秘め事

 ──神秘のヴェールが今明かされようとしている。

 なんて言い方は大袈裟だろうが、頑なに顔を隠していたマリオンが兜を外した。

 少しの期待と興奮を抱き、アズはマリオンの素顔を想像する。

 あれ程の剣の冴えを見せるのだ。幾つもの修羅場を潜ってきた貫禄を持つオジサマだろうか? はたまた重厚な鎧を着込んでいるのだ、厳つい男かもしれない。それともケチのつけようも無い程のパーフェクトイケメンか?

 はたしてアズの予想は全て裏切られる。

 マリオンが兜を脱いだ瞬間、艶やかなシルクの如き金髪が開放された。

「は──?」

 息が、止まった。

 一流の絵画から飛び出してきた──そんな与太話を信じてしまいそうな程の美の結晶が目の前に現れたのだから。

 美しく通った鼻筋。血の色よりも濃い、という事は絶対に無いのに見惚れてしまう紅色の唇。切れ長の蒼い瞳は、長い睫毛と共に憂いを帯びて伏せられている。


 神秘のヴェール、大袈裟じゃなかったわ。


 フルフェイスの兜は熱が籠もるのだろう。マリオンは兜を取ると同時にほうと息を吐く。その姿はやけに艶っぽい。

 マリオンが何事か喋っているが、今のアズの耳は意味のある羅列として捉えることは出来ていなかった。

 いや、だって──。

「へうぇっ⁉ お、女だったの⁉」

 マリオンが絶世の美女であった事実よりも、マリオンが男ではなかった事実の方がアズには衝撃的だったからだ。


◇◇◇


「ほう。では何か? アズはずっと私を男だと思っていた訳だ」

「ふぁい」

 前が見えねぇ──とまではいかないが、俺の頬には立派な紅葉が出来ていた。

 篭手を外してからの平手打ちな辺り、理性はギリギリ残っていたのだろう。

「お前の目は節穴か? 見ろ! セントヘレナの生まれ変わりとまで言われた私のどこが男に見える!?」

「兜で見えませんでした……」

「小鳥も恥じらうとまで評された私の声を男と聞き間違えたのか!?」

「兜で篭ってよく分かりませんでした……」

「……な、ならこの胸はどうだ!? 自慢じゃないが九〇超えのFカップだぞ⁉」

「鎧で隠れてて見えません……」

「……」

「……」

 沈黙の天使が舞い降りた。

 その間に、俺は「九〇のFカップ」という事実を脳味噌に刻み込む。

 ……全然想像出来ない。嗚呼、童貞の悲しさよ。

 すると沈黙を破るかのようにマリオンは一度立ち上がり、改めて椅子に座り直した。

「さて。勘違いは誰にでもあるものだ」

「ちょっとぉ!? 殴られ損なんですけどぉ!?」

 話をまとめようとするマリオンに、「いやいやちょっと待て」と噛み付く。

 マリオンもまた顔を赤くして反論してきた。

「う、うるさいうるさいっ! 元はと言えばアズが悪いんだぞ!? お前が相部屋なんて取るから、私はてっきり今夜処女をっ、うぅ……!」

 俺が相部屋を取ったから、何だと言うのだろう?

 喋るにつれ声は小さくなってゆき、最後の方なんかは蚊が鳴くほどでよく聞き取れなかったが、それを態々聞き直す真似はしない。

 短くない冒険者としての勘が、藪の中の蛇を察知したのだ。

 故にアズは話をそれとなく変える。

「それで、ファルメル家のご令嬢が一人、なんでこんな所にいるんですか?」

 ファルメル家と言えば隣々の領地を納める男爵家だ。聞こえてくるのは悪い噂どころか今代の当主、つまりマリオンの父君は善政を敷いていると専らの評判である。

 その娘さんがお供も付けずに騎士の真似事をしているのだから。

 何か深い事情があるのだろう。答えを期待せずに聞いたアズだったが、マリオンはちょっと逡巡しただけで口を開いてみせた。

「……家出してきたんだ」

「いえ、言いたくないんなら別に──へ? 家出?」

 まさか答えてくれるとは思わなくて、アズは間の抜けた返事をしてしまう。

「実はザメル家の長男と婚約が決まってな。……私はそれが嫌で家を出てきたんだ」

 ザメル家? つい最近聞いた覚えがあるのだが、何時だったか。思い至った瞬間、アズは「あ」と声をあげていた。

「もしかして昼の?」

「そうだ。ザメル家の紋章の入った短剣を持っていただろう? おそらく、私を連れ戻しに来たんだ。……知っているか? ザメル家の長男は碌でなしでな、権力を傘にやりたい放題している放蕩息子だ。本当に、碌でもない男だよ奴は」

 マリオンの口調には心底の軽蔑があった。

「貴族としては一番下の男爵家とはいえ、曲がりなりにも私も貴族の娘だ。必ずしも愛のある結婚が出来るなんて思ってはいなかったさ。だが、あんな男の嫁になるぐらいなら死んだ方がマシだ!」

 本当に嫌なのだろう。マリオンの握った拳から血が滴り落ちた。

「……黙っていてすまなかった。最初から狙われていると知っていたら、一緒に王都まで、なんて言わなかったのに……」

 今度こそマリオンは話を締め括る。

 ……こうなってしまった以上、自分と行動を共にするのは危険以上の何物でもない。最早一緒には居られないだろう。

 マリオンは席を立つ。「さらばだ」と、そう言ってその場を去ろうとして。ただ一言、たかが別れの言葉が喉に詰まったように出てこなくて。

「っ」

 だからマリオンは無言で去ろうとした。今の顔は、嗚呼、きっとひどい顔をしているに違いない。そんな顔をした自分が、アズの記憶の最後の自分だと思うと耐えられない。

 マリオンは俯いたまま、無言で、足早に、……無味な別れをしようとした。


 ──だが、去ろうとした彼女の手をアズが握り締めた。


「何言ってるんですか! 狙われているんでしょう⁉ だったら尚更一人じゃ困るじゃないですか!」

「え?」

「そりゃぁ俺は付与術師エンチャンターですよ。頼りないかもしれません。だけど、困っている仲間を見捨てるほど薄情じゃありません! もっと信頼してくださいよ!」

「あ、う……」

 そう、今までの気弱さを微塵も感じさせぬ勢いでアズが捲し立てた。

 寂寥で満ちていた筈の胸が、今度は暖かいもので満たされてゆく。

(はぅ、うぅ、何だ……⁉ アズの顔が正面から見られないっ……‼)

 マリオンは顔に血が上るのを感じた。

 どうして今私は兜をしていないのだ? 被っていれば、どんな表情をしていてもバレないのに……!

 恥ずかしさからマリオンは俯き、目を瞑った。

 それを拒絶と捉えたか、アズの握る手の力が強まり、その、手から伝わってくる自分以外の体温を殊更に強く感じた。

「う、うぅ……! アズこそどうなんだっ! 付与術師エンチャンターが一人旅だなんて、普通じゃない!」

 だから私は誤魔化すように──事実として誤魔化し以外の何物でもないのだが──大きな声をあげて問い返した。

 ちらっとアズを見れば、彼は困ったように眉を八の字にして微笑んでいる。

 そんな顔すらも今の私には魅力的に映って──って違う! そうじゃないだろマリオン・フォン・ファルメル‼

 アズは照れくさそうに頬を掻きながら口を開いた。

「その、俺は……、失恋しまして」

 は? 失恋? アズが?

 私はアズの一人旅、その意外な理由に耳を傾けるのであった。

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