隠れた文字

 昇降口を通り過ぎると少し奥まった場所があった。千日紅さんは身を隠すようにその壁に回り込む。

「ここで」

 奥に小さな部屋があり、いまは閉まっているようだけど「購買部」と看板が出ている。

「うん」

 少し隠れた場所での内緒話か、気分が上がるね。

 別に内緒ではないんだけど。

 正面に立って、話を始める。

「お花見と言ったのは少し大袈裟なんだけど……本物の花を見るわけではなくて、単刀直入に、これのこと」

 携帯を出して例の写真、モノクロの花柄フレームを見せる。


https://kakuyomu.jp/users/yuzukimidori/news/16817330650338963912


 千日紅さんが目を凝らす。座席表の四方を覆う枠組みには花や葉っぱ、蔓の模様が細かく敷き詰められている。

「確かに花ね。桜と、桐の花」

「桐?」 

 僕は桜だけしかわからなかった。

時高校だから、桐の花か」

 もしかしてと思い、制服の金色のボタンの柄を見てみる。同じような細い枝に小さな花がついたデザインだ。気づかなかった。

「これ、他のクラスよね?」

「うん」

 座席表の左上に「1年5組」と書いてある。

「二組のは普通だった」

「そう……気づかなかった」

 誰もそのことについて話している様子はなかったし、ほとんどの人が気づいていないのではないか。

 色がついていないこともあり、あまり目立たない。

「不思議なことにね、すり替えられたのは入学式の間なんだ。いや、座席表はそのままだからすり替えではないか。フレームがつけられた。登校してきたときも体育館に行くときも普通のクラス表だったのに、戻ってきたらこうなってたんだ。面白いでしょ」

「よく見てる」

「あはは、たまたま五組のは見てたんだ」

 千日紅さんは真剣な眼差しで、画面をじっと見ている。

 そう、まだ終わりじゃない。

 難しくはない、見るからに目立つ箇所がある。

「……文字」

 その通り。花のフレームの下部分、花や蔓に紛れてそこだけ濃く書かれた部分がある。それが文字の形をしている。

「葦手……みたいなものかしら」

「アシデ?」

「文字を水辺とか自然の背景に紛れるように入れたデザインのこと」

「へえ、本当に物知りだね」

「たまたま」

 肝心の文字の内容だが、ひらがなだけにわかりやすい。

「『おめでとう』」

 千日紅さんが読み上げる。

「どう思う? 僕は、クラス表に細工して入学を祝ってくれたのかと思ったんだけど。この学校にそんな粋なことをする変わり者がいるんだって」

 面白がる僕に対して、千日紅さんは眉根を寄せて顔を険しくさせる。

「どうかしら」

「何か他の意味がありそう?」

 彼女は首をかしげる。

「……まだわからない。ねえ、こんなふうになっていたのは一年五組のものだけ?」

 問われて思い起こす。

「……二組から四組がそうでなかったのは確かだけど、他はわからない」

 体育館からの帰り、中央階段を使えば廊下の反対方向に行くことはない。そして二組の向こうの一組まで行くこともない。

「柿原くん、全クラスの座席表を確認したいのだけど、時間は大丈夫?」

 千日紅さんが背後の昇降口の方に目を向けながら訊く。

 全クラスとは、本格的に調べる気満々のようだ。

「うん、問題ないよ」

 話を振ったのは僕のほうだ。お腹は空いてきたけど、謎解きみたいになってきて楽しい。

 千日紅さんなら何か驚くような発想をしてくれそうな期待もある。


 彼女の後ろについて、一階体育館手前までの三年の教室から南階段と北階段を交互に使い四階端、一年一組まで全ての学年のクラスの前を通って回った。

「どのクラスにも座席表はあったけれど……」

「装飾があったのは一年五組だけだったね」

「なくなっているなんてこともなかった」

 そうだ、確かにフレームはさっき見た通りついたままだった。おかげで実物を見せることができた。

 北階段から下りる途中、窓から図書館棟へと続く渡り廊下が目に入った。

「あそこで話さない?」

 指差して提案すると、彼女もこくりと頷いた。

 話をするのに雰囲気が良さそうに見えた。


 渡り廊下に出る扉の鍵は開いていた。手すりをなぞりながら数歩進む。日陰はほとんどなく見通しがいい。

 階下に正門とそれに続く桜の木が見える。

 記念写真を撮っている人が多い。立て看板があったあたりには列までできている。

「満喫してるなあ」

 まるでそれが目的で来ていたかのような様子に笑みが零れる。

 僕も負けず劣らず楽しんでいるけどね。

「もう一度、携帯の写真を見せてもらってもいいかしら」

 向かい側に立った千日紅さんにそう頼まれる。

「いいけど、それなら実物を見に行ったほうがいいんじゃない?」

「……人がいるから」

 もうどのクラスもHRを終えていたけど、さきほど通りすがりに見たところおおよそ半数ほどはまだ教室や廊下に残っていた。

 よほど人混み苦手なのか。それとも同級生を避けたいのか。そういう配慮をしたわけではなかったが、ここなら人が来そうにない。図書室も今日は閉まっていそうだ。

「はい」

 僕はその写真を開いて携帯ごと渡した。

「ありがとう」

 千日紅さんにお礼を言われた。何気ないことだけどちょっと嬉しい。

「……『め』がつぶれてる」

 唐突に物騒なワードが出てきて吹く。

「怖いことを言うね」

 目を覆う。

「違う」

 真顔で言われた。

 千日紅さんが携帯を反対向きにして、画面を見せてくれる。

「『め』の字だけが他と比べて高さが低いでしょう」

 見てみると確かに「おめでとう」の「め」の字は他の上半分に圧縮されている。

「それだけじゃない。右の三つは幅が狭い」

 千日紅さんが付け加えた通り、「で」「と」「う」は半角にでもなったかのように細く「お」「め」の半分ほどの幅だ。

「普通なのは『お』だけ」

「『お』だけ大きく見えるぐらいだ」

 お、だけに。何でもない。

「全体的にアンバランスだね」

 五つの文字は大きさがまばらなだけでなく、奇妙な距離感を持って配置されている。

「でも統一しないといけない決まりはないんじゃない? デザイン的にそうなったとか」

「……ええ、そうね。そう言われれば納得するしかない。けれど……何か意図があるように思う」

 千日紅さんは割り切れないようで、携帯を自分のほうへ戻して画面に集中する。

 そして、独り言のように小さく言った。

「……隠れている……『北』」

「北?」

「ええ。この『と』、カタカナの『ヒ』にも見えるような部分が『北』に字になってる。左側も含めれば」

 何度も交わすのは手間だと思ったのだろう、千日紅さんが隣に来て携帯を一緒に見る。

「……言われてみれば」

 唐草のような蔓が途中で切れて、その先の蔓と右の「と」を合わせると丁度「北」の字だ。もはやそうとしか見えない。

「これが『北』を書いたものなら、『お』と同じサイズになるから、だと思わない?」

 はっとした。

 他の字も同様に、不自然なサイズは別の文字の一部としてデザインされているからだと思うと、そこには同じ大きさの五つの文字が綺麗に並んでいるように見えた。蔓も文字と文字の間を区切るかのような切れ方をしている。

「『おめでとう』が隠されているのではなく、『おめでとう』隠されているのよ」

 千日紅さんがそう告げた。

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