第2話

 ユニットバスというものを初めて使ったのは今年の2月、受験で愛知に行った時だ。試験自体は1日で終わるし、午後からだったのだが、心配性の私のことを案じて、父がホテルを予約してくれていて、前日から会場の近くに止まることになっていた。そのホテルが、ユニットバスだったのだ。シャワーカーテンなんて言うのも初めての経験だったので、昼頃部屋に入ってその様子を見てから、スマホで念入りに使い方を調べた。こういうどうでもいいものでも、きちんと調べないと気が済まないたちなのだ。この間のいとこの結婚式の前も、散々マナーや振る舞いを調べて行った。

 この試験に無事合格して、今は一人暮らしをしている。部屋を決める時、母は風呂とトイレは別にしたら、と言っていたが私はユニットバスというものに特殊性というか、なんだか思い出の一部のような感覚がしてしまって、敢えてユニットバスの部屋を選んだ。

 住み始めて9か月たち、今はもう年の暮れである。ずいぶん寒くなって、ユニットバスはその空間全体が湿り、すぐに冷えて触れるところ全てが冷たい。悪いところがもう一つ。鏡が曇る。小窓くらいの大きさの鏡があるのだが、風呂を使い終わって居間で髪を乾かし、また戻ってきて少し使おうと思うと、これが30分ほどずっと曇ったままなのである。最近は寒さの影響もあってか、余計に曇っている時間が長い。

 そんなことを思いながら、手のひらで鏡をこすり、少し曇りが取れたところを使って今朝できてしまっていたニキビに軟膏をつけた。昔から肌は荒れやすい。これは数日しっかりつけて、あとが残らないようにしなければ。

 私が曇ったガラスが嫌なのは、使いづらいからという理由だけではない。怖いのである。ホラー番組とかを見るといろいろなものが気になって普段の行動がままならなくなってしまう性格なので、曇って何も見えないガラスを手のひらで拭ったときに、九に見えるようになったところに何か写ったら、と思うとそのたびに怖いのである。

 今しがたぬぐったばかりのガラスを見る。また曇りが侵食してきて、私の顔がぼんやりとしか見えなくなった。後ろの何もない白い壁との境界線も、曇ったガラスでは何となく色の判別がつくくらいである。

 翌朝、カーテンを開けると、外は雨だった。私の実家があるところは、この季節になると雨ではなく雪が降るようになってくるのだが、愛知ではなかなかそんなことはない。朝食を食べ、歯を磨きにユニットバスへ。水場はユニットバスの水道と、キッチンなので、私はユニットバスの方を歯磨きに使っている。ついでに顔を洗いたくて、シャワーからお湯を出した。誰も見ていないのをいいことに、怠けてばかりで色々を一緒にやってしまう。しかしそこで気づく。お湯を使ってしまった、顔を洗って鏡を見ると、案の定少しの間だけだったのに、もう曇りが鏡を侵食していた。これから使いたいところなのに。やってしまった。学校が午前からある日だったので、少し焦りながら鏡をぬぐおうとした。手を当てたとき、なぜかドキッとした。不意にやって来るこの嫌な予感。的中したことはないが毎回背筋がヒヤッとする。まあ気にしていても仕方がない、と思い切って鏡をぬぐった。曇りが取れて、こちら側が映し出された。

 ほっとした。よかった、何も映っていない。白い壁が見えるだけである。肩越しに髪の長い女が、というような良く想像してしまう怖いシチュエーションを想像していたばかりに、のっぺりとした白い壁は私を安心させた。


 ぎりぎりの時間で支度をして部屋を出て、自転車をこいでいると、急にトイレに行きたくなった。学校についてからあんまり時間がないけれど、それくらいの時間はあるだろう。少し急ぎ目で学校へと向かった。

 到着してすぐにトイレによった。手を洗ってハンカチで手を拭いているとき、ふと鏡を見た。曇りのない鏡。急いで自転車をこいだ影響が髪の乱れに現れている。朝は寝ぼけていて気にならなかったけれど、また新しいニキビができてしまっていた。じっと鏡に寄り、私の顔を見た。私の顔をじっと見つめる、私の顔を。そして気づいて、トイレから、鏡の前から逃げ出した。

 

 私は今朝、気づかなかった。寝ぼけていたからだ。曇った鏡をぬぐったとき、髪の長い見知らぬ女が立っていることはなかった。しかし、鏡の前に立っている私の姿も、なかった。

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