第四話


 ◇ ◇ ◇ 二日目 午前九時 四分


「おい、それは本当かっ!?」

「本当だって。俺にしては大金星やろ?」

「良くやった。今日は夕飯を食って良いぞ!」

「毎日飯食っちゃだめなんっ!?」

 朝。俺は寝起き姿でケセムと電話をしていた。

 窓の外ではガキ共が、一輪車がどうとか騒いでるが俺の機嫌は良い。

 何故ならば朝から家のパソコンで『殺人鬼』を調べてみたら、身元が分かったからだ。

 勿論。リアルではなく、ゲーム内の身元だが……。

「それでどうだった?」

「名前はホズ。職業は大学教諭で、職場はモダンバレーキャンパス……俺も通ってた設定の大学じゃねぇか!?」

 このゲームはキャラクター毎に、ステータスとスキルに合った設定が用意される。

 俺であれば一般家庭に生まれ、大学に通っていたがギャングに。

 それが原因で警察に捕まり、前科者になった過去があるらしい。

 主にデメリットスキルに影響された設定だろうな。

「そこはどうでも良い。身元さえ割れれば、後はどうとでもなる」

「おっと、それだけやないで? 今どこに居るのかも分かる」

 SNS様様やな。リアルじゃ考えられない、原始的なシステムだけど問題無い。

 大学生徒の投稿を見つけて、画像検索してみたら一発だ。

 名前に住所。最新の投稿を探せば、どの辺りをブラついているかも分かる。

 今は大学の裏サイトを利用して、大体の現在地を割り出している訳だが……。

「…………近い」

「何? 何が近いんだ?」

 SNSに書かれた現在地と写真は、俺の家からそう遠くない通りだった。

 何人も殺してきた連続殺人鬼が、近所を歩いてるなんて勘弁して欲しい。

 俺はケセムに急いで来て貰う事を決意した。スキルだの何だの言ってられっか。

 そう思ったその時。家のチャイムが突然鳴り、俺の体が跳ねあがった!

「俺の家の近くに、ヒィッ!?」

 入口のチャイムだ。少し壊れていて、怪我した小鳥の鳴き声みたいな音がする。

 俺がぎょっとした顔で玄関を見ていると、続いてノックの音が部屋に転がった。

「はぁ、はぁ」

 俺は死神の足音を聞いて、巨大なストレスに荒く息を吐く。

 電話口からは俺の様子を聞いたケセムが、騒ぎ出している。

「おい、大丈夫か、奴が近いんだな!? そこで待ってろ!」

「あ、あぁ、来客みたいや……頼むから、早く来てくれぇ」

 控えめなチャイムが一度、二度と続く。

 その度に俺の口内がカラカラに渇き、鼻水が出てくる。

 俺は椅子から立ち上がると、ゆっくりと玄関に向かった。

 勿論、携帯とチャカをズボンに突っ込む事は忘れない。

「すみませぇ~ん」

 初老だろう男性の呑気な声だが宅急便だろうか?

 俺は警戒しながら、ドアアイから来訪者を確認すると……居ない?

 ドアアイから覗いた先には、誰も居なかった。階段の壁が見えるだけである。

「行ったか?」

 思わず、口から安堵の言葉が漏れた。

 宅急便か何かが来て、留守だと思って帰ったのだろう。

「後はケセムが来るまで、この部屋で籠城やっ!」

 俺は自分に言い聞かせる様に呟き、玄関に背を向けた。

 だが悪い予感というのは不思議なモノで、いつだって当たる。

「君、そこにお仲間は居ないんだね?」

 それは虫けらを踏み潰した愚痴にも似た、無機質な声音だった。

 同時に俺はドアアイの決定的な欠点に気付くっ!!

「テメェッ、ドアに張り付いてっ!?」

 瞬間、二つの気配が膨れ上がった。

 一つ目は、ドア越しに膨れ上がる来訪者の殺気。

 二つ目は、システムアシストによる俺の危機察知能力。

「『悪鬼の心(キラー・ハート)』」

「クッソォオオッ!」

 俺は背後から聞こえたシステム音に、脇目も振らずにベランダへと走る。

 すると背後で扉が爆破されたっ!

