小さなダークファンタジー

えら呼吸

第1話


「ジュリアァァ――!!!」


 ――灰色の曇り空。

 ――草も無い荒れ果てた荒野。

 ――ひしめきあう鎧、そして剣と盾。


 さながら海を思わせる有象無象の大軍に向けて、一人の青年が放つ叫び。ただ一点を見つめる彼は、その海へと疾走を始める。


 大軍の最後尾の騎士達は、その姿を認識して準備に取り掛かる。

 単独で迫り来る無謀な人影に対し、訓練され研ぎ澄まされた精神は驕りも慈悲も見せず、淡々と無表情で弓矢を構えて狙いを定めめ、そして放たれた。

 

 青年に到達する事を考えられた矢は、上空に向かって風を切りながら上っていく。重力によりやがてそれは暫しの水平となり、下降、そして最終的には降り注ぐ。獲物を刈り取る隼に似た光景、ただ圧巻なのは、空が疎らに見える程の尋常ではないその本数だった。


 ――青年は――上を見ない――。


 己を刺し穿つ鉄の凶器が、今まさに到達せんとするその時に、青年は上ではなく前を見る。

 見据えるは見えない人影、人の海で埋もれるかけがえのない人物。ただその姿を早く見たいが為に、青年は上など見ず前だけを見る。


 そんな、自身の生に無頓着な人間目掛けて、雨は降り注ぐ――――。無機質であるが故に一切の遠慮は無く、けたたましく恐ろしい音を立てて地面に突き刺さっていく。草も生えない荒野は矢で埋められていく。


 ――だが、一部分が異様だった。


 そこだけに透明な膜があるかの様に、矢は独りでにねじ曲がり、折れて弾かれる。

 そして、矢が刺さらないその一部分は疾走しており、通り過ぎた軌跡にやっと矢が降り立つ。

 異様な光景。異様な事象。異様な存在。

 迫り行く透明な膜は、敷き詰められた矢の豪雨が当たる事によって、半球の形を露わとしていた。変わらずの速度を保ち、前へ前へと突き進む。


 その正体は青年だ。


 精霊から加護を授かりし青年は、風の防壁によって守られている。雨など、矢など、彼には毛頭気にするものではなかった。故に、青年は前だけを見続けていた。


 しかし……炎の如く決意を滾らせるその瞳を見るに、彼は加護が無くとも前しか見ないだろう。元から、矢も大軍も見えないのかも知れない。

 青年を突き動かすは、逢いたいの一言だけなのかも知れない。





















 ――――青年は、小さな村に住んでいた。


 両親が幼い頃に他界した為、青年は祖母と二人で暮らしていた。

 起床して直ぐに湖まで水を汲みに行き、家畜の世話をし、畑を耕し、剣の鍛錬をし、祖母の作った夕飯を挟んで一日の出来事を楽しく話し合うのが、彼の毎日だった。


 そんな二人には、もう一人の家族がいた。

 青年と同じく親を亡くした、昔からよく遊んでいた幼なじみの少女。花を愛でて歌が好きな、いつも笑顔を絶やさない彼女。

 今でも仲の良さは変わらず、近所で一人暮らしをしている彼女は、毎日の様に青年の隣を歩いていた。


 お互い夢を語り合った、お互い日課を助け合った、お互い童心に帰ってふざけ合う事もあった。

 同年代が相手しかいない青年と少女は、暇さえなくても一緒に過ごしていた。それが二人の、楽しい日常だった。


 時が経ち、青年は少女に恋をしてしまった。

 日に日に女らしくなっていく幼なじみに、いつの間にか友情は恋情へと変わっていた。

 けれどもどうしていいかわからず、彼女が近くにいる時の胸が辛くなるもどかしさから、次第に対応を素っ気なくしてしまうようになってしまった。


 そんな青年を見て、少女も困惑した。

 いつも笑い合っていた相手が急に笑わなくなってしまい、どこかよそよそしい。

 もしかしたら自分が何か気に入らない事をしたのではないかと、不安に駆られた。


 理由を訊ねられても、青年は苛々した様子ではぐらかしていた。気恥ずかしさから誤魔化していただけの態度、しかし本心を知らない少女の心は、寂しさと悲しみに埋まっていく。親を失った事による心の傷が、また苦しめてくる。


