第8話 女心か気まぐれか

 首もとのやわらかい感触に違和感を感じ、意識を取り戻す。

 まぶたの裏からでも分かるほどの光で、今が日中であることを感じながら目を開く。


「起きた?」


 僕は、今の光景が現実であることを信じられず、2,3度瞬きを繰り返した。

 しかし、目の前の光景が変わらないことを確認すると、恐る恐る口を開く。


「あのー。これは一体、どういう状況で?」


 仰向けに眠る僕の頭にミーアの太ももが枕のように敷かれていた。

 いわゆる、膝枕だ。

 どうしてこうなった?


「寝辛そうだったから……迷惑だった?」

「いや、そんなことないよ。ありがとう」


 僕は平常心を保ちながら、体を起こす。


「いってぇ」

「まだ痛む? これ飲んで」


 そういうとミーアは、赤黒い液体の入ったコップを渡してくる。


「なにこれ……?」

「鎮痛薬。猫耳族に伝わる良薬」


 コップを傾けると、ゆっくり内容物が移動する。

 どう見ても液体ではない、固体だ。

 口にするにはかなりの勇気が必要だろう。

 僕は何度か、コップとミーアの顔を見比べる。

 彼女の瞳には一点の曇りも感じられない。

 つまり、断るという選択肢は僕には存在しないということになる。


「ええい――ゴク、ゴク」


 謎の液体もどきを口に入れた瞬間、襲ってくるのは生臭さ。

 口内から喉を通り、鼻へと逆流してくる、臭いに耐えながら、なるべく舌に当たらないように喉に流し込む。

 しかし、本来であれば喉を通過しているはずのそれは、まだ喉に残っている。

 恐ろしく流動性が悪いようだ。

 それでも、一度、口にしてしまったのだからと、勢いのまま全部を飲み干す。


「う……ゴク……っはぁはぁ」


 何とか飲みきったのだが、口の中と胃から逆流してくる臭いで今にも吐き出しそうになる。

 口を手で覆い、なんとか吐き気を我慢していると、不意に全身が温かくなったような気がした。

 いや、暖かいなんてレベルの話じゃない、熱だ。

 全身がまるでコンロのように熱を発している。


「おお、力が内側から無限に沸いてくる!」


 体中の痛みという痛みが全て消えていき、痛みでまどろんでいた思考がはっきりとしてくるのを感じる。


「すごい、味は悪いけど、効果がすごすぎる」

「え? おいしくなかった?」

「……ま、まあ。正直に言えば、おいしくなかった」

「そっか……」


 なにやら残念そうにしているミーアだったが、これだけの効果があれば味など気にならないだろう。


「よし、元気になったし。家を直すか」

「うん」


 ちなみにレシピを聞いたが教えてくれなかった。

 残念だ……僕の夢の実現は果てしなく遠い。


* * * *


 早速と始めた家の修理作業だったのだが、ミーナに教わりながらの作業だったのでかなり時間がかかってしまった。

 それでも日が落ちる頃には、なんとか修理は終わり、よほどの酷い天気でなければ安全に生活できそうだ。


「いやー。まさか干草がこんなにも暖かいとは知らなかった」

「昔は、馬小屋とかを安く借りて寝泊りしてた」

「ほう、やはり何事も経験だな」


 ミーアに教えてもらい、床に干草を敷き詰めた所、これが暖かく快適であった。

 今の季節、日中は暑いのだが日が落ちてからは気温がかなり下がるため、こういった防寒対策は非常にありがたい。


「が……これはなんだ?」

「キノコシチュー」

「これが……シチュー?」


 鍋に浮かぶのは、様々なキノコと草や根。

 それらが無造作に溶け込む様は、まるで地獄の大釜。

 先ほどの薬のこともあり、少々……というか、かなり食べるのに抵抗がある。

 もしかして、ミーアはかなり料理が下手なのではないかと、思いもしたが本人が今日のご飯は任せて欲しいと言って来たので了承したのだが……。

 そういや、結構な時間、食材を探していたようだし、せっかく作ってくれたのだから文句を言ってはいけないな。


「はい、どうぞ」

「あ、ありがとう」


 受け取った器には、白く濁ったスープに半分溶けかかった具材たちが浮かんでいた。

 ふと、ミーアを見ると期待に満ちた目で僕を見ている。

 流石に、食べない訳にもいかないので、意を決して一口目を飲む。


「お、おいしい……?」

 

 見た目に反して、このシチューはとてもおいしかった。

 スープは、ほんのりとミルクの味がしており、具材もしっかりと味がしみ込んでいる。

 

