第315話「流石、リスクヘッジは完璧なのね」

「どけっ! この、どきやがれ!」


 混雑する地下街を、一人の砂竜人が駆け抜ける。道行く人々を乱暴に押し分けて、猛烈な勢いで走る。


「待ちなさーい! このコソ泥!」


 彼を追いかけるのは、三人の少女たち。ララが先陣を切りながら、激しい声を上げる。砂竜人の脇には革製の袋がガッチリと挟まれている。初代砂蟹煮込みを謳う店の前で、彼がイールから奪った財布である。


「チッ。油断したな」

「相手も慣れてましたからね。とりあえず取り返すのみです!」


 イールが悔しそうに唇を噛む。ロミは彼女を責めることもなく、ララも怒髪天をつく勢いで砂竜人のスリに向かって声を荒げている。


「しかしこの人混みが厄介ね。慣れてるあっちの方が速いわ」


 野盗の砦の地下街は、多くの人々でごった返している。砂竜人のスリは慣れた様子でわずかな隙間を潜ってすり抜けるようにして先へ先へと進んでいるが、雑踏に慣れないララたちはなかなか追いつけない。それどころか、徐々に距離を離されてしまっている。

 彼我の間に何もなければ、ララが『旋回槍』なり『雷撃』なりを一擲すれば終わるのだが、こうも人が多い往来の真っ只中ではそれも難しい。


「ロミ、なんとかあいつの足だけ掴めない?」

「む、無茶言わないでくださいよぉ」


 対魔獣戦では妨害などを得意とするロミも、流石に悲鳴を上げるしかない。対象を目視するのも難しいうえ、周囲には無関係な一般人が多いのだ。巻き込んでしまえば、神官といえどタダでは済まない。


「へへっ。追いつけるもんなら追いついてみな!」


 ララたちが追跡に苦労しているのを知ったスリは、振り向いて煽る余裕すら見せてくる。そんな態度が余計に三人の神経を逆撫でるのだった。


「待ちなさーい! その財布置いたら見逃してやるわよ!」

「誰が待つかバーカ!」


 ララが拳を振り上げるも、砂竜人の男は余裕綽々の表情だ。細長い尻尾を振って、ベロンと舌を出して見せる。

 地下街の住人たちにとってこのような追いかけっこは日常茶飯事なのか、押し除けられた者がわずかに眉を寄せる程度で、ほとんど無関心だ。取り押さえてくれてもいいのに、とララは憤慨する。

 しかし、その直後。唐突にスリの男が盛大にすっ転ぶ。


「うぎゃあっ!?」


 それを好機と見たララたちは急いでその背中に飛びかかり、ガッチリと組み伏せる。ララ、イール、ロミと立て続けに三人の体重が伸し掛かって来たスリ犯は潰れたカエルのような悲鳴を上げる。


「よーし、捕まえた。観念しなさい」

「ぐえええ」


 男の腕を曲げて押さえつけたララは、にんまりと笑みを浮かべる。しかし、すぐに異変に気がついて首を傾げた。


「あんた、私たちの財布どこにやったのよ?」

「は? 知らねぇよ」


 地面に倒れ込んだ砂竜人の男の体を弄っても、ララたちの財布が見つからない。どこかに隠したのかと男を問い詰めるも、彼は知らないと首を振る。


「嘘は付いてないみたいだな」

「つく理由がねぇだろ!」

「分かんないわよ。グルにパスしたのかも」

「ふざけんな! 俺は孤高のスリだ!」

「タチが悪いわねぇ」


 地面に這いつくばったまま、男は憤慨する。ララが呆れながら間接を締め上げると、彼は情けない悲鳴をあげて地面を叩いた。


「あだだだっ! ほ、本当に知らねぇよ! 仲間がいたらこんなちゃっちい商売してねぇ!」

「ちゃっちい財布で悪かったな」

「いででででっ!」


 イールが右腕で砂竜人の尻尾を掴み上げると、彼は涙目で降参した。


「だ、誰かは知らんが、足を掛けられたんだ! 倒れた拍子に持ってかれた!」

「はぁ? 本当に治安悪いのね、ここって」

「お前らみたいな旅人はいい鴨なんだだだだだっ!」

「ちょっとは反省しなさいよ」


 どうやら、ララたち三人の財産が詰まった革袋は誰とも分からぬ盗人に持ち去られてしまったらしい。こうも人混みのひどい地下街では、手掛かりもない中でその犯人を探すこともできない。


