A-7

 父さんが気持ちの中でふわっと現れたのに、お昼ご飯の時のように涙は出てこなかった。

 むしろなんで父さんが僕の脳裏に現れたんだろう…なんて事を考えている暇もなく、僕を茶化してくる洸と深結。


「先輩はハードル高いわよ~!まぁ、見ててもわかると思うけどっ!」


「本気なら俺は全力で応援するぜ!男が男を好きになろうが人を好きになる気持ちには変わらんだろ!!」


 2人は僕の肩をポンポンと叩いてくる。僕が先輩のことを好き?なんとも複雑な気持ちだった。


「もぉ~…そうじゃないってぇ~///」


 それでもなんでだろう、嫌な気持ちにはならなかったけれど、僕は絞り出すような声で2人に返していたんだ。


 そんなことしているうちに、先輩達がセッティングを終わらせ演奏を始めるところだった。


「お…!始まるわよ…どんな演奏と唄声で周りを楽しませてくれるのかしら…すっごくワクワクする…!」



 さっきまでの黄色い歓声は一瞬にして静まり返り、軽音部の演奏が始まった。

 軽音部のパフォーマンスは一瞬で周りを圧倒するほどの演奏だったんだ…。


 響き渡る心に刺さる楽器の演奏


 透き通り心に染み渡るプリンスの声


 女子の黄色い歓声と盛り上がるステージ


「か…かっこいい…」


 大きな音と先輩の歌声に僕の本音がポロリと溢れ出ていた。そして…なにより、プリンスの歌声と輝きが僕の心に沁み渡っていく。


 そんな僕に深結が耳元で

「プリンスの名前、凌空りくって言うらしいよ!」


(凌空、先輩…)


 凌空先輩との出会いで、これから僕の心がどんどん変化していくことになるなんて、この時はこれっぽちも考えていなかった。なんでだろう…凌空先輩を見ると、僕はドキドキしてしまう。


(一目惚れ…多分、僕…先輩の事、好きになっちゃったんだ…)


 そんな思いで先輩達の演奏を最後の最後まで見届けていたんだ。


 演奏が終わり会場のボルテージは最高潮になっていた。女子生徒やファンの黄色い歓声の中で凌空先輩がみんなに向かってコールを送る。


「みんな、今日は見に来てくれてありがとう。新入生もようこそ軽音部へ!学年問わずにまた聴きに来てくれたら嬉しいな。」


 凌空先輩や他の先輩がアクションを起こす度に大きな歓声が拡がる。

 そんな歓声の中で、凌空先輩が続けた。


「今期からベースとドラムが1人ずつ欠けるんだ。興味のある子はオーディションに足を運んでほしい。みんなで歓迎させて貰うよ!」


 凌空先輩の言葉に、僕と洸は驚きのあまり深結の顔を見て「オーディション!?」と声を揃えて発したが、僕たちの言葉に深結は逆に驚いていた。


「え!?そりゃそうだよ!このメンツに入るって事はそれなりの覚悟で行かないといけないし、今の演奏を聴いていたら2人も分かるでしょ?!オーディションはSNSでも募集が上がっていたし、私はもう事前申し込みしてあるよ♪」


 オーディションで受からないと入部出来ない軽音部って…開いた口が塞がらない僕と洸。

 そんな僕らの気持ちとは反対に気合満々の深結。


「明日早速、軽音部のオーディションなの!2人とも応援してくれる??」


 やる気にみなぎる深結に僕と洸は「もちろん!」と笑顔で返してあげると、僕たちの答えに深結も満面の笑顔で返してくれたんだ。


「よし!気合いも入ったし、最後は紡の部活に行ってみよう!」


「…料理部か、俺、お腹空いてきたな…」


「洸ったら!いつでもお腹空いてるんじゃない?」


 あははと笑いながら、僕たちは料理部へ向かうためにスタンドから腰を上げた。


 スタジオを立ち去ろうとしたその時、洸がまた僕の耳元でそっと囁いてきた。


「紡…ちゃんと先輩を見てやれ…」


 えっ…どういうことなの…?洸の小さな言葉で凌空先輩の方に目を向けてみると、さっきより優しく、僕に視線が向けられていたんだ。


 僕は恥ずかしさのばかり顔が紅潮し、凌空先輩に見えているか分からないのに、少しニコッと会釈をして、足早にその場を後にしたんだ。


(先輩のあの目で見つめられると胸が引き裂かれそうな感じになる…)


 そんな僕の気持ちに気付いたかのように、その後は先輩の事を多く語ることも無く、深結と洸は優しくそばにいてくれたんだ。

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