二 あべこべ

朝の愚痴

 睡眠時間は、中学生、高校生と育っていくにつれて段々と少なくなりがちだ。部活や勉強による時間消費が多くなり、遊びや趣味のためにそうなるのは自然なことだ。

 睡眠時間の減少は睡眠不足に繋がり、夜更かしの反動か、朝が苦手だという人の割合は多いように思う。

 僕は夜一〇時から一二時の間に寝ている。睡眠は充分に取れているので、目をしばたかせて一度大きく伸びをすればさあ一日頑張ろうと起きることができる。

 しかしそれでも絶対に寝坊しないとは言い切れない。

 大体いつも決まった時間に起きてはいるが、疲れた次の日などは三十分ぐらい長く寝ていることもある。

 忙しない人生を起伏に富む山道に例えるなら、睡眠は天候として不可抗力的に歩調を左右するものに当たると言える。ならば遅刻という現象が起きてしまうのは仕方のないことで、それを責める文化も考えものかもしれない。


 隣で大股に歩く泉慧いずみけいにそう話すと、「本当に全ての遅刻が仕方ないで片付くなら、それを責める文化がそもそも生じなかっただろうな」とこの上ない正論で返された。

「まあそうだけどさ」

 僕は口を尖らせる。

「慧は遅刻を正当化したいんじゃなかったの」

 僕がいまの話をしたのは、他ならぬ慧が「眠い眠い」と言いながら、この春の活気に溢れた新緑が眩しい通学の道のりに、なぜ人類は時間などというものを定めたんだとか何とか時間厳守の規律に対する不満を溢すからだ。

 しかも慧が言いそうな感じで言ってみたのに。

「フォローのつもりだったのか。それは余計な気を遣わせたな」

 慧とは中学からの仲だ。一八〇ある高身長に恰幅の良さも手伝って存在感がある。短い髪はもう見慣れたものとなっているが、中学一年のときは長髪だった。

 中学では喧嘩が強いことで知られていたけど、僕としては口が立つという印象のほうが強い。


「誤解しているようだが、俺は別に遅刻についてとやかく言いたいわけではない。俺は自分勝手な人間ではあるがな、学校というシステムが潤滑に運営されるために時間の規律を設けることは妥当だと考えるぐらいには寛容だ」

 ああ、これだ。

 この淀みなく出てくる理屈っぽい言い回し。自身を自分勝手だと言ってのける人物を、僕は慧のほかに知らない。

「あれ?」

 ただその慧の主張は僕の記憶と食い違っている。

「……中学のときは結構遅刻してなかったっけ」

 むしろ慧は遅刻常習犯だった。

「妥当と思うからといって、規律を守るかどうかは俺の都合次第だ」

 ううむ。

「勝手だ」

 自称するだけのことはある。

「そうは言っても、俺はもう遅刻するわけにはいかない」

 目を見開く。

「へえ、高校生になったし流石にちゃんとしようって?」

 慧は愚痴を零しながらもこうして遅刻せず来ている。成長したものだ。

「今月はもう、使い切った」

「……使い切った?」

 聞き慣れないフレーズに首をひねる。

「お前は知らないか。月に三回以上遅刻をすると、反省文を書かされる。つまり、ひと月に二回までなら遅刻が許されるわけだ」

 偉いと思えたのは一瞬だった。

 それは遅刻を重ねるとペナルティがあるから気をつけましょうということだよ。

「もう二回も遅刻したんだ」

 慧は悪びれもせず首肯する。

 まだ二週間しか経っていないのに。

「で、今日は反省文を書きたくないから遅刻できなかったと」

「ああ、俺はもう今月遅刻するわけにはいかない」

 苦笑する。慧らしい。

「……あれ」

 少し変だ。

「……じゃあどうして、こんな早くに登校してるわけ?」

 時刻は八時、遅刻どころかまだほとんどの生徒が登校していない時間帯だ。もっと時間ギリギリまで寝ていればよかったのに。

「そういうお前こそ、普段からこんなに早いのか」

「まあね」

 いま一緒に登校しているが、これは待ち合わせたわけではない。偶然、交差点で信号待ちをしている慧に会ったのだ。

「殊勝だな。……俺は昨日ろくに寝られなかった」

「うん」

「遊んでたわけじゃないぞ。正当な理由がある」

「ふーん?」

 続きを促す。

「今日提出しなければいけない数学の宿題があった」

「おお」

 本当に正当な理由っぽい。

「お前信じてなかったな?」

「いやいや。宿題って、もしかしてあの冊子になってる感じの? 中学の復習って書いてる」

「それだ」

「慧のクラスでも出てたんだね。僕のところでも出たよ」

 両面刷りのA3サイズのプリントが半分に折られ、ご丁寧に水色の表紙までつけてホッチキス止めされた冊子。それが僕らに課せられた高校数学への登竜門だ。

「あれも正気の沙汰とは思えない。まず内容が中学の復習なのがおかしい。高校に合格したということが中学の学習は充分に学修できていることの証明じゃないか。なざそんなことしなければならないんだ」

「確かにね」

 口角を上げて同意する。

 復習って、そういうものだよと思いながら。

「そして何より、俺が声を大にして言いたいのはな」

 慧は息を吸ってから言う。

「入学早々一週間で二〇ページもある冊子を課す奴があるか」

「あはは、それは本当に」

 慧にしては直球な愚痴に、笑わされる。

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