第3話
「仲直りの手段は多種多様といえど」
「たしゅ?」
「多いという意味だ。んんっ! 仲直りの手段はたくさんあると言われているが、その一つが食事だ」
「おなかすいた!」
「ちょうど朝餉の時間ゆえに、まさしくちょうど良いではなかろうか」
「か!」
そう言って、悪魔が子供用エプロンを心にかける。
白とピンクのかわいらしいエプロンだ。……あの悪魔の手製だと思わなければ本当にかわいい。
「其方はそこで待っておれ。此度はココロと吾輩による料理を食らわせてくれようではないか! そうとも、ココロとママがな!」
「パパはたいき!!」
悪魔の肉体がぐにょぐにょとうごめいて、どこからか現れたエプロンを身にまとっている。全身タイツエプロン悪魔の出来上がりだ。悪夢でしかない。
意気揚々と台所へ向かう二人を見送ってしまうのは、あいつが悪魔だからだ。
あいつが悪魔だからこそあいつを必ず追い出すが、あいつが悪魔だからこそ俺はあいつを信用する。
心とあいつが交わした契約は、心のママになるというもの。あいつが心のママである以上、あいつが心を脅かすことはない。そして、心が子供である以上、あいつはママであり続ける。契約が交わされている間は、あいつは心に手を出さない。
それはつまり。
あいつが心のママでなくなったとき。彼女がママを欲しなくなるほど成長し、ママが欲しいという願いが叶い終えたとき。
悪魔は心を食らう。
だからこそ、俺はあいつを滅ぼさないとならない。絶対に。
何があろうとも。
※※※
「ママ!」
「どうしたココロよ」
とはいえ、心配は心配なので見守りはする。
そもそも狭い家なので台所にいる心と悪魔の声も姿も難なく確認できる。
「今日のめにゅーは何ですか!」
「吾輩の大好物“阿鼻叫喚人肉パスタ”だ」
半年前の俺ならこの時点で殴り掛かっていた。
「おいしいの?」
「ほっぺが落ちるほどにうまい」
おそらく、その落ちるは本当に物理的に落ちるんだろう。
「ココロよ、覚えるがよい。パスタとは単純にして奥が深い」
「たしかに」
心さん。
あなたがのぞき込んでいるのはパスタを入れておく筒ですよ。貴女からすれば深い筒かもしれないが、そいつが言っているのは別の意味ですよ。
「多くは語らぬ。大事なのは、時間管理である」
「うゅ?」
「パスタの湯で終わりとソースの完成に齟齬が生まれてしまえば、パスタはもはや死に絶えたも同然」
「あいさー!」
「ふふふ、すぐに鍋を準備するとは時間の大切さを理解しているようだな」
ただお前の話に飽きただけだと思う。
シンク下に置いてある大きめの鍋を持ち上げられるようになった娘。ちょっと前までは重いものは全部俺が持っていたのにな。
「良かろう! まずはこの鍋に“砂漠でようやく見つけたオアシスが蜃気楼だった男の目の前で飲む水”……は、ないので“水道水”をためる」
麺をゆでるときは水を多めに使うと良い。
重くなった鍋を悪魔がコンロへ運ぶ。さすがに水を入れた鍋は心では運べないからな。
「沸騰させている間に具材を切り刻むのだ。“醜く肥え太った権力者の腸詰”……は、ないので“ソーセージ”を刻む」
「とくばいひんです!」
余計な言葉は覚えないで……、いや、生活に必要な言葉だろうか。
でもなぁ、生活溢れる女の子に成長しても……、いや、どうなろうとも心は心だけどさ。こうさ、微妙にお嬢様みたいになってくれないかなとか思う父親心もあるじゃんか。
子供用の包丁で心が、
すぐ後ろにスタンバイした悪魔が、心の手にそっと自身の手を添えている。まだ彼女一人で包丁は使ってはいけないと俺と悪魔で交わされた停戦協定のひとつだ。
「続いて、“罪人の嘆きを百年聞き続けたマンドラゴラ”……は、ないので“ニンジン”を刻む」
「ヤッ」
「好き嫌いは許さん」
「むぅ」
ピーラーを使って心がニンジンの皮をむく。
昔ほど拒否はしなくなったが、それでも喜んで食べてはくれないんだよな。
皮をむいたにんじんは、悪魔が三等分に切り、切り口を下にして1~2mm幅の薄切りにしていく。心がやりたそうに目を輝かせているが、硬いニンジンを縦に切ることはまだ彼女には早い。
「良いか。決してニンジンから目を離してはいけない」
「あい!」
薄切りになったニンジンは二枚重ねて、心が1cm幅に切っていく。悪魔の助けを借りて、心がニンジンが短冊切りにしていく。
