第175話「面白そう! 今度ゆっくり見せて貰いたいわ」

「うーん、いい湯だったね」

「カミシロは源泉が多いんでしょうか。緑珠院にもありましたしね」

「なんにせよ、風呂に入れるのはありがたいさ」


 部屋も確保できたララ達は、荷物を置いて花行燈の温泉を楽しんだ。

 建物の裏手にある室内温泉は、緑珠院で入った温泉とほぼ同じような水質で、白濁した湯は長い石段の疲れをほぐす。


「けど、一日に二回も入るのはちょっと多過ぎかしら」

「わたしはもう逆上せちゃいましたよ」

「今日はもう早めに休もうか」


 火照った顔を扇ぐロミに、イールも苦笑いで言う。

 本来ならば日課にしているララとイールの武術鍛錬や、荷物の整理などのやるべき事が残っているのだが、長い船旅の後ということもあって今日は早々に休むことになった。

 三人は押し入れから布団を取り出して、部屋の真ん中に敷く。


「私窓側が良いわ」

「あたしは何処でもいいさ」

「わたしは真ん中でいいですか?」


 そんな事を話しながら、布団を敷いて、寝床はすぐにできあがる。

 ロミとイールにとっては、初めての布団での就寝である。


「それじゃ、明かり消すわよ」

「ああ。よろしく」

「おやすみなさいです」


 ララが部屋に備えられた行燈の光を吹き消すと、墨のような闇が三人を包み込む。

 わずかに開いた窓の隙間から、暖かい風が吹き込む。

 疲れもあってか、程なくして二人分の寝息が聞こえ始めた。


「……寝ちゃったかな?」


 静かになった部屋の布団の中で、ララは耳を澄ませる。

 聞こえるのは、二人の吐息だけ。

 起きている様子はない。

 ララはゆっくりと身を起こし、視線を向ける。

 幸せそうに笑みを浮かべて瞼を閉じるロミと、怜悧な表情のイールがいた。


「じゃ、ちょっと行ってきます」


 ララは二人を起こさない程度の小さな声でそう呟くと、ゆっくりと慎重に布団から脱出する。

 窓際に纏めておいた荷物を持って、彼女は音もなく窓を開く。

 外には一色の闇が広がっていた。

 人気はなく、ただ重く濃密な沈黙がずっしりと町並みを覆っている。

 ララは月明かりに薄く照らされた町の影を睥睨し、数度瞬く。


「ファーストラウンドってところね」


 窓を出て、瓦の上に立つ。

 そっと窓を閉めて、覚悟を決める。


「『身体強化』『消音障壁』『視覚強化』……出発ね」


 音を消して、彼女は屋根を蹴る。

 月明かりに照らされて、朧な影を地に落とす。

 舞うように華麗に、猫のように俊敏に、ララは屋根を伝って疾駆する。

 風を切り、闇を置き去りにして、彼女は銀の尾を引いて聳える山を目指した。


「んあ、石段大変だなぁ」


 最初の関門は、一度往復した長い石段である。

 ララは気怠げに息を吐くが、すぐに気を取り直す。


「『身体強化』『脚力強化』っと。よし、行くわよ――『空震衝撃』!」


 再度身体能力を補強し、更に脚力を重点的に高める。

 その上で彼女は石段の入り口に立つと、飛び上がると同時に圧縮した空気を放出した。

 まるでジェットエンジンのように、彼女は瞬間的に加速する。

 流れゆく鮮やかな鳥居の影を流し見ながら、彼女は更に連続で圧縮空気を放っていく。


「ひゃっほう! 最初からこれで移動すれば良かったわね!」


 まるで空を飛んでいるかのような快感に、思わず彼女は声を上げる。

 消音障壁のお陰で誰にも聞こえないのを良いことに、彼女の興奮は上がりっぱなしである。


「もう頂上が見えてきたわね!」


 あれほど苦労した石段も、ナノマシンを活用すればものの数分で突破できた。

 ララは石段の天辺に到着すると、満足げに息を吐いた。


「むふぅ。流石はナノマシンね。これくらい順調に神様にも会えるといいんだけど」


 感慨に耽っている時間はない。

 ララは指先の眼を使って集めた情報を元にして、緑珠院の町の中を駆け抜ける。


「っと、流石に見張りがいるわね」


 遠方にかがり火を見つけたララは慌てて物陰に隠れる。

 指先の眼から得られた情報によれば、町中には見張りの櫓が点在しているらしかった。

 それは昼間だけでなく夜も交代で常に人の目があり、見つかればすぐさま衛士が駆けつける。


「うーん、もうちょっと地味な服に着替えれば良かったかも……」


