第2話


 ――青年は走る。

 未だ変わらぬ速度で、未だ前を睨みつけ、青年は地面を蹴り飛ばして行く。


 右手に握り締めるは鍛錬に使っていた剣。とても質素で粗末な造りの、かつて戦場の跡地で拾った錆びた武具。

 対して左手には何もない。剣と同じ場所で拾った盾もあるのだが、持ち出す余裕など彼には無かった。


 矢の豪雨は既に止んでいた。地を埋め尽くした凶器は一つとして、五体に掠り傷を負わせる事さえ出来ていない。群がり突き刺さった矢を蹴散らしながら、青年は大軍の海へと向かう。哮る叫び声を上げながら、孤独な反逆者は走りゆく。


 騎士達は弓を捨てた。矢筒にある限りの全ての矢を放った為、もう役目が無い。

 代わりに、細長い菱形で大きな刃の槍を持ち、正面に配置した堅牢な盾の上に乗せて、身を屈めて待ち構えた。

 隙間無く横一列に事を進めていくその様、端から端まで僅か数秒で済ませる。


 軍勢の突進を安全に打破すべく考案された、防御と攻撃を同時に可能とする姿勢。相手からすれば、壁から槍が突き出ている様にしか見えない――つまり、致命傷を与える箇所が見つからない、対応を誤るならば即座に槍の餌食。たとえ相手が単体だろうと、その形態を崩さないのは歴戦に於ける猛者の証だ。


 青年の前に広がる、横一文字の重厚な金属。槍の鋭い矛先が等間隔で此方を睨みつけ、圧倒的な威圧を放つ。……しかし、青年にはどうでもよかった。

 元より止まる気など無し、元より臆する気など無し、元より逃げる気など毛頭無し。

 彼には突き進むしか無い。大切なものを取り戻したい彼には、前に走る以外の行為は赦されない。


 ――青年は、剣に炎を纏わせ始めた。

 加護によるその力は螺旋状に刀身を迸り、切っ先を過ぎて尚も迸り、最終的には成人二人分の長さまで形成した刀身――炎の魔刃と化す。元々の刀身の長さは変わらない為、青年が感じる重さは今までと同様。


 その長さならば、待ち構える態勢に容易く届く。加えて凄まじい熱を放つ炎の塊であれば、分厚い金属など布と成す。

 青年は横一文字に対し、横一文字に薙ぎ払う。

 当然に、彼の侵略は騎士達の要塞に打ち勝った。故に、切り開いた入り口に向かって彼は叫びながら飛び込んだ。


 しかし、その後ろでは騎士の軍勢が更に待ち構えていた。

 白銀に輝く剣は幾多の血を吸ってきた刃、白銀に輝く盾は幾多の猛攻を防いできた壁、白銀に輝く鎧は幾多の闘争を経験した誇り。

 いつか自分も登り詰め、世界を変えようと夢見てきた理想の存在が今、敵として青年の前に立ちはだかっていた――――。























 ――――青年は、ある洞窟の中にいた。

 天井から染み出る水滴、隆起した地面にはいくつもの水溜まり、湿気が強くて息が詰まる。

 頭と足を濡らして、彼は呼吸を荒げながら走っていた。


 そこは自然に出来た場所ではなかった。遠い昔、彼が住む村の祖先が築いた空洞であり村の守り神として祀られる古の精霊を納める神聖な領域だ。

 真っ直ぐに続く暗闇の中、松明の明かりを頼りに青年は進んで行く。

 彼は急がなければならなかった。

 王が村を去った後、祖母を埋葬し、この洞窟に来るだけでも時間がかかった。今も尚助けを求めている彼女の為に、青年には時間が無かった。


 ――そして、広がった空間に辿り着く。

 真四角の空間、真っ暗な闇が不穏な雰囲気を漂わせる中、子供ほどの小さな祠が中心に寂しく存在する。

 青年は深呼吸をして、近付く。


 祠の中には、何かの陣が刻まれていた。丸い円の中に見た事のない文字や不思議な模様が彫られており、何故か赤黒く変色していて気味が悪い。

 だが、変色の理由を知っている青年は気にしない。余裕もない。護身用のナイフを取り出し、陣の上に差し出した腕に、刃を滑らせた。


 ……ポタ、ポタ……と、流れ落ちる赤い血が、彫られた陣の溝を埋めていく。

 召喚する為の儀式。変色の理由はこの行為によるもの。

 暫くの折、陣は光り出す。

 闇に包まれていた空間全てが明るみになる光。あまりの眩しさに、青年は目を閉じて腕で目を守っていた。


 ――――声が――する――。


 洞窟内に響き渡る、崇高な言葉。知らぬ筈の青年の名前を呼んで、用を訊ねる女性と男性の言葉。黎明な言葉遣いに、青年はただただ圧倒されるばかり。


 ――再び、その声は青年に訊ねた。二度目の質問で、やっと青年は目を醒ます。

 跪き頭を下げ、ただ一言、力が欲しいと、真っ先に伝えた。

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