第208話「樹齢何千年かしら……」

「あっ――ぶなぁ……」


 眼前数センチの位置で止まる鋭く削られた木の鏃。

 ビリビリと激しく微動するそれを見て、ララの首筋に気持ちの悪い汗が伝う。


「お前……」


 男の、力の抜けたような声がする。


「お前、ほんとに人間なのか?」

「失礼ね。一応、人間よ」


 手に持った・・・・・矢を投げ捨てつつ、ララは言い返す。

 事前にナノマシンを起動しておいた事が功を奏した。

 異常なほどに強化された動体視力と瞬発力によって、彼女は亜音速で迫る矢を半ば反射的に手づかみで止めた。


「兄さん!!」


 唖然とする男の元へ、一人の若いエルフの少女が駆け寄る。

 身長はララと同じくらいで、男と同じ濃い茶色の瞳に明確な怒りを孕んでいる。


「人に矢を向けてはいけないって、お父さんに習ったでしょう!」

「ティーナ、こいつらはエルフじゃない。つまり獣みたいなもんだ!」

「そんな詭弁が通じるもんですか! ソールさんが言ってたわ、人間もエルフも大した違いは無いって!」

「お前、またソールの所にっ」


 目の前で始まった兄妹喧嘩に、ララ達は割り込む隙間もなかった。

 駆け寄ってきたイール達と視線を合わせ、互いに首を傾げる。


「これ、あたしらはどうしたらいいんだ?」

「とりあえず、ソールさんの容態を確認した方が……」


 ロミの提案は二人に賛同され、三人はこっそりその場から移動する。

 兄妹喧嘩は順調に過熱しているようで、その場を動くララ達に気が付く様子はない。


「ソールさん、大丈夫?」

「ぐっ。ああ、大丈夫。骨の何本かに罅が入ったくらいだ」

「全然大丈夫じゃないじゃない!?」

「守護樹の側で休めば、すぐに回復するさ」


 脇腹を押さえ、痛々しい笑みを浮かべてソールが言う。

 守護樹から放たれる特別な魔力は、エルフの傷を癒やす効果もあるらしい。


「それじゃ、とりあえず守護樹まで行きましょうか」


 ララがそっとソールの脇の下に首を通して持ち上げる。

 イールも反対側を支え、彼女達は守護樹を目指す。


「あ、おい、待て! まだ話は終わってないぞ!」


 その時、ようやく気が付いたのか、男の声が三人を呼び止める。


「とりあえず、怪我人が優先よ。話は守護樹の前でしましょ」


 ララはきっと男を睨んで臆する事無く刃向かう。

 予想外だったのか、男は二三も後ずさってたじろぐ。


「兄さん! あの子の言うとおりだわ。まずはソールさんを治療しなきゃ」

「しかしティーナ――」

「兄さん!」


 濃緑の髪を逆立て威嚇する妹にすっかり萎縮してしまって、男は渋々弓を仕舞う。


「守護樹までの道を教えて欲しいんだけど、いいかしら? あとできれば名前も」

「ちっ。お前らなんかに教えるような名前は――」

「私はティーナ。こっちはケイルソードよ。兄さんはハンターをしてるの」

「ティーナ……」


 ケイルソードは額に手を当てて妹に声を上げる。


「ふふ。ティーナ達はほんと、兄妹仲が良いね」


 脇腹が痛むのか顔を歪めながらソールが言った。


「そんな! ただ、兄さんは一人だとこうやって暴走しちゃうから」

「俺はただ外敵を排除しようとしてだな」

「もう、そんなだから百五十になってもお嫁さんがいないのよ!」

「それとこれとは関係ないだろ……」


 頬を膨らませて詰め寄る妹に、ケイルソードはたじたじである。

 そんな様子を冷めた目で見ていたララは、思わずため息をついた。


「あの、道案内を……」


 ロミが申し訳なさそうに小さな声で言う。


「ああ、ごめんなさい。いつも話が脱線しちゃって」


 ロミの訴えに気が付いたティーナは謝り、先頭を歩く。

 他の村人たちに見つからないよう、森の中を進み、守護樹を目指す。

 ケイルソードも仏頂面ではあるが、最後尾をついてきていた。


「ティーナは随分人間を受け入れてるみたいね。ケイルソードの方が一般的なエルフの反応じゃないの?」


 歩きながら、ララがティーナに話しかける。


「確かに、私は変わってるかも。昔からソールのお話をずっと聞いてて、考えが変わったのよ」

「へえ、ソールの話をね」