「湯が沸き始めてるな」
「いそぐ?」
「駄目だ。この場合は、コンロの火を弱めるが良い。急ぐは怪我のもとだからな」
コンロを強火から弱火へ。
心は毎回なぜかスイッチを傾ける方向を間違えて一度火を最強にまであげてしまうんだよな。あれはわざと、ではないようだけど。
「急ぐのではなく、手際よくいくのだ。残るは“主君を目の前で殺された騎士の魂”……はないので、“ピーマン”と“赤子の血を吸い咲く花の球根”……はないので、“玉ねぎ”を切り刻むのだ」
ピーマンはヘタを切り落としてから種を取り除く。
5mm幅の輪切りににするが、落としたヘタも5mm幅に切っていく。食べられる部位は捨てないのがうちの主義、いえ、貧乏なんです。
問題は玉ねぎだ。
半分に切ってから薄切りにするだけなんだが。
「ぬぐぅぅぅ」
「ママ、大丈夫?」
「ぐぉ、ぐぉぉ」
この悪魔。
どうしてか玉ねぎに弱いんだ。すごい量の涙が出る。
俺の拳の数百倍はダメージを受けているっぽいのが若干プライドに触る。
「これで準備は完成だ。見るがよい、ちょうど湯が沸いている」
「すごい!」
「ココロが手伝ってくれたおかげ、そしてなによりママの手腕といえよう」
「ひゅー!」
娘をほめることを忘れないのは良いが、ドヤ顔を決めるのを忘れないのは許さない。
心がはやし立てるせいであいつはドヤ顔をしている時間のほうが多くなってきている気さえする。
「ここからは時間との戦いである。ココロ、パスタの湯で時間は如何様か」
「七分!」
「手際よくいこうぞ!」
悪魔に持ち上げられた心が沸騰した鍋にパスタを入れる。
ばらばらと散らばっていくパスタを、すかさず心が手渡された菜箸でくるくるとかき混ぜていった。
「パスタはこれで良い。次は具材を炒める」
「あい!」
うちにある一番大きなフライパン。
さすがに心では扱えないので、悪魔が持ち手を握る。身長が足りない心の秘密兵器、台がコンロのそばに準備されている。
「“百年人間を殺し続けたガマの油”……は、ないので“サラダ油”をひく。そして、切り刻んだ具材から“ソーセージ”と“玉ねぎ”を炒めるのだ」
「あい!」
フライパンを操るのは悪魔の仕事。
フライパンに具材を入れるのは心の仕事だ。
「“玉ねぎ”はよく火が通るまで炒めるのだ」
「どうして?」
「旨味と甘味が生まれるからだ」
飴色玉ねぎなんてよく聞くが、あれは本当に苦労する。
最近じゃスーパーで飴色玉ねぎが売っているから、つい手を伸ばしそうになる。そのたびに悪魔の顔が脳裏に浮かんで買うのを止めるんだがな。
「“玉ねぎ”がしんなりしたら“ニンジン”と“ピーマン”を投入する」
「あい!」
美味しいものは茶色でできている。
だが、彩はときとして味以上のおいしさを伝えてくれるんだ。赤と緑のコントラストがフライパンに華を添えていることだろう。
「“塩”と“胡椒”で味を調えたら、最後にこの料理の決め手“乙女(十七歳)の生き血”……は、ないので“ケチャップ”をたくさん入れるのだ!」
「うやー!」
生き血は、年齢制限もあるらしい。
なければ心が該当してしまうのでいつもここだけハラハラしてしまう。
ケチャップを逆さに持った心がドバドバとケチャップを投入していく。
勢いあり過ぎてエプロンにまでかかっているが、それもまたかわいい。
「さぁ、パスタが茹で上がったぞ。完璧なタイミングである」
「あい!」
「湯切りとは魂の叫び! 心のままに踊り狂うのだ!」
「ママが?」
心のママではない。
バレエさながらに踊っているくせにシンク以外には切った湯が飛び散らない謎の技術を悪魔が見せてくる。
パスタをフライパンに投入し、一振り二振り、三振り。
ケチャップソースが絡んだパスタがフライパンのなかで具材と一緒に踊る。
オレンジ色のドレスを身に纏って、ゆでられただけの麺が料理へと名前を変えていく。
「“阿鼻叫喚人肉パスタ”の出来上がりだ」
「パパー」
焦げたケチャップの香りが胃袋を刺激する。
エプロンだけでなく鼻先にまでケチャップが付着している可愛い愛娘のもとへ、あと、ついでに悪魔のもとへと、俺は腰をあげた。
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