゆく。

 無遠慮に距離を詰められるにつれ、マリオンの表情が強張る。

 アズはそんな二人の間に入り、近寄ってくるサドスに声を掛けようとした。

「あの」

「──平民ゴミが。俺に許可なく話し掛けんじゃねぇ」

「っ⁉」

 瞬間、アズの顔面にサドスの裏拳が叩き込まれた。

 余りの不意の出来事に、アズは全く対応が出来ず吹き飛ばされる。

「アズっ⁉」

「ちっ。薄穢うすぎたぇ血で俺様の拳が汚れちまった。拭け」

 サドスが取り巻きの女に命令する。

 すると一人が慌てながら、怯えながら。しかし丁寧にサドスの拳に付いた血を拭った。

「アズ! 大丈夫か⁉」

 鼻を押さえて蹲るアズにマリオンが駆け寄った。

 アズの指の隙間から、血が滴り落ちている。

「おいおいおい、違うだろ? ちーがーうーだろぉマリオぉン? お前が心配すんのはきたねぇ平民ゴミじゃなくて愛しの婚約者フィアンセ様の拳だろ、んん?」

 サドスは大分ハーベンジャーで遣りたい放題しているらしい。

 周囲の人間が、遠巻きに見るだけで動こうとしないのがその証拠だ。

 魔物が蔓延るこの世界でも、人間同士の暴力は犯罪である。だが貴族と平民とではそも犯罪として立証されることは少ない。

 まして相手は伯爵家である。

 逆に平民側に失礼があったと不敬罪を取られかねない。いや、サドスは間違いなくそう証言するだろう。

 そして残念なことに、ハーベンジャーはザメル家に対してその土壌が十分に出来ていた。

「貴様ぁ‼」

 マリオンの腕が剣に伸びると、サドスは喜悦の表情を深めた。

 マリオンもまた貴族ではあるが、家を出ているという彼女にとって実家の力がどれほど及ぶものか。

 ファルメル家は爵位でザメル家に及ばず、援助という負い目もある。更に言うならサドスは一見して丸腰である。

 相手が幾ら下衆であっても、そのような不利な条件を持ち、衆目の前で剣を振るってしまえば如何なる言い訳も立つまい。

「っ! 待って、下さいマリオンさん‼」

「しかしアズ!」

「俺は、平気ですから」

 ──安い挑発に乗らないで。俺に任せてください。

 そう目で語り掛けると、マリオンは渋々と剣の柄から手を離した。しかし、心配そうな気配は消えない。

 ──兜越しでも、マリオンの表情が見えた。

(まったく。感情豊かな女性ひとですよ、あなたは)

 アズが「ふん」と鼻をかむと、鼻奥に溜まっていた血溜まりがボトと吹き出た。

 そうして不快さを在り在り浮かべたサドスと正対する。

「初めまして。あなたがサドス・フォン・ザメル様ですか。俺の名前はアズ・ラフィール。マリオンさんとは同じパーティーの仲間です」

「おい平民ゴミ、耳が腐ってるようだから優しい俺がもう一度ってやる。許可なく話し掛け───待て。アズ・ラフィールだぁ? んん……、聞いたことがあんな……」

 拳を振るおうとして──サドスは顎髭を撫でた。

 マリオンと周囲の人間が見守る中、アズは堂々と言葉を続ける。

「はい。職業ジョブ付与術師エンチャンターです」

「そうか‼ お前『流離いの付与術師エンチャンター』か⁉ ハハハッ! 聞いたことがあんぞ! 失恋の度にパーティーを抜ける情けない付与術師エンチャンターの話‼ お前がそうか、ハハハッ!」

 サドスが笑うと、それに続けとばかりに取り巻きの男が笑い声をあげた。嘲笑の大合唱である。

 ──マリオンの歯ぎしりが聞こえた。

 今にも飛び出しそうな彼女を、アズはただ手だけで制した。

 ……俺は冒険者だ。誇りプライドの捨て所も、覚悟の決め所も、弁えているつもりだ。

 それの見極めが出来ない冒険者は早晩、命を落とすものだ。

(ここは覚悟の決め所‼)

 アズは己を奮起し、サドスを睨み返す。

「──そして、マリオン様の恋人です」

「あ?」

 サドスの哄笑がピタリと止んだ。

 耳を疑う言葉であった。いや、頭の出来を疑う言葉であった。

 目の前の、平凡を形にしたような男が、美の化身の如きマリオンの恋人?