 腹の奥まで重低音が響き、俺の背中を熱と衝撃が舐める。

 俺はベランダの手すり壁まで辿り着くと、そのまま飛び降りるっ!

「グゥェッ!?」

 受け身も取れずに地面に叩きつけられ、上手く立ち上がれない。

 そんな俺の頭上からは、家の小物がお構いなしに降り注ぐ。

 手榴弾か……爆弾か。どっちにしろふざけやがってっ!

「オノイチッ、無事かっ!?」

 懐の携帯電話からケセムの怒鳴り声が聞こえる。風切り音で聞こえない。

 バイクをかっ飛ばしている様だが、悠長に待っている時間は無い。

「無事じゃねェわっ、俺のアジトがぁっ!?」

「時間を稼げっ」

 俺が飛び出した窓へ視線を向けると、一人の男がベランダから黒煙を背に立っていた。

 血の様に赤いワイシャツにダークスーツを羽織った、金髪オールバックの白人男性だ。

 特徴的なのは、胸元に朝日を反射する缶バッジを身につけている事か。

 年頃は四十歳位で、高身長細身なスーツ姿からは神経質な印象を受ける。

 その姿は俺が調査した『殺人鬼』そのもので……。

「こんな所に居られっか!! 俺は逃げさせて貰うっ!!」

「バッ!?」

 違法ゲームとは言え、痛覚は弱く設定されている。

 俺は痛みの収まった体を起こして、スラムの路地を走り出す。

 背後から何かが飛び降りる音……追って来やがったかっ!

「退け、退け退け退けェッ!」

「危ねェだろ、クソ野郎ッ!?」 「FUCK YOUッ!!」

 スラムの住民や通行人の悲鳴をBGMに、俺は薄汚れた路地を走る。

 驚いたギャングやジャンキー共が、空に発砲を繰り返し混乱を増長させていた。

 俺はそんなクズ共を押し退け、『殺人鬼』の射線を切る為に曲がり角を多用する。

「逃げられはせんぞっ!」

「知るか! 戦ってられっかよ!!」

 狭い路地に置かれた木箱やら、ダンボールハウスを飛び越える。

 スプレーアート地帯を抜け、開いた広場が見えてきた。このまま警察署まで……。

 だが事態は収まらない。視界に突然レッドアラームが響く!! ゲームからの注意勧告だ!?

 違法アイテムを持って、政府建設物や警察署等に近づくと鳴るのだが……こんな所に、いやっ!

「高速道路っ!?」

 路地を抜けた先。広場だと思ったのは、高速道路のスマートインターだった。

 見れば見慣れた日本のゲートとは違う、簡素な関所の先には道路が続いている。

 高速道路はゲームシステム的に、乗物に乗っていないと侵入できないエリアの筈だ。

「追い詰めたぞォオッ!」

「ああ、やっぱりだ……『DO NOT ENTER』……クソッ!」

 俺の前方を光の壁が遮るが、背後からは『殺人鬼』の足音が迫ってくる。

 すかさず周囲を見渡した。どこか逃げる場所は……。

 スマートインターの左右は、三階建てのビルがそそり立っている。

 ビルの入口はシャッターで閉まっており、入れそうに無い。

 その前では一輪車で遊ぶガキんちょ共と、ケバブ屋のリアカー屋台の姿。

「死にたくない、死にたくない。死にたくない……あん?」

 周囲を改めて見る。正面にはスマートインターという名前の行き止まり。

 独り立つ電光掲示板が、嘲笑うかの様に道の行く先を点滅している。

 左右には外から侵入出来ないビル。囃し立てる様に騒ぐガキ共にケバブ屋。

 俺は思わずそこで、二度見してしまう物に気づいた。


 ◇ ◇ ◇ 二日目 午前九時 一四分


 俺は肌寒い空気と排気ガスの煙が混ざり合う高速道路を走る。

 普段のミリオン・パンクでは、高速道路は危険地帯の代名詞だった。

 頭のおかしいプレイヤー達が、重火器や改造車両を手に戦争をしているからだ。

 だが今は違う。後方へ流れ行く景色に、俺を追い越す車両の数々。

 俺のマシンは、高速道路のアスファルトを切り裂いて爆走する。

「うおぉぉ唸れぇ、俺の子供時代ィッ!」

 踏み込む度にプラスチックのペダルが、悲鳴をあげる。

 適正速度を超えている所為か……持ってくれ俺のマシンッ!