「しかたない。あの財布は諦めよう」


 砂竜人の尻尾を手放してイールが嘆息する。そんな彼女に、ララがびっくりして詰め寄った。


「いいの!? あれ、私たちのお金なのよ!?」

「別にあれが全財産ってわけじゃないからな。こう言うこともあるから、いくつか分散してる」


 しれっと言いながら、イールは懐をそっと見せた。そこには同じ革袋がすっぽりと収まっており、中にはそれなりの金額が詰まっているようだった。


「流石、リスクヘッジは完璧なのね」

「旅人の基本だろ」


 感心するララにイールは素気なく答える。


「それなら俺くらい見逃してよかっただろ」

「それとこれとは話が別だ。とりあえず、警邏に突き出すか」

「ぎゃあああっ!」


 イールは拗ねた顔でチョロチョロと舌先を覗かせる砂竜人の首根っこを掴み、引きずって行く。大柄な異種族の男を押さえつける彼女の怪力にすれ違う人々が慄いていた。

 いくら治安の悪い砂漠の都市と言えど、むしろそれ故に警察機構もしっかりと整備されている。地下街にも各所に警邏隊の詰所があり、そこにスリ犯を突き出すと、多少の懸賞金が支払われた。


「なんだ、あんた余罪たっぷりなんじゃない」

「ち、違うんだよぅ。なんかの間違いなんだよぅ」


 無骨な檻に投げ込まれた男が悲壮な声で訴えるが、ララも警邏隊も聞く耳を持たない。そもそも人相書きまでしっかりあるのだから、この砦でもかなり有名人なのだろう。

 しっかり罪を償って綺麗になりなさい、とララたちは立ち去る。

 脛に傷持つ者の集まる砂漠の都市では、日常茶飯事の光景だった。


「――おいおい、大丈夫だったのか?」

「怪我とかはしてないわよ。損害はあったけど」

「懸賞金を足してもちょっとマイナスだな。ま、砂蟹煮込み三人分ってところだから、損はしてない」

「してるでしょ……」


 ファイルの工房へと戻ったララたちが事情を話すと、ヨッタは驚いて目を丸くする。

 割り切ったイールとは違い、ララは膨れっ面で不満を呈していた。せっかく“元祖”と“本家”を食べ比べて、いよいよ“初代”との比較だと意気込んでいたのに、妙なところで足を挫いてしまった。


「まあまあ、“元祖”も“本家”も美味しかったですし」

「そういう問題じゃないのよ!」


 宥めるロミの甲斐もなく、ララは怒りが収まらない。


「ま、財布取られただけで済んで良かったと思うんだな。人間族は突然切りつけられることもある」

「治安悪すぎるわよ……」


 何やら魔導具を弄りながら、慰めにもならないことをいうファイル。屈強な巨人族や、鱗を持つ砂竜人ならいざ知らず、柔らかい肌しか持たない人間族を狙う強盗は多いのだと言う。

 いっそ切り掛かってくれた方が楽だったとララが唇を尖らせると、ヨッタとイールが同時に拳を落とした。


「うぐぅ」

「変なこと言うんじゃない」

「全くだ。――しかし、ディスロはここよりももっと治安が悪いんだろ? 良い予行演習になったと思えばいい」


 二つの拳を受け止めたララは、頬をぷっくりと膨らませてイールを睨む。


「イールはポジティブねぇ」

「そう考えてないと、旅なんて続けられないさ」


 旅の長いイールは、財布をすり取られたことなど両手で数えきれないほどあった。だからこそ、小分けにして隠し持つという知恵を付けてきたのだ。「次に活かせばいい」とララの背中を叩くのも、彼女なりの優しさだった。


「こんなとこでビービー言ってるんなら、やっぱりディスロにゃ行かねぇ方がいいぜ」


 ファイルの厳しい言葉も追い討ちとなり、ララは口をへの字に曲げながらも立ち上がる。


「分かったわよ。もう油断なんてしないわ。こっちに手を伸ばした瞬間、肩から叩き切ってやる」

「それはそれで厄介ごとを呼びそうだからやめてくれ」


 鼻息を荒くするララにイールが眉尻を下げる。

 そんな二人を見ながら、ロミもまた警戒を強めようと胸に刻むのだった。

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