第170話「あんな子が出していい音じゃない……」

「ふぅ、食べた食べた」


 山海の幸がふんだんに使われた料理に舌鼓を打ったララ達は、重いおなかを抱えて満足げに部屋へと帰ってきた。

 温泉、食事と身体の求める快楽を存分に味わい、まさに天へと昇るような心地である。


「もうこのままぐっすり眠りたい」

「つってもこの後は巫女と会うんだろう?」

「そうなのよねぇ。正直、明日にずらして欲しい」

「ふふ。確かに、ちょっと眠気が怖いですね」


 大きな欠伸を一つ漏らして、ララが憂鬱そうに言う。

 巫女に会えることに不満は無いが、できれば睡眠を取って万全の状態で対面したかった。

 結局、さっき急にナノマシンのエネルギーが消失した原因も分からずじまいである。


「巫女様の前で失礼な事しちゃったら、流石にダメかな」

「まあ怒られるだろうな。最低でも」

「教皇様と謁見中に居眠りなんてしたら、たとえ罰が無くてもその後の生活の全てに陰口がつきまといますよ」

「うわぁ……。キア・クルミナ教って案外陰湿?」

「人間誰だってそんなものですよ」


 さらりと言い切るロミは、年齢にそぐわぬ達観した目をしていた。

 妙に現実味を帯びているその言葉の詳細を尋ねることは、ララにもイールにもできなかった。


「皆様、もうすぐお時間ですので、外へとお越し下さい」

「おっと、もうそんな時間か」


 戸の向こう側から、無貌の者の声が届く。

 話に花を咲かせていると、いよいよ巫女と顔を会わせる時間となった。

 三人は互いの服装に変なところが無いことを確認すると、覚悟を決めて外へと出る。


「来たか。いよいよじゃの」


 ガモンは一足先に来ていたらしく、折り目正しい袴と着物で立っていた。

 金の扇子を帯に差し、長い白髭を揺らす姿は、長い歴史に裏打ちされた力強ささえ感じさせた。


「皆様お揃いになりましたので、ご案内いたします」


 四人が揃ったことを確認して、無貌の者が歩き出す。

 足音すら無い彼の後を、彼女たちは付いていった。

 向かう先は、緑珠院。

 この山中に開かれた小さな町の中で最も大きく荘厳な建物である。


「どうぞお入り下さい」


 長槍で武装した衛士が守り大きな扉が開き、彼女たちは内部へと足を踏み入れる。

 緑珠院の仲は、これまで見たカミシロの建物とは違って大陸風の造りで、靴は脱がず土足で歩く。

 鮮やかな緑の絨毯が長く広い廊下に敷き詰められて、両脇には淡い光のランプと直立する衛士が等間隔で立っていた。


「すごく綺麗ね……」

「建築様式は、大陸とよく似てますね」

「久しぶりに眩しくて目がチカチカするな」


 外観に違わぬ美麗な内装に、ララ達は感嘆の声を上げる。

 多大な資源と労力を惜しげもなく投入して作り上げられたこの宮殿のような建物は、人を圧倒させる魔力を秘めていた。


「巫女様のお部屋です」


 一行は長い廊下の最奥に辿り着く。

 そこには、一際分厚く頑丈な扉があった。

 暗い色合いの木材に緑色の水晶がはめ込まれ、魔術的な紋様が彫られている。

 ここがこの館、ひいてはこの島この国の最重要部位、心臓といっても過言では無いことが、ララ達にもひしひしと感ぜられた。

 完全武装した衛士が薄く頷き、扉に手を掛ける。

 両脇に一人ずつ、二人の衛士が同時に操作することで、扉は開く。

 蝶番の軋む低い音が響き、扉はゆっくりと滑り出す。


「いよいよね」


 ララは生唾を飲み込んで、小さく息を吐いた。

 扉が開く。

 そこは広い空間だった。

 廊下のものよりも濃い緑色の、毛足の短い絨毯が敷き詰められた部屋だ。

 正面と左右の三面の壁は全て本棚となっており、梯子が掛かっている。

 そして、その中央。

 書類が山のように積まれた執務机に向かう、一人の幼い少女がいた。

 彼女は心底嫌そうな表情で、筆を走らせる。

 書類を読み、サインを書き、横へ流す。

 一連の動作は完全にパターン化されているのか、猛烈な速度である。

 けれどもその量は膨大で、なかなか減っている様子は見えない。


「あの人が巫女様?」

「そうじゃ。まだ若いがの。先代が亡くなったのは一年ほど前。当代の巫女様は、そのお孫様じゃよ」


 声を潜めて尋ねるララに、ガモンも声を抑えて答える。

 幼い巫女は、白と赤のゆったりとした着物を身に纏っていた。

 白磁のような肌に鮮やかな紅がよく映える。

 しかし、いかんせん幼い。

 年齢は恐らく、二桁になってまだ間もないと言ったところだろう。


「あんな若い子が、大変ね」

「しかたないわ。これが私の役目なんだもの」

「うわああ!? き、聞こえてたの?」

「逆に正面の扉が開いてぞろぞろやって来て、気が付かないとでも思ったの?」


 突然返ってきた言葉に、ララは肩を跳ね上げて驚く。

 巫女は作業の手を止めず、ちらりと視線を動かす事も無く言った。

 年若い、鈴を転がしたような可愛らしい声である。


「これ、あたしたちはどうしたらいいんだ?」

「ま、とりあえずそこのソファに座って。私も一段落付いたら行くわ」


 物怖じしないイールの問いかけに、巫女は気にした様子も無く答える。

 それに従って、四人は執務机の前にあったテーブルセットの黒い革張りのソファに座って巫女を待つ。


「ふぅ、終わり! てか終わる! やってらんないわよ、来年の予算なんて知らない!!」


 吐き捨てるように言って、巫女は筆を置く。

 ぐぐっと彼女が背筋を伸ばせば、バキボキと音がする。


「あんな子が出していい音じゃない……」

「文句はこんないたいけな少女に巫女の役を押し付けた周りに言って頂戴」


 巫女は随分と耳が良いらしく、ララの独り言も逃さない。

 彼女は執務机を簡単に片付けて、ララ達の前に座った。

 正面に相対してよく分かる。

 艶やかな長い髪を結った少女は、神秘的なまでの美しさを備えていた。

 年齢を考えると、まだ可愛らしいという言葉が似合うはずだというのに、彼女は妙に大人びた独特の雰囲気を纏っている。


「それじゃ、初めまして。私がカミシロの巫女、サクヤよ」


 そう言って、彼女は照らすような眩い笑みを浮かべた。

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