「おしいよ、とてもおいしい」

「よかった」

「一体、どうやって作ったの?」


 僕は、2口目、3口目と続けて口に運びながら質問する。


「……内緒にしてくれる?」


 ミーアが首を傾げて聞いてくる。


「あ、ああ。別に誰かに言ったりしないよ」

「ここから、東に森を抜けると平地が広がっている場所があって、そこに牛がいる」

「平地に……牛か……それってうちの牛か……」


 まあ、この辺り一帯は僕の父の土地だし、うちの牛のミルクを勝手にとっても問題ないか。

 しかも、僕が食べるんだしな。


「分かんないけど、牛とか馬とかが沢山いた」

「ふーん」


 こんな国境近くに牛ってのも不思議だな。

 もっと土地の内側に作ればいいのに……なんか引っかかる。

 よし、見に行ってみるか。


「ミーア、僕もそこに行きたい」

「いいけど、遠いよ」

「遠い? どれくらい?」

「うーん……分からないけど、半日ぐらいかかった」

「は、半日!? ってかどうしてそんなに遠くに……?」

「ア、アッシュに……おいしいって……言って欲しくて」


 そ、それだけのために?

 と、思わず口に出してしまいそうだったが、グッと言葉を飲み込む。


「うん、おいしい。ありがとう」

「う、嬉しい……」


 多分だが、僕が薬を不味いと言ったことを気にしていたのかもしれない。

 薬は不味いものだと思うが……今後は気をつけるとするか。

 一々そんな事を言うのも野暮だ、今は作ってくれたおいしいシチューを楽しもう。


「しかし、ミーアは本当になんでも出来るな。羨ましい限りだ」

「私は何にも出来てない。1人でちゃんと生きる事も、誰かの役に立つ事も。いつも誰かに助けてもらってばかり……今も、アッシュがいなかったら、いつもみたいに薄暗いボロ家で寝るだけの生活をしてた」

「いやいや、ミーアが何も出来てないなんて事はない。僕が断言する。なぜなら僕は今まで自分でご飯も作った事もないし、食材も買いに行った事もない、何ならベッドだって自分で準備もしたことないし、他人のために何かしようなんて考えた事もない。木も切れないし、火も点けられないし、薬だってレシピすら知らない」


 呼吸を整える。


「自信を持っていい。ミーアは僕より何でも出来てる、だからそんな泣きそうな顔するな」

「泣いて……ない……そんな格好付けた言葉で、なびくほど私は軽くない……」


 そう言ってミーアは涙を溜めたまま、少し笑っていた。


「いや、そんなつもりで言ったわけじゃ――」


 不意に一瞬だけ口が塞がれ、言葉が遮られた。

 そして、ミーアの顔がすごく近づいたと思ったら。

 直ぐに離れた。

 

「今……今のは……も、もしかして……」

「ち、違う……ね、猫耳族の……その……か、感謝……感謝の印だ、だから……かっ、勘違いしないで」

「あ、ああ……そ、そう、そういう奴ね。ま、まあ、それぐらいは見た事あるよ。種族特有の文化って奴ね」


 あ、あぶねぇ。

 今のは本気で勘違いしそうになったわ。

 そ、そう。挨拶、挨拶……スキンシップね。

 はあ……。


「さて、お腹いっぱいになったから僕は寝る、おやすみ」

「あ、うん。おやすみ」


 なんか、恥ずかしくなってきたので、僕はミーアに背を向けて先に横になる。

 もちろん、寝れるはずもないのだが、人間不思議な事に、意識すればするほど勘違いが強くなるようなので、このままミーアと食事を続けるのは危険すぎた。

 いや、別に好きになるのも、好かれるのも悪いことじゃない。

 そこに種族の壁がなければの話だ。


 僕たちは絶対に結ばれない。

 どんなにお互いが好きだとしても。

 それはばかりは、変えられない。

 この世界のルールだ。


「え……」


 急に背中が暖かくなる。

 ミーアが僕の背中にくっついてきた。

 慌てて離れようとしたが、それを彼女が力ずくで阻止する。


「ちょ、ちょっと……」

「少しだけ、このままで」

「……少しだけだぞ」


 ミーアが何を考えているのかが、いまいちよく分からない。

 でも、すぐに悲しそうな顔するし、泣き出すし……心が弱ってるときは誰かに頼りたくなるんだろう。

 拠り所ってやつか……。

 

 いや、駄目だ。

 僕が、ミーアの拠り所になってしまっては、駄目だ。

 彼女とはいずれ別れがくる。

 その時、彼女はまた1人になってしまう。


「ミーア、あのさ――ね、寝てる」


 ミーアは僕の背中で寝息をたてて眠っていた。

 

「まあ、この話は明日にしよう……おやすみ」


 僕は、ミーアを起こさないように火を落とし。

 同じ位置で横になり眠りについた。

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