第12夜 夢堕ちの獏夜

「しかし、だ」


 俺と共に静かに説明を聞いていた白瀧がふいにトン、と机を叩いた。


「……まれに、被害者の中にはそうならない者がいる」


 なぜこのタイミングで白瀧がそんな仕草をしたのか、一瞬分からなかった。

 聞き飽きたのだろうとも思ったが、俺はふと彼との会話を思い出す。


――知っちゃったら……きっとあなた、つらい思いをしちゃいますよ?


「朝比奈」

「は、はい?」

「君の兄は行方不明になり、夢の中に現れた。これは間違いないか?」


 嫌な予感がする。

 なぜ獏夜の説明において、兄の話題をするのだろうか。


「はい」


 獏夜の話はまだ終わっていないはずだ。


「そうか……」


 それならば、あの男が兄の姿をしていたように、兄と獏夜は関係があるのだろう。


「白瀧から忠告を受けていたと思うが……覚悟はできているか?」

「……」


 赤城先生の言うことがどんな内容であろうとも、俺は聞かなければならない。

 兄がどうしてしまったのか、どこにいるのか。

 聞くために俺はここに招かれたのだから。


「俺には、聞く覚悟があります。そして権利も、資格も」

「そうだ。朝比奈にはそのどれもがある。覚悟があるならば、話を続けよう。その前に……。白瀧、黒鉄の個室にはこちら側の音声と、念のために映像は映らないようにしたな?」

「はい。当然です」


 白瀧の発言から先ほどの黒鉄とのやりとりは、こちら側の音声が聞こえなくなるようにしたことによるものだと気づく。


「出てこないように気を遣ってやってくれ」

「イチルちゃん出てきませんよ。だってこれから話す内容分かってますし、イチルちゃんチキンですから」

「あまり先輩をからかってやるな」

「これは僕なりに先輩を愛でているんです」


 なぜ二人とも黒鉄に対し慎重な対応をしているのだろうと疑問に思ったが、部外者がやすやすと触れてはいけない気がした俺は黒鉄のいる個室を一瞥するだけに留めた。


「では心を落ち着かせて、聞いてほしい」

「……はい」


 赤城先生の言葉に俺は背筋をぴんと伸ばす。


「獏夜に夢を喰われた人間の中には、まれに飢餓感を覚えるものがいるという」

「飢餓、感」


 その一言に背筋がぞっとする。


「現実の食物をいくら摂取しても一向に満たされない」


 なぜならば、心当たりがあるからだ。


「彼らは現実の肉体に餓えを感じているわけではない。奪われ空虚となった夢を補いたくて感じる餓えだ」


 気づけば俺は、兄がリンゴを食べても満たされないと呟く光景を思い返していた。


「そうして最後の夢を喰われたとき、彼らは心に生じた空虚感と飢餓感に耐えられず夢の中へと逃避する。夢や記憶だけでなく、現実の自身の肉体すら忘れ、捨て去り、夢へと堕ちていく」

「……っ」

「夢の世界でしか生きることができない化け物へと成り下がった彼らは空腹感から人間の夢に手をつけ、喰らいつく。そうして味を占めた者が、……成るんだ。夢堕ちのに」

「………………」


 俺は絶句するしかなかった。


「悪いが朝比奈。君の兄の入院後の症状を、勝手ながら調べさせてもらった」

「それが必要なことであれば構いません……」

「そう言ってくれて助かる。彼には、いま私が言ったものと同一の症状があった。……間違いないな?」

「……はい」


 俺の返事に赤城先生が一度まぶたを閉じる。

 なにかを考えているのか少し間を置いたあと、彼は目をゆっくりと開いて言った。


「気の毒なことだが……」


 あの獏夜の姿が兄の形をしていたことは、偶然でもなんでもない。


「朝比奈 陽太は、人の夢を残酷に喰らう獏夜へと堕ちた」


 なぜならば、必然だったからだ。


「人の命を奪う、化け物に成ったんだ」

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