どうして

「以上を持ちまして、桐時高等学校入学式を閉会いたします。一同、ご起立ください」

 入学式は滞りなく執り行われた。

「令!」

 教頭の声が会場に響き渡る。

「ご着席ください。……えー、それでは、新入生、退場! ご臨席の皆様、どうか盛大な拍手でお送りください」

 背後で扉の開く音がした。

 我らが二組の担任、坂井先生が先導し一組に次いで退場する。会場の詰めた空気から解放され、深い息をつく。外の空気が美味しい。長く座っていたので体が強張っている。

「教室に戻って」

 坂井先生が手で誘導しながら生徒に呼びかける。


 中央階段を上がって教室への帰り際、五組のドアに違和感を覚えた。見ればすぐに正体はわかった。

 座席表だ。僕が朝に見たものとは違う。そこには装飾がなされていた。手書きの、花のフレームがつけられている。桜の花、かな。

 こんな洒落た仕込みがあるのだろうかと自分のクラスに戻ってみると、そこには朝見たものと変わらず無味乾燥な座席表が貼られているだけだった。

 口元に笑みが浮かぶ。

「面白いね」

 五組まで戻って「特別なクラス表」を携帯のカメラに収めた。

 中学までは携帯を持ってきてはいけなかったから、こうして気軽に写真が撮れるようになったのは便利だ。といっても、授業中は使用禁止だ。いま使うのは、グレーかな。

「何してるんだ、そんなとこで」

 背後から肩を叩かれた。振り向くと和田くんがいた。

 この不思議なことについて、ぜひとも誰かと話したい。

「……いや、何もないよ。教室に戻ろう」


 入学式後は担任の挨拶とこれからの予定表などのプリントが配られ二十分ほどでHRは終わった。

 号令がかかると、千日紅さんはすぐに席を立ち教室から出て行った。すぐに帰ってしまうと考えていなかったわけではないが、慌てる。あるいは、僕の心の準備ができていないのかもしれない。

 帰り支度を整えてあとを追う。他のクラスはまだHRが終わっていないらしい。中から笑い声も聞こえてくる。

 担任が面白いのもいいけど、今日だけはあっさりしていてよかった。時間のゆとりがほしい。

 いまはまだ十一時半前だけど、あまり長く引き留めるのはよくない。それに、周りに人がいないほうがいい。

 一階に駆け下りると、下駄箱へ向かう千日紅さんの姿があった。

「千日紅さん!」

 僕の呼びかけに足を止めた。呼吸を整えながら、ゆっくり近づく。

「追いついた」

「……どうして」

 振り向いた彼女は目を見開いてそう呟いた。もう話すこともないと思っていたのだろうか。


 どうしてと言いたいのは僕もだ。

 ずっと考えていた。千日紅さんの態度が急に変わった理由を。

 あのとき、時間を気にしていた。そのあと起こったことは何だったか。みんなが登校してきた。つまり千日紅さんは、のでは。

 そして、自分の性格や友達がいないことを打ち明け、ひとりでいたいと言った。しかしわざわざだろうか。

 ただ放っておいてほしいだけなら、自分のスタイルを打ち明けるだけでよかったんだ。自分は友達を作る気はない、ひとりの方が楽だから、と。


 その二つが意味すること、彼女がなぜ僕を遠ざけたのかの答え。

 千日紅さんは、自分なんかと仲良くしていてはクラスで浮くことになるから話すべきではないと考えたんじゃないか。

 つまり、「わたしに構わないで」と言ったのでは。他のクラスメイトが来る前に。

 どうして、そんな。

 余計なお世話だ、と遠慮なく言うことは僕にはできない。本当はそう怒るべきかもしれないけど。

 こぶしを握る。

 その代わり、自分に自信を持って、思い込むことにする。

 彼女も、僕と話すことを楽しんでくれていたと。あの笑顔は嘘ではないと。

 話す気がなかったにしては、いろいろ和菓子のことを話してくれた。僕が「花より団子」なんて言うから、話してしまったんだとしたら面白い。

 和菓子好きで、お茶目な千日紅さん。

 僕は得意の笑顔を浮かべて、持ちかける。

「実はさ、面白いことがあったんだよ。千日紅さんに話したくて。ちょっと変わったお花見の話……どうかな」

 伝わるだろうか。どういう意味を込めてそう言ったのか。

「……いいの?」

 彼女はためらいを含んだ上目遣いになる。

「いいよ」

 温かい気持ちになる。よかった。

 千日紅さんは巾着を持った手でもう片方の腕を抱えた。

「聞きたい、お花見の話」

 その表情には明るさが戻って見えた。

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