 ……いつしか、二人が並んで歩く姿は無くなってしまった。




 ――やがて、その日がくる。

 青年が覚悟を決めて気持ちを伝えようとしていたその日に、国を統べる王が村に訪れた。


 それは些細な行事だった。

 健やかに過ごせるのは自分のお陰だと、余すこと無く国中に広げる恒例の遠征。王が自身の権力に酔う、謂わば暴君の所業。

 従者の喚く命令に慣れた様子の村人達は、表情をそのままに淡々とひれ伏し、王の花道と化す。


 その中で、青年は地面に向かって眉を顰めていた。

 こんな人物が自分達の王であるのが、彼は嫌でならなかった。いつか世界一の騎士になって、この国を自分が治めて、みんなを楽しく幸せにする事が、彼の夢だった。


 その時、王の行進が止まった。ただ見せびらかすだけの筈、止まる事などいつも無かったのに、気味の悪い重圧は何故か停滞している。

 命令も無しに頭を上げるなど自殺行為だが、気になった青年は気付かれないように頭を上げ、そして――目を見開いた。


 斜め向かいの家に住む幼なじみの少女が、従者に腕を掴まれ立たされていた。命令が無いので声を出す事も出来ず、無論、抵抗も許されない。人形みたい引っ張られ、乱暴に王の前に座らされた。


 馬から降り、ひれ伏す姿から気になっただけの王は、確かめる為に少女の顎を上げて顔を見定める。

 そして何を思ったか、不気味に笑みを浮かべ、少女を馬に乗せた。


 ――少女は、王に見初められてしまった。

 まるで娼婦を探し当てたかの様に、当たり前に連れて行かれようとしていた。無論、抵抗は許されない。


 だが、青年はそれを赦さない。


 立ち上がり、感情に任せて飛びかかろうとしたが、親衛隊が前に立ちはだかる。体当たりして退かそうとしたが、そこは力の差、片手で押されただけなのに、青年は尻餅をついてしまった。

 そして反逆者と見なされた彼は、為す術もなく、親衛隊の槍により貫かれる。


 ………しかし、貫かれた人物は違っていた。

 いつの間にか、青年を守ろうと覆い被さる、親代わりの祖母がいた。

 祖母の骨肉により軌道が曲がった槍は、青年の脇腹を掠めるに留る。でも、彼の目に生気は無かった。


 槍が引き抜かれる。死体となり果てた祖母はだらりと仰向けになり、眠った様な表情を青年に向ける。

 それを見て息を呑み、肉親の死に目を逸らす事が出来ず、ただ震え上がるばかり。…一筋の涙が流れるのに、時間はかからなかった。


 そんな青年に向けて、槍はまた落とされようとしていたが、王の一言で止められた。何故止めるのか従者が慌てた様子で理由を聞くと、後悔して更正するだろうと、王は笑いながらに話した。

 己の慈悲深さを見せ付けた事で更に崇拝者が増えるに違いないと、本気でそう思う王は、全てが解決したかの様に行進を再開する。


 呆然とする青年は、死んだ眼で何気なく王を見た。

 虚ろに、仇が去る姿を見つめた。

 唇を噛み、血を垂らして憎んだ。

 そして、少女と目があった。


 久しぶりに見つめ合う綺麗な瞳、悲しみで涙を流す懐かしい瞳、自分が恋した瞳。

 王の前に座らされた馬上から、止むことの無い泣き顔で必死に訴えかけている姿が目に入った。

 それを見つめる内に、青年は思い出す様に目の光りを取り戻していく。大切なものがまた一つ奪われようしている事に気がつく。


 醒めた思考で見たのは、助けて――と、口を動かす少女の姿。




 

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