第02夜 それはまるで、神隠しのように

 翌日の早朝。

 朝早いとスーパーがまだ営業していないので、俺は前日に購入した見舞い用の果物を手に病院へ向かう。


「ん?」


 いつものように兄の病室に向かおうとしたところ、該当フロアの入り口が封鎖されていた。

 この病院は時間内であれば面会者と自由に会うことが出来るはずだったが、予想外の事態に戸惑う。


「何があったんだ?」


 カラーコーン同士をビニールテープで縛り立ち入り禁止と言わんばかりの区域と化している向こう側に用があると言うのに、辿り着くことが叶わない。

 封鎖区域内にいる数人の警備員や看護師たちのことを、俺と同じ面会者たちが心配そうに向こう側を眺めている。


「事故か?」


 苛立ちを感じながら面会者同士の立ち話に聞き耳を立てたが「かもしれない」ばかりの曖昧な内容に辟易とする。

 ただ、事件ではなさそうだと耳にしたとき、俺は少し安堵した。


 事件ではないのであれば、何が起きたのだろう。

 何かしら張り紙があれば何が起きたのか分かるが、周囲を見回しても案内の一つもない。

 もしかして何かが起きてからそれほど時間が経っていないのだろうか。


 兄はその何かに巻き込まれてないだろうか。


 俺は不安を抱えたまま、立ち入り禁止区域の中の職員に話しかけた。


「あの」

「すみません、まだ案内は出ていませんが、本日このフロアの面会は全面休止させて頂く予定になっていまして……」

「せめて家族の状態が知りたいんですが」

「ああ、そうですよね。すみません。入院されている方のお名前は?」

「朝比奈 陽太です」

「朝比奈 陽太さんのご家族……? っ! お待ちください」

「あっ!」


 職員が顔を青くして下がっていく後姿に一抹の不安を感じて呼び止めようとしたが、すぐに立ち去ってしまう。


 何故、兄の名前を出したら顔色を変えたのか。


 しばらく待つと複数人の職員がやってきた。

 ほかの面会者が怪訝な顔で俺たちを見守る中で俺はひとりだけ部屋に案内される。

 そこで説明を受けた内容は、俺が想像もしていない衝撃的なものだった。


・・・


 神妙な表情の職員から突然告げられた言葉に、俺は呆然として呟いた。


「ゆくえふめい」

「はい……」

「兄貴……兄が? 行方不明に?」

「そうです。朝比奈 陽太さんの姿が、早朝から当院内で確認できていません」


 丁寧に説明していく職員の言葉を信じることができずに、俺は質問をぶつけていく。


「行方不明なのは兄で間違いないんですか? 別のひとじゃないんですか?」

「先ほど病室にご案内した通りです」

「実は昨夜の間に別の病室に移動したとか……」

「念のため朝比奈さんのスケジュールや当直の者に確認をしましたが、そのような予定や事実はありません」

「じゃあ兄はどこへ……」

「同じ病室の患者にもお話を伺いましたが、どこかに移動したような物音の記憶はなく、気づいたときには朝比奈さんの姿がなかったそうです」

「……うそだ」


 どうしても信じたくなかった俺はそう呟くしかなかった。


「……朝比奈さんは自力で歩くことは困難な状況です。ですから、誰かの力を借りて移動したものと当院は考えていましたが……」


 兄の病室は病院の三階だ。

 気軽に自力でふらりといなくなれるような体調ではない兄が病室から院外へと移動するには、職員の言うように他人の助力が必要なはず。


 まさか誘拐されたのでは……。

 そう思った俺の顔がこわばっていたのか、職員が続けた。


「鍵の施錠に異常は見られず、内外共に監視カメラの映像に不審な点はありません。また、当直の職員や警備から朝比奈さんの姿を見たという報告も受けていません」

「じゃあ一体、兄はどこに行ったと言うんですか……」

「間もなく警察が到着する予定ですが、我々にも分かりません……」


 職員が気の毒そうに言う。


「まるで、神隠しのようで……我々も困惑しています」


 自力でもなく、他人に力を借りたわけでもなく。

 前触れも形跡もなく突然姿を消したことは、たしかに神隠しとしか表現できなかった。


 追って連絡すると病院から言われたころに警察がやってきた。

 彼らから事情聴取を受けようやく解放されたあとに病室を覗き込んだが、兄の姿は見えない。


 もしかしたら家にいるかもしれないと一縷の望みをかけて走って帰ったが、勢いよくドアを開けた俺を出迎えたのはしんとした空気の誰もいない室内だった。


 必死にスマホに電話をしても、メッセージを入れても反応がない。


 兄は、どこにいってしまったんだ……。


 消えてしまいそうなほど儚い様子だったが、いなくなってしまうなんて夢にも思わなかった。


 それからは俺の心にぽっかりと穴が空いたように、その日なにをしたのかも記憶に残っていない。


 兄と共に食べるつもりで買った果物でさえ、いつの間にか手にしていなかった。

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