「KYAAAAAAッ!」「OH、CRAZY GUY!!」

「うっせェッ!、見せもんじゃねぇぞォッ!?」

 隣を走る運搬会社のトラックが、俺の写真を携帯で撮ってきたので中指を立てて追い払う。

 今はクソ民度のNPCに構っている暇はない。

 俺は小学生からかっぱらった一輪車を、涎を垂らす必死さと勢いで漕いでいた。

 そして一輪車という乗物の性質上、右手は空いており携帯で仲間と連絡も取れる。

「ケセムゥ、まだかぁっ!?」

「まだだっ! クソ、何でこんなに渋滞してる!?」

 殺人鬼が居るレッドオーシャンから、侵入禁止エリアというブルーオーシャンに逃れた。

 このままケセムと合流したいが、後方が妙に渋滞しているらしい。

 俺はその理由に心辺りは無かったが……理由が向こうからやって来てくれた。

 ソレは後方から鬼気迫る叫び声と共に現れる、一台のマシンだ。

「野郎ォッ、この私に恥をかかせやがってぇっ!!」

「うォォおっ!?!?」

 ピカピカ輝くネオンで照らされたボディ。雄々しく唸るラジオカセット。

 俺の一輪車とは違う、木製四輪駆動のボディ。

 もう少し言えば、車体を自分の足で走らせている点も違うだろう。

 『殺人鬼』ホズが俺に勝るとも劣らない程、後続車から煽られて追ってきた!

 俗に言う、ケバブ屋のリアカー屋台である!

「子供の玩具で、私の足に敵うモノかぁあっ!」

「一輪車、舐めんなや。外人がぁあああっ!?」

 ブルーオーシャンかと思いきや、どうやら逃げ場を失ったのは俺の様だ。

 だが俺とて小学校で、一輪車のドライブテクニックを極めた誇りがある。

 俺は立ち上がると、上体と重心を前に傾け……タイヤを加速させる!

 両手を上げて万歳すれば、あら不思議。バランスが保てる訳よ。

「耐えてくれ、俺の二の足っ!」

「唸れ、我が屋台マシンッ!」

 背後から迫る凶悪犯の足音と、俺が踏むペダルの軋む音。

 時速五キロの俺達が行う、ハイウェイカーチェイスの始まりだ。

 暖かく見守っていた、ナイスガイ達のボルテージも上がっていく。

 その証拠に背後から雷鳴にも似た、木材が砕ける破裂音が聞こえた!。

「FUCKIN、BITCHッッ!!」

「こんのぉっ……一般NPCがァっ!?」

 見れば『殺人鬼』のマシンに、黒塗りの乗用車が横から激突っ!

 砕ける荷台。割れるネオン。散らばるケバブ。

 ギャング共が煽り運転でエントリーだっ!!

 汗まみれの『殺人鬼』が幾ら怒り狂おうとも、車の馬力に勝てる筈も無い。

 煽り運転車にリアカーがガードレールで挟まれ、火花を散らして屋台が吹っ飛ぶっ!!

「FOOO、サンキュー、ブラザーッ!」

「COOL!」

 窮地を救ってくれた黒塗り車……ドライバーのギャングに、左手の親指を下に向ける。

 心が通じ合ったのか、ドライバーは喉を掻っ切る仕草で返してくれた。

 後方へ下がる彼らの献身を、俺は決して無駄にはしない。

 俺は畳みかける様に、並走している車両へ近づく。

「WHY!?……CRAZY GUY!!」

 相手は俺を狂ってるなんて言ってきた、例の運搬会社野郎である。

 その荷台には木材が山と積まれており、ブルーシートとロープで固定されていた。

 俺はロープを掴むと、背後に居る『殺人鬼』に振り返る。

「ばっ、離せっ! トラックに何をしてるっ!?」

「うっせェッ! 俺の家が壊されたんやぞ! 俺が可哀そうやろっ!!」

 脇がベコベコに砕けたリアカーを引く『殺人鬼』が、俺を見てぎょっとした。

 その顔を見て、俺の心が癒されていく。

 自分の不幸は唐辛子。他人の不幸は蜜の味。不幸な時は、周りも不幸にするに限る。

 俺のお口をリフレッシュする為にもなっ!!