 言葉の意味と理解が追い付かず、目の前の男は狂っているのかとサドスは頭を指さしながらマリオンを見る。

 すると──サドスが今まで見たことのない反応を示すマリオンがそこにいた。

「なっ⁉ ななな──⁉」

 ぷしゅぅと、マリオンの兜から蒸気が吹き出る。

 その様子に周囲の野次馬が「おぉ!」と無責任に囃し立てる。

 それを見た瞬間──サドスは切れた。

「ぶっ殺されてぇみたいだな‼」

 拳を握るサドスに、怯むどころかアズは冷笑を返す。

 そして、またも爆弾発言を放った。

「マリオンさんのおっぱいは柔らかかったですよ」

「ばっ──────⁉ な、ななな何を言って⁉ 違うから、違うからな⁉ 私の胸は凶器ばりに硬いんだからなっ⁉ 釘でバナナだって打てるんだぞ⁉」

 いや、凶器みたいに硬いおっぱいってアンタ。まぁあの大きさは別の意味で凶器じみているけど。

 マリオンは混乱のあまり自分が何を口走っているのかも分かっていないのだろう。

 それと釘とバナナ逆だし、凍らせないと打てないし、おっぱい無関係だし。

「っ⁉ て、てめぇは楽に殺してやらねぇぞ‼」

「弱い犬ほどなんとやらですよ、サドス様」

 正に売り言葉に買い言葉である。

 アズはこんな好戦的な男であったろうか? 疑念を抱いたマリオンだが、直ぐに否定する。

 彼は他人のためなら苦労を買ってでるような男だが、好き好んで苦労を買う趣味は無いだろう。

 ──そう。好きな人のためなら、どれほどの苦労も好んで背負う男だ。

(私の、ためなのか……⁉)

 いや、きっと、多分、十中八九、そうなのだろう。

 その事実を認識した瞬間、マリオンの心臓が大きく脈打った。兜を脱げば、きっと熟した林檎みたいな顔色をしているだろう。

 こんな、浮ついた感情を抱いている時ではないと言うのに、マリオンは嬉しくなって、遂に己が気持ちを自覚した。

 ──これが、恋か!

 だから、鼻血に塗れたアズの横顔に現を抜かしてアズの言動を止めるのが遅れた。

「──サドス様、あなたに神前決闘を申し込みます」

 アズが高らかに宣言すると、周囲は波を打ったように静まった。

「……てめぇ、意味分かって言ってんのか?」

「当然ですよ。それともやはり、ザメル家の長男は口ばかりが達者でいらっしゃる?」

「たかが付与術師エンチャンターが言ってくれる‼ ……いいだろ!」

 ──よし、掛かった! アズは内心ガッツポーズをした。

 この手の自尊心プライドばかし高い手合は挑発がよく効く。貴族であるが故に、立場が平民から舐められることを是と出来ないのだ。

「待て! アズは関係ないだろう⁉」

「まぁ待てよマリオン。俺に早く可愛がられたいのは分かるが物事には順序があるんだわ。まず立場を弁えていねぇ付与術師エンチャンターをぶっつぶす。お前を可愛がってやるのは後だ」

「っ!」

 そう言って舌舐めずりをするサドスは、下品を鍋で煮詰めたような表情をしていた。

「おい平民ゴミ、誓え。俺が勝ったらお前は一生俺の奴隷だ。殺してなんかやらねぇ。手足の腱を切って、舌とチ○コを斬り落として、俺とマリオンの○ッ○○を特等席で見せ続けてやるよ」

 言葉遣いも下品なら発想も下品な男だ。

「えぇ、誓いますとも。ただし俺が勝ったら金輪際マリオンさんに関わらないでください」

「ハ、意味のない決め事だな。──だが誓ってやる」

 互いに誓言を口にすると、雲が晴れ二人に光の柱が注いだ。

「あぁ……!」

 神秘を目撃した民衆の興奮が再現なく上がる一方、ただ一人マリオンだけが絶望の表情を浮かべていた。

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