第19夜 ハツゾメ
ぶれていた視界がようやく安定してきた……そう思った瞬間、俺の目の前に勢いよく拳が飛び込んで来た。
「ッ⁉」
何事かと思うが受け身を取る間もなく、俺は何者かに頬を強かに殴られ頬だけでなく脳にも衝撃が走る。
「ぐうッ‼ い……ってぇ……」
うずくまって殴られた頬を抑えて正面にいる相手を見上げると……。
「朝比奈先輩、正気を取り戻しましたか?」
白瀧が拳をさすりながら俺を睨みつけていた。
「く、うっ……。白瀧、いまのわざとだろう? めちゃくちゃ痛いんだが……。って、夢なのに痛覚がある?」
「さっきまでぼうっとしていた先輩が悪いんですよ。先輩が正気を取り戻すとは思わなかったので足手まといになる前にと、つい殴ってしまいました。グーで」
「そうだ! キサマはさっきまで危ないところだったんだぞ!」
そうだ。二人は
であればいまは争いの最中なのか、それとも闘いは終わったのか……。
黒鉄の言葉にはっとさせられ、俺は状況を把握しようと周囲を見回す。
俺の近くには黒衣をまとった白瀧と黒鉄が立ち、少し離れた場所にクラスメイトが倒れている。
そして、トラヒコがどこかを警戒するように唸り声をあげていた。
一応は自分の姿を確認してみると、俺だけはなんの変哲もないいつもの制服姿だった。
「そいつは無事なのか?」
「ああ、我らの宿敵に喰われる前に救出できた。それについては問題はない……だが」
「あなたが来るまでは、僕たちが獏夜を追い詰めてたんですよ、それが……残念ながら僕たちはいま、限りなくピンチです」
「俺が来るまでは? また俺のせいか?」
「……いえ。朝比奈先輩はこちらに引き込まれただけです」
「我が弟子よ、案ずることはない。キサマのせいではないのだからな」
「……すみません。先輩のせいにしたのは僕の勝手な八つ当たりです」
「あれを見ろ、新月に導かれし子よ」
謝罪をしながらもさほど悪びれた様子がない白瀧。
その隣にいる黒鉄がフォローするように穴あきグローブをつけた右手で指さした場所は、トラヒコが警戒する方向と一致していた。
「キサマと同時に、奴が現れたのだ」
「……っ」
彼の指先を目で追った俺は、前回の
「はは、そうか……砂糖。砂糖か。砂糖の量ひとつで気づくのか。しくじったものだな」
男が死者の白装束のような衣装を身にまとっている点は、兄と変わらない。
そして先ほどまで俺が見ていた景色を知るこの口ぶり。
間違いなくこの男が、俺の夢を模倣していた獏夜なのだろう。
「俺を呼んだのは……兄貴じゃなくて、お前か」
「ああ、そうさ。私が君をここに招いた。私の名はハツゾメ、君たちの言う獏夜だ」
まるでこの世に存在しないと思わせるほどの美しい風貌の男は、くるぶし近くまで伸ばした白髪を払い浮かべる。
実際、奴は実在している存在ではないのだろう。
本来白目である部分が闇のように真っ黒で、その中に月のように金色の瞳孔が輝く。
低く落ち着いた声が響くように感じ、神秘的な瞳にじっと見つめられるだけで、なぜか儚げな姿とは裏腹に得体のしれないどこかへと引きずり込まれそうな感覚が湧き上がりぞっとした。
「招待状の出来はどうだったかい? 私の採点では、砂糖のさじ加減を除けば満点だと思うのだけれどね」
「出来を問うくらいなら、兄貴を返してくれないか? 獏夜でもなんでもない、元の兄貴を。まがい物でもなんでもない、減点なしの最高の出来だからな」
「なるほど。しかしそれは出来かねるな」
「それとな、俺の夢を勝手に覗くな!」
俺の怒鳴り声に相乗するように、ハツゾメの隣にいた獏夜が叫んだ。
「そうだよ! ハツゾメ、どうして? あの子を食べたらダメだって、ぼく言ったよ?」
かつては兄であった獏夜がハツゾメの袖を子どもが拗ねたように引っ張り不満を訴えている。
二人……いや、匹と数え上げるべきなんだろうか?
とにかくこの場には兄とハツゾメの二人の獏夜がいた。
「ああ、すまないね。お前があまりにも彼に執着するものだから、魔が差して味見がしてみたくなってしまったのさ。その前に追い出されてしまったから、ひとくちも食べていないよ。少し覗き見をして遊んでいただけなんだ、安心すると良い」
クラスメイトを襲ったのは、この二人だったのか?
いや、途中まで善戦していたと白瀧は言ったことから、おそらく最初は一人を相手にしていたんだろう。
それも、兄を相手にしていたに違いない。
現に兄の衣服はボロボロで、表情は苦しそうに歪んでいる。
俺が夢の世界に招かれたと同時にこの男が現れたと黒鉄が言った。
つまり、獏夜側にハツゾメという戦力が加わったことで、白瀧たちが不利になったのだろう。
「そういう問題じゃないんだよ? ダメなものはダメなんだから」
男をさとすような兄の声色が、以前俺に同じようにかけられたものと同じに聞こえ、俺はぐっと歯を食いしばる。
「なぜ朝比奈先輩を引きずり込んだんですか! 何が狙いなんです‼」
弓につがう矢の先をハツゾメに向ける白瀧の指は震えていた。
「君たちが寄ってたかってこの子をいじめるからさ。可哀そうじゃないか。この子は腹を空かせただけなのにな。彼ならこの子の痛みを分かってくれるだろう?」
「……っ」
この男はどれだけ俺の夢を覗き込んだのだろうか。
否定できないハツゾメの言葉に、俺は黙るしかなかった。
「先輩、許しませんよ……! 三度目は、ないですからね……!」
「分かってる……!」
よく見ると、兄の髪の色は黒よりも白に近い色により進行していた。
……つまり。
「前にあったあとにも、誰かの夢を喰ったのか?」
「そうだよ。きみは食べさせてくれなかったし邪魔をされたから、ぼくはしばらくほかの夢で喰いつないでいたんだよ」
「兄貴……っ!」
もう兄は元に戻らないというのだろうか。
唇を噛みしめて兄とハツゾメを睨むと、ふいに男が言った。
「しばらくは私が夢を探してあげていたのさ」
「……どういうことだ?」
「君たち風に言うならば、私はこの子の保護者のようなものだからね。私も彼を見習って、きちんと面倒を見てあげなくては」
「……保護者? まさか、兄貴をそんな風にしたのはお前だって言うのか?」
「ふふふ。そうだとしたら?」
ハツゾメが俺を挑発するように微笑む態度に俺は苛立ちを抑えることはできなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます