第20夜 新月の覚醒
「お前が、兄貴を化け物にしたのか!」
「私たちを化け物呼ばわりか。酷いな」
怒りの感情に任せたまま俺はハツゾメに殴りかかろうと走り出す。
「引き返せ! 奴は弟子のかなう相手じゃない!」
「先輩、独断先行しないでくださいよ! ったく、もうっ!」
白瀧が俺を直接射らないよう足元ギリギリを矢で攻めて制止しようとするが、構うものか。
「ずいぶんと血の気の多い人間なものだ。……君の兄と違って」
「クソったれが!」
兄を化け物にした男が、兄と俺を比較する。
到底許せるはずのないことを犯した存在に対し、更なる怒りが増していく。
沸騰していくような感情に任せて拳に力を込めた。
奴は逃げも隠れもしない。
余裕綽々で突っ立って笑っているだけだった。
不気味さを感じるが、俺は構わず拳を振り上げた。
「兄貴のことを、お前が語るんじゃねえよッ!」
そんな俺がハツゾメを殴りかかろうとするのを阻止したのは兄だった。
「ダメだよ、ハツゾメにきみはゆずってあげないから」
「どうして兄貴はッ!」
俺とハツゾメの間に突然割り込んできた兄は、俺の拳を受けて予想以上に軽く吹っ飛ぶ。
「ぐ、うっ!」
まるで中身の入っていないものを殴り飛ばしたような軽さを感じ、俺は驚きを隠せずに兄と拳を交互に凝視する。
「っう。いっつぅ……。……だからね、ぼくがきみの相手をしてあげるよ」
起き上がり痛みを堪えながら仕方ないなと語るような兄の微笑みは、以前の面影を重ねるのに充分だ。
「兄貴」
だが……。
いくら外見や見せる表情が同じであったとしても、この兄はもう俺の知る優しかった、人間だったころの兄ではない。
これからも兄は人の夢を喰らい続ける。
それがどうしても許せない。
だから、人としての心を喪い、人の夢を欲し、命を奪う、兄の姿をする化け物を見捨てる覚悟を……俺はしなければいけない。
いや。これ以上、兄に罪を犯させないようにするには、俺は……。
「俺が知っている兄貴は、もう……」
俺は、兄を止める手段を選ぶしかなかった。
「もう、いない」
自分自身に言い聞かせるように、強く呟く。
「いなくなったんだ……」
これ以上迷わぬよう。
目を閉じて、開いた拳を閉じて……決意した。
「……だから俺は……」
なぜか閉じていた手が暖かく感じる。
その瞬間、俺なら兄を止められるのではないかという、希望に満ちた思いが不思議と溢れ始めた。
「兄貴。俺は兄貴を……っ! お前を、止めてみせる!」
決意を口にすることで強固な意志を示し、目を開く。
「うそだよね……?」
すると、同じく目を見開いて俺の手を凝視する兄の顔が目に映る。
いったい何を見て驚いているのだろうと右手を確認すると、俺はいつの間にか剣を握っていた。
「剣……?」
剣だけではない。
服装も制服ではなく、黒鉄たちと同じように月輪の模様が描かれた黒く金の装飾の施された軍服に変化している。
「もしかして、俺は……」
「
黒鉄の声に思わず自分の姿をまじまじと観察していると、ハツゾメが兄に囁く声が聞こえた。
「どうする? あれは旭夜として目覚めてしまったようだけど」
「っ! ダメだよ、そんなのダメだ。ぼくのご馳走が、食べられなくなっちゃう!」
「では、まだ未熟な旭夜が完全に力を操れるようになる前に、痛めつけてやらないといけないね?」
「そうだね、うん。そうだよ」
ハツゾメにそそのかされ、頷いた兄が俺に立ち向かう。
俺も兄に対峙するように向き直った。
「ねえ? 幸福な夢を見るきみに、剣はふさわしくないよ。早くその物騒なものを下ろして? きみの夢がまずくなってしまうよ」
まるで刃物を手にした子どもを諭すように語る台詞だが、中身は俺を食料としてしか見ていない発言だった。
「ふさわしくないだって? お前が、俺のなにを知ると言うんだ!」
「知っているよ。ぼくだって夢を覗いたから。きみは良い子なんだって、知っているよ」
「お前はなにも知らない! 知っているのは獏夜のお前じゃない、人間の兄貴だ!」
「知っているって言っているじゃないか。きみは兄を慕い尊敬し、支えようと思っているよね。夢を見ただけで分かるよ」
俺のことを知ると主張する兄は拗ねたような顔を見せてむくれたあと、爪を剥き出しにして俺に襲い掛かった。
「とっても美味しそうな夢だからね!」
俺は手にしたばかりの剣で兄の右爪の一振りを弾き返す。
「っう!」
のけぞったところを踏ん張った兄は、今度はでたらめに爪を振り回した。
「こっのっ!」
乱雑な攻撃は素人当然の俺が弾き返そうと思えば怪我をしそうだが、避けることができればなんということはない。
ふらふらと足を進めて攻撃を加えようとする獏夜から、俺はステップを踏んで軽くかわしていく。
そのうちのいくつかが届きそうになったので、なんとか受け流した。
「お前が覗き見たその夢を、思いを積み重ねたのは俺と兄貴だ! お前じゃない!」
「でもっ! ぼくは知っている!」
俺が来る前に散々黒鉄たちにぶちのめされたせいか、前回の戦いよりも兄の攻撃に勢いがないように感じる。
まだ戦いに慣れない俺にとって手負いの獣は十分な相手だが、油断してはいけない。
「そこまで言うなら、思い出せ! 取り戻せ‼ 夢から目を覚まして、戻ってこいよッ‼」
大振りの獏夜の攻撃を弾き返して再びひどくのけぞらせると、今度は俺が獏夜の懐に入り込んだ。
「それが出来ないなら、お前は兄貴じゃない!」
心に受けるであろう痛みに堪えるように、歯を食いしばり剣を横に払う。
「兄貴だって、認めてなんかやるものか!」
「くッ!」
しかし、俺の攻撃は獏夜の胴に僅かに食い込んだところで、相手が片方の爪で深く切り込まないように食い止める。
直後に兄がもう片方の爪を振りかざした瞬間、俺は胴を切断することを諦めて剣を引いた。
「うっ……。痛いよ……」
「お前が夢を喰った奴らだって、痛かったんだろう⁉」
「……ふ、ふふふっ」
苦痛でおかしくなってしまったのだろうか。なぜか兄が笑っていた。
「どうしてだろう、ぼくは消えてしまいそうだというのに、なぜか楽しいね? きみとこうすることが、とても楽しいよ」
そうではなかった。
俺と戦うことが楽しく感じるらしい。
まるで、幼いころに戻り二人で遊んでいるかのような表情をする獏夜に、俺は苛立ちを感じた。
「クソ兄貴が……」
俺はこの歳になっても一度も悪態をついたことのない相手に初めて不満をぶつける。
「そんなに懐かしく感じるなら、思い出せよ! 俺の名前は朔夜! 兄貴の名前は、陽太だッ!」
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