 ララの現在の服装は、いつもと替わらない一般的な布の服である。

 群衆の中でならば目立たないこの服装も、今の状況では注目を集める格好の的だ。


「光学迷彩を使おうにも、荷物は持っとかないと行けないしねぇ」


 光学迷彩を使って透明になれるのは自分だけである。

 そうなれば、持ってきた荷物だけが宙に浮かぶ摩訶不思議な光景が現れる。

 最悪、そちらの方が騒ぎが大きくなるだろう。


「ララ殿。お待ちしておりました」

「わひゅっ!?」


 唐突に名前を呼ばれ、ララは肩を跳ね上げながら振り返る。

 すわ敵襲かと思われたが、そこに立っていたのは闇よりも黒い漆黒の装いの男だった。


「あれ、無貌さん?」

「いかにも。サクヤ様からの指示により、案内を任されました」

「サクヤから……。びっくりしたわ」


 どうやら彼はサクヤから直々の命令を受けて、ララがやってくるのを待っていたようだった。

 ひとまず敵ではないことが判明し、ララは胸をなで下ろす。


「事前にお伝えできず申し訳ありませんでした」

「いいのよ。こちらとしても案内してくれるのは嬉しいし」

「ありがとうございます。それでは早速、こちらへ」


 無貌の男はそう言うと、たっと地面を蹴って走り出す。

 ララもそれに従い、彼の背中を追う。

 無貌の男は緑珠院の町についても熟知しているようで、時に迂回し、時に身を潜めながら、ララを目的の場所へと案内した。


「案内してくれるのは嬉しいけれど、これだけ抜け道があるのっていいのかしら……」

「ご心配なく。この抜け道は私たちだけのもの。普段は見張り以上に綿密に我ら無貌の者が見張っておりますので」

「そうだったのね。それは頼もしい」


 誇らしげに答える無貌の男に、ララは感心する。

 決して表舞台に現れる事のない彼らだが、彼らなりの矜持があるのだろう。


「さ、もうすぐ洞窟に着きます」

「結構早かったわね」


 町を影に潜みながら縦断し、ララ達は神域へと辿り着く。

 そここそがカミシロの中枢。

 巫女にのみ立ち入ることが許された最上級の神域である。

 それは、町を離れ木々が生い茂る中にぽっかりと口を開いていた。

 人気のない闇の中に、小さなろうそくの明かりが二つ灯っている。


「思ったより小さな洞窟ね」

「元は地滑りで開いた小さな亀裂を拡張したものです。少し進めば次第に道は大きくなっているらしいので、安心して下さい」

「あれ、あなたは入ったことないの?」

「ここへ立ち入れるのは、巫女や島の重要人物、あとは多大な功績を上げた方のみですので」


 ララの質問に、無貌の男は当然とばかりに頷く。

 それほどまでに神聖な空間へ、外部の人間である自分が立ち入ることをよく許してくれたものだと、ララは今一度サクヤに感謝した。


「そういう訳ですので、私が案内できるのはここまでです。重々気をつけて下さい。神はまだ、あなたが立ち入ることを許しておられません」

「ええ、よく分かってるわ。ありがとう」


 男の忠告に、ララは重く頷く。

 ここから先は必ずしも安全圏とは限らない。

 むしろ危険でさえあると、ララは本能的な部分で感じていた。

 彼女は持ってきたリュックの中から、用意していた道具類を取り出す。


「随分と面白そうな道具ですね」

「そう? かわいくて心強い子たちよ」


 無貌の男は、彼女が身につけていく道具類に興味を示していた。

 ララはベルトに銀の玉を吊りながら自慢げに言う。


「無貌の者も様々な道具を使いますから、このような物には興味があります」

「へえ、忍者みたいね。撒き菱とか苦無とかもあるのかしら?」

「煙幕を張る煙玉や、特製の呪符など、色々とありますよ」

「面白そう! 今度ゆっくり見せて貰いたいわ」


 男の言葉に、ララは目を輝かせて言う。

 男と同じように、彼女もそう言った小道具類には興味があった。


「それじゃ、帰ってきたらぜひ見せて頂戴ね」

「ええ。それでは、行ってらっしゃいませ」


 ララは洞窟の入り口に立つ。

 装備類に異常がないことを確かめると、彼女はゆっくりと足を踏み出す。

 男に見送られ、彼女は小さな洞窟の中へと消えていった。

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