ごめん
「俺も今朝、妙だなという気はしたんだ。あいつは普段あんな朝早くに来る奴じゃない。遅刻ギリギリだ」
堀内さんが先に行ったあと、慧が少し呟いたことを思い出す。
「まあそれぐらいは気まぐれだと言われてもおかしいとまではいかない。俺も珍しく今日は早かったからな。ただ何か理由があって早くに来たのだと考えるとなお頷けるだろう。俺は思った、こんな時間に何か用事でもあったのかと。ま、思っただけであのときは気にも留めなかった。あいつに用事があろうがなかろうが興味ない」
慧は、いつも以上に饒舌だった。
「そしてお前が図書室で堀内に会ったこと、俺のファイルを持っていたことを聞いて、すぐにピンと来た。なぜ俺のファイルなんて持っていったか。当然そこにある何かが目的だったからだ。朝、あいつは知ったな。あの中には……俺の睡眠時間の結晶体、スウガクノシュクダイがあることを」
口を結んで俯く僕に、慧がスリッパを脛に当ててくる。
「笑えよ」
笑う。
もう一度、つつかれる。
「下手か」
無茶な。
「でも、登校中に会ったのは偶然だよね」
もし登校時間が重ならなければ、堀内さんは慧の宿題のことを知ることはできなかった。
「いいや、捉え方が間違ってる。あいつは確かに偶然にして宝の在りかを知った。しかしそれは不幸中の幸いだと言っていい。俺があいつの来た時間に疑問を覚えるように、あいつからしたら俺の来た時間に驚いたことだろう。俺とは出くわしてしまったんだ。もし俺が普段通りであれば、どうなっていた?」
ほとんど誰も来ないような時間帯、教室には堀内さんひとり。
「あいつは最初から教室で物色するつもりだったんだ。誰かの机に完成した冊子がありはしないかと。そのために朝早くに来ていた。まああれがお前の登校時刻だとなれば、あいつの朝早くは見込みが甘いな」
朝の時間を思い描いて、僕は疑問を呈す。
「待って。朝に、いや放課後でも、あれだけ量のあるものをうつす時間なんてなかったはずだよ」
朝は八時ごろからみんなが登校してくるまでの時間なんてあっても一〇分ほどだ。放課後も、僕が図書室に行ったのは午後四時過ぎだが、下校時刻まで見ても時間は一時間もない。図書委員の仕事もありながらでは不可能では。
慧の返答は早かった。
「あいつがどの程度うつすのか知らないが、仮に一から十までだとしても、いま全てを手でうつす必要はない」
慧はポケットから携帯を取り出した。
「あ……」
「こいつがあれば、な。写真に収めるだけの時間があれば充分だ。ほんの数分。あとは家に帰ってからゆっくり書きうつせばいい。写真部の風上にも置けない行為だがな」
そんな簡単なことにも気がつかないとは。だめだな、今日の僕は。まるで頭が回ってない。
いや別に、今日に限ったことではないか。
「これは邪推かもしれんが、写真に収めれば、複数人で共有するつもりだという可能性も考えられる。その場合、集団で同じ解答結果とあっては露見する危険性は高まる、少し改変するのがベストだ。あいつにそこまでの頭があるかな」
「……」
「何か言えよ」
「ごめん」
慧にデコピンされる。
「謝ってどうする」
慧は呆れた声を出す。
「あいつは不幸中の幸いで、俺との会話から目的のものに当たりをつけた。大当たりだ。俺だからだという意味ではないぞ。写真部だからだ。同じ部だから俺が今日の放課後、部室にいると知れる。俺と出くわし朝に実行することは叶わなくなった代わりに、放課後の図書室なら安全に俺の宿題を借りてうつせるとわかった。ご丁寧に学校に置いて帰ることまで教えて、友達のいない俺は恰好の的だったろうよ。露見する心配はない。……本来はな」
でも偶然は重なった。僕は弥一の話を受けて、図書室に行くことにした。
「あいつは、お前に見られた。俺に関わりのある、お前に」
慧が僕に人差し指を向ける。そして鼻を鳴らす。
「運に散々振り回されるな、今日のあいつは。どう思っただろう、お前を見て。焦ったか」
わからない。驚いては、いたような。
「さあ、これであいつの所業の証明は完了だな。どうだ、反論があるなら受けつけるぞ」
慧はまるでゲームでも終えたかのように振舞う。
まだ、疑問はある。
「どうしてファイルごと持ち出したの。中から宿題の冊子だけ持っていけば、僕はそれが慧のものだと気づくことはできなかったと思う」
慧はそれを予期していたかのようにすぐに答える。
「俺に知り合いの一人はいることがわかったんだ。教室でファイルをまさぐっているところを見つかるリスクのほうが高いと判断したんじゃないか。見分けるのにそう時間はかからないが、どっちを取るかは天秤にかけられる」
なるほど。
「あるいは、もっと別の天秤があったのかもな」
慧は腕を組んで、低い声で言う。
「危機感と好奇心の天秤」
背筋に寒気が走った。
「ファイルを持ち出すリスクより、変わった柄、変わった持ち主のファイルの中身を見る好奇心のほうが勝り、持ち出した」
人より好奇心の強い僕には、ありえると思ってしまった。
「まあ見られて困るものなんて何も入ってないがな」
「それはよかった。……いや、ちっともよくはないよね。ごめん」
慧がまたスリッパで足を蹴ってくる。
「謝るな、こんなしょうもないことで。しかし取り返すのも面倒だ。返ってくるなら見逃すさ。下手なことして逆恨みされても面倒だしな」
嘘だ。
慧は自分で見て気づいたのなら、誰が相手だろうと物怖じしない、逆恨みなんて気にせず取り返しにいく。
今回そうしないのは、発見したのが僕だからだ。慧が堀内さんを問い詰めれば僕が告げ口したとわかる。僕を気遣って慧は諦めると言っているんだ。
「……ごめん」
「だから、なぜお前が謝るんだ。お前が何か悪いことでもしたか?」
僕が何もしなかったから、いけないんだ。
「……ごめん」
謝っても仕方ないのに、謝ることしかできない自分が恨めしい。
沈黙が下り、空気が重くなる。
それを破るかのように、ドアが勢いよく開かれた。
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