第2話


 神父としての一日は早い。

 まだ日が出る前には目を覚まし、朝の務めを果たす。


 所詮は俺だって人間なんだ。朝が辛くないと言えば嘘になる。特に、冬の朝は布団の魅力に負けそうになることだってある。

 それでも、俺が重たい瞼を開けるのは、褒められたものではないが神父としてというよりも……。


「おはよう、寝坊助さん」


「チェストぉぉぉ!」


「そろそろ起きなゲヴォ!?」


 訂正する。

 やはり神父として俺は起きねばならない。そして、寝起きだとか関係なく戦わねばならない。


「ふふ、顔が凹んでしまったではないか。朝から激しい雄だな」


「やかましい! ひと様の布団に潜り込んできやがって、この糞悪魔が!」


 目を開けたら隣に全裸の悪魔が俺の布団の中に潜り込んでドヤ顔を決めておりました。神父仲間に相談しようものなら精神を心配されるような状況に、俺は本日一発目となる鉄拳を繰り出した。

 粘土細工のように顔が凹んでいながら平気で話し続ける全裸の悪魔。いや、正確には全裸というのは違う。俺たち人間とはそもそもの肉体構造が異なっているのか、隠さないといけない部位が存在しない。あえて言うなら黒色の全身タイツを着込んでいる風袋だ。

 どちらにせよ、朝一で布団に潜り込んでいてほしい存在ではない。


「其方が契約者であれば至高なる朝の時間を増やしてやろうと持ち掛けるところだ」


「いい加減にしろよ……!」


「残念ながらすでに吾輩は契約を結んでいる。一度に結ぶ契約は一つまで。これは吾輩の美学だ」


「今日こそは……!」


「そうとも、吾輩はアル! ココロのママ! アルがママである!!」


「そのふざけた契約を破棄してやるからな!!」


「そして、其方の妻だ」


「違うわッ!!」


「だーりん」


「やかましい!」


 起きて早々に二発目となる鉄拳を繰り出すことになった。

 なお、ここまでの会話はすべて小声で行われていることを追記させていただく。なにせ。


「ふふ、隣でココロが寝ているのに激しい男であるな」


「お前がその名を軽々しく呼ぶなって言ってんだろうが……!」


「吾輩はココロのママぞ? ママが娘を名で呼ぶは当然ではないか」


「そのママだっていうのを認めてねぇんだよ!」


 半年前。

 買い物から帰るとこいつが居た。


 娘の隣に全身タイツの怪しい男がドヤ顔で立っていれば父親としてどうする? それは勿論殴り続けたさ。全身にクレーターが出来ても平然としているところでこいつが人間じゃないと理解したわけだが。

 悪魔と抜かすこいつの弁をすべて信じたわけじゃないが、そうでなければ説明できない超常現象をその場で何度も見せつけられた。


 そしてドヤ顔で理解したかと言ってきたこいつを。

 今度は神父として殴り続けた。


「認めていない、か……。ふ、忠告してやろう」


「なんだ」


「決めるべきところは決める。それが男のゲヴォォ」


 決めるべきところ悪魔の顔面決めた鉄拳をぶちこんだ俺は、いい加減にベッドから出て、服を着替える。

 いつまでもこいつと同じ布団に入っていたくはない。


 なお、部屋に鍵でもかければとかは言わないでほしい。

 かけたところで鍵など、というか、そもそも壁すらこいつには意味を成さないんだ。


 ※※※


 娘と俺は血がつながっていない。

 こころは、八年前の冬の朝、教会の前に捨てられていた。


 名前は心です。

 ただそれだけが書かれた紙と、毛布にくるまれた小さな赤子。


 捨てるくらいなら、せめて堂々と俺に渡してこい。

 俺が朝早く起きていたからよかったが、寒い冬の朝に毛布でくるまれただけで籠に寝ている赤子がどうなるかなんて考えるまでもない。

 すぐさま知り合いの医者を叩き起こしたから事なきを得たものの、あと少し遅れていたら心は生まれてすぐその命を落としていた。


 神父として教会を任されているとはいえ、田舎のおんぼろ教会だ。

 隣町の教会に出張神父を行いながらどうにか食べていっている状況で、赤ん坊を養うなんてできるはずがない。

 俺は人間だ。神様じゃない。

 差し伸べられる手には限界があって、すべてを救えるはずがない。


 心を助けてくれた知り合いの医者が政府の施設をいくつか紹介してくれる時に、俺は心を育てようなんてこれっぽっちも思っていなかった。

 力のない正義感で誰かは救えない。そんなことは俺が一番わかっていた。


 分かっていたのに。


「むぅ!」


「ど、どうした心?」


「またママとけんかしたでしょ!」


「あれは喧嘩じゃなくて制裁で」


「いいわけはメッ!」


「ごめんなさい……」


 朝一で悪魔と戦い、

 寒い思いをして朝の務めを果たして、

 そして娘に叱られる。


 これが理不尽でないとすれば、世の中の何が理不尽だ。

 なによりも娘の後ろで悪魔がドヤ顔をしているのが腹が立つ。俺が怒られていることをせせら笑っているのではなく、ママだと言われていることを誇りに感じていると分かってしまっている自分に余計に腹が立つ。


「ココロよ、パパを叱るのはそこまでにしなさい」


 誰がパパだ。


「でも、ママのおかおがまたくちゃってなっているよ」


「案ずるな。吾輩の顔は変形自在である」


「うわぁぁ! すごぉぉい!」


 粘土細工の顔がぐにゅんぐにゅんと大回転している映像を見たとき、喜ぶ子供が純粋なのか、気持ち悪くなった俺が純粋でなくなったのかどちらかを決めていただきたい。


「夫婦とはもとは他人。ぶつかり合うことでお互いを理解していくのだ。これを、人間の言葉で、夫婦喧嘩は犬も食わぬという」


「わんちゃん?」


「そうだ」


 心の手前、あいつを殴るわけにもいかない。

 初対面でボコボコにしてしまったせいもあり、娘はすっかり悪魔の味方である。神父の娘なのに。


「でも喧嘩はメッ」


「で、あればどうすれば良い。ココロは分かるか」


「仲直り!」


「うむ」


 元通りになった悪魔の顔は、やっぱりドヤ顔だった。

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