「三途の川で、積荷でも治してろっ!」

「止めろォオオオオオ!?」

 後方で悲鳴をあげる殺人鬼を無視して、一思いにロープを引っ張る。

 ベテランの技術で結ばれたロープは、ギッチリ縛られていたにも関わらず解けたっ!

 縛られていたロープは各所のフックで耐えようとするが、超質量には耐えられない。

 ブルーシート毎、木材が崩れて後方に落ちていく……よし逃げよう。

「ビチクソ野郎がぁあああああっ!!」

 『殺人鬼』は迫力と罵倒に比べて、その思考は冷静だった。

 リアカーを走らせる足を止め、木材の慣性が弱まるのを待つ。

 だがそれ以上に、奴は重要な事を忘れていた。

「ぶべらぁっ!?」

「OH、MY……GODッッ!」

 急に足を止めた『殺人鬼』とリアカーだが、車は急には止まれない。

 『殺人鬼』の後方を走っていた乗用車が、リアカーに衝突したのだっ!

 既に右半分を削られたリアカーの後方が、更に食い千切られる様に砕け散った。

「やってやったわっ!」

 悲鳴と絶叫。怒号に発砲音が響く高速道路の先頭を俺は走る。後ろを見ればそこは地獄だ。

 木材が滑走するアスファルト。道路が捲れる程、急ブレーキをかける車達。

 横転した車から逃れようとする車が螺旋を描く様に、事故を無限に連鎖させていく。

「まだだ! この私が一般プレイヤーに負ける物かっ!!」

「ちょおま、システムアシストっ!?」

 爆発と黒煙。飛び散るガラスから、羽ばたく様に『殺人鬼』が事故現場から飛び出す。

 既にリアカーの荷台は砕け、車両事故に巻き込まれて燃えていた。

 既に『殺人鬼』の手には、荷台を引く為のパイプしか無い。

 それでも悪鬼は瞳に狂気を宿し、物理的制限を超えてレースの続行を告げる。

「まだ私は死んでない、負けて無いぞっ!」

「コイツッ!?」

 MPと呼ばれる代物がある。

 VRMMOは脳に電気を流して遊ぶ為、体に負担がかかる。その許容量をMPと言う。

 それを逆手に取り、脳味噌に電流を流す事でゲーム的なアシストを受ける技がある。

 通称システムアシストと呼ばれ、スキルにも存在する立派なゲームシステムだ。

 恐らく『殺人鬼』はMPを使い切って、膨大なシステムアシストを受けたのだろう。

「勝負はここからだぁっ!」

 煤まみれのスーツと頬。ケバブの肉汁塗れになった『殺人鬼』が絶叫をあげる。

 だが俺は両手を万歳しながら、クールに答えた。

「いいや、もう終わりだ」

「あ”ぁ”っ!?」

 このエリアには、車が無いと侵入できない。

 では侵入した後に、車を失うとどうなるのか? それは現実でも変わらない……警察が来るのだ。

 吹き鳴らされるホイッスルッ、放たれる警告のスラングッ!!

 世を呪う被害者達と燃える車両が助けを求める中、全てを放置して奴らが来るッ!!!

「俺の狙いはお前じゃねぇんだよ。俺にお前は殺せない」

 国家の犬が……高速道路の違法侵入を取り締まりに来るっ!!!!

「だけどリアカーは、只のリアカーだ」

「貴様ぁ、狙いは最初からっ!?」

 俺は負け犬の遠吠えと始まる銃撃戦を背に、高速道路を一輪車で降りる。

 勝者の余裕として鳴らす、鈴が無い事だけが心残りだった。

「あばよ。犬同士仲良くやってろ」

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