「私とソールは同い年なのよ。エルフだと結構珍しいんだけど」


 少し誇らしげにティーナは言った。

 寿命が長く、時間感覚も緩やかなエルフ族は出生率が低い。

 そのため一年に一人生まれれば良い方で、生まれない年の方が圧倒的に多い。

 そんな中で二人は同じ年に生まれ育ったらしく、幼い頃から仲も良かった。


「ちなみに兄さんはもう百五十歳だけど、まだお嫁さんがいないの」

「ティーナ!」

「だって事実じゃない。たまに彼女ができたと思ってもずっと仕事仕事で全然家に帰らないんだから」


 兄の交際事情を赤裸々に暴露していく妹である。


「ほら、あそこが守護樹よ」

「なにか妙な動きをしたら、すぐに矢を射るからな!」

「兄さん!」

「……分かってるよ」


 こそこそと話をしているうちに、一行は村の外れにある守護樹の後ろにやってきた。

 見上げるほどの巨木はその横幅も大きく、ララが十人以上いなければ一周できないだろう。


「大きいわね。樹齢何千年かしら……」

「たしかに上質な魔力が放出されてますね。龍脈に根ざしているのも本当みたいです」


 雄大な自然の象徴に、ララ達は圧巻される。

 守護樹の太い根元にソールの背を預けると、彼の表情も幾分和らぐ。


「ありがとう。しばらくここで休めば、すぐに治る」

「ごめんなさい、ソール。うちの兄さんのせいで……」

「ケイルソードの腕っ節の強さはよく知ってるから。大丈夫さ」


 心配そうにソールの肩に手を沿わせるティーナ。

 ソールは彼女に微笑みかけ安心させた。


「ララ、君たちはアーホルン長老に会ってきてくれないか。僕の名前を出せば会えるはずだ。ティナ、ケイルソード、二人も一緒について行ってくれると嬉しいんだけど」

「分かったわ。この守護樹にいるのよね」


 ソールは首を動かし、ララ達に声を掛ける。

 この守護樹の洞に住むという村の長老たち。

 その中でもアーホルンという名の長老は、ソールの意に賛同している数少ない味方だった。


「なんで俺が……」

「分かったわ。任せて頂戴!」

「ティーナ……」


 約一名不満そうな表情を浮かべつつ、一行はソールをそこに残して大樹の洞へと向かう。

 洞は、巨大な木の幹にぽっかりと大きく口を開いていた。

 イールでも悠々と背筋を伸ばして通ることができるほどに余裕のある入口は、縁を様々な木の枝や葉で飾られている。

 更に内部には樹上へと伸びる螺旋階段が、壁に沿うように取り付けられていた。


「うわ、ほんとに木の中に住んでるのね」

「エルフの長老はここで暮らすのが昔からのしきたりなの。村ができた時から、リエーナの守護樹はずっとここにあったんだよ」

「エルフの村のできた時か。樹齢は千年じゃ利かないだろうな」


 天に向かって広く枝を伸ばすリエーナの守護樹を眺め、ララ達はただただ圧倒される。

 近づくだけで、周囲の空気が澄んでいくような感覚になる。


「もし妙な事してみろ。俺が一瞬で風穴開けてやるからな」


 一行の最後尾についていたケイルソードが低い声で唸る。

 その手には弓を持ち、腰の後ろに吊った矢筒にもう一方の手を添え、眉間には皺を寄せて三人を睨み付けていた。


「兄さん!」

「いや、当然のことだ。ここは村の最重要施設なんだろ? そんでもって、あたしらが部外者なのは変わらん」


 兄を止めさせようと声を上げるティーナを、イールが遮る。

 彼女自身も、自分たちの立場は理解しているつもりだった。


「ただ、あたしらはエルフの文化に疎い。というかなんにも分からない。だからもし無礼があったら教えてくれ」

「……けっ。無礼って言うなら無断で俺たちの村に入った事がまず無礼だ」

「それについては村人の許可は得てるぞ」

「ソールを村人に数えるんじゃない!」


 イールとの押し問答にケイルソードはこめかみを痙攣させる。

 ティーナがじっとりとした視線で彼を睨んでいるため、実力行使には至れないようすだった。


「……とりあえず、長老のところに行くんだろう」


 諦めたようにケイルソードが言い捨てる。

 一行は、そうして洞の中へと足を踏み入れた。

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