第169話「全ては食から始まるわね」

 ララ達は温泉を存分に楽しんでから、さっぱりとした気持ちで部屋に戻る。

 濡れた髪をロミに魔法で乾かして貰い、清潔な姿になる。

 思い思いの姿で彼女たちが過ごしていると、引き戸が控えめにノックされた。

 一番近くで寝転がって畳みの感触を楽しんでいたララが頭だけおこして反応する。


「食事の用意ができましたので、広間の方へお越し下さい」


 返ってきた声は、くぐもった落ち着きのあるものだ。

 ララの初めて聞く声だったが、十中八九無貌の者だろう。


「分かったわ。ありがとう」


 ララが扉越しに返すと、それきり気配が消える。

 どこまでも静かで影のような人々だった。


「というわけだしそろそろ行こっか」

「時間的にはちょっと遅い昼食ってところか。食べたらついに巫女様のところに行くんだろうな」

「どんなお料理が出てくるんでしょうか……。やっぱりミオさんのお店みたいなお料理でしょうかね」


 ララが部屋の奥に顔を向けて言うと、イールとロミも立ち上がる。

 服装の乱れを直して、彼女たちは期待に胸を膨らませながら広間へと急いだ。

 この館でもっとも広い部屋が、当然の如く広間として設定されているわけなのだが、その広さは畳十二枚分もある。

 ララ達が襖を開けて入ると、部屋の真ん中には背の低いテーブルと座布団が配置されていた。


「おお、来たか。ここの温泉は見事じゃったろう」


 ガモンは一足先に来ていたらしく、ララ達を認めると誇らしげに笑みを零した。

 彼も温泉を楽しんで旅の疲れを癒やしたらしく、服装が新しい袴に替わっていた。


「ええ、とっても気持ちよかったわ。石けんもみんな気に入ったの」

「あれは加密列の葉を練り込んだものだったかのう。日持ちはあまりせんが、ここの特産物として、下の町でもよく売れておるらしい」

「緑珠院で作ってる石けんだったのね」

「多少は稼がねば、町を維持できぬからのう」


 どうやらあの石けんは、この緑珠院で作られているものということだった。

 ララは緑珠院の収益体制を垣間見て、感心したように頷いた。


「なあ、カミシロは枕に座るのか?」


 机の前に立ったイールが、不思議そうな顔をして座布団を指さす。

 紺に染められたふかふかの座布団は、確かに大陸では見ない。

 彼女が枕と思うのも仕方の無いことだろう。


「それ枕じゃなくて、座布団って言うのよ」

「ララ殿は詳しいな」

「ほ、本で読みましたから!」


 うっかり普通に答えたララに、ガモンが感心したように言う。

 設定を思い出し、ララは慌てて弁明した。


「建物も土足厳禁ですし、色々と文化は違うみたいですね。ミオさんのお店はその辺り、かなり大陸側に寄せてるんでしょうね」


 ぽすぽすと座布団の感触を楽しみながら、ロミが言う。

 彼女は見よう見まねでララの隣の座布団に正座する。


「正座が辛かったら胡座でもいいのかしら?」

「そういうことに慣れていないのであれば無理強いはできぬよ。儂らもナイフやフォークの扱いは未だによく分かっておらんしな」


 寛容なガモンの言葉を受けて、イールは早々に足を崩した。

 ララはともかく、ロミは頑張って正座をしている。


「ロミは足崩さないの?」

「神官服の構造的にそちらの方が難しいんですよ。それに、これくらいなら修業時代で慣れていますので……」

「地味にロミの修業時代って過酷そうだよね」


 朗らかな笑みを浮かべて言うロミに、ララは少しだけ戦慄を覚えた。


「皆様お揃いですね。では、料理をお持ちいたします」

「おわっ!? び、びっくりした……」


 突然声が響き、ララが驚く。

 気が付けば、いつの間にか襖の前に黒ずくめの男が立っていた。

 無貌の者の本質なのだろうが、こうして気配を消して現れるのは中々慣れない。

 男の合図を受けて、襖が静かに開く。


「わぁ、みんな同じ……」

「個性を消してこその無貌の者じゃからのう」


 現れたのは、お盆を運ぶ無貌の者たちだった。

 皆同じ服装で顔を隠し、違いと言えば多少の身長差程度である。


「山独活の酢味噌和え、海鮮焼き、百合根の茶碗蒸し、牙魚の煮凝り、山菜の味噌汁です。ご飯はシラギリで獲れた雪の舞という品種を使っております」

「め、メニューが新鮮だわ……」


 大陸とは趣の異なる料理名に、ララは感動を覚える。

 目の前に並べられたのは、可愛らしい小鉢と茶碗、艶やかな漆塗りの椀だ。


「わぁ、凄く繊細なお料理ですね」

「こんなに沢山の器が出てくる料理なんてあんまり食べたこと無いな」


 カミシロの本場の料理を見て、ロミ達も感激に声を上げる。

 器の一つ一つにも美しい模様や絵が描かれて、淡く色づけがなされている。

 そこに収まる料理の数々も、丁寧に作られた芸術品のような美しく上品な姿だった。


「船長、シラギリっていうのは?」

「カミシロの北にある地域じゃな。水源豊かで米の栽培が最も盛んな所じゃよ」

「ほうほう。ということはこのお米も一等米ね」

「シラギリと言えば雪の舞、米と言えば雪の舞じゃの。カミシロで最も広く食されておる品種の一つじゃろうな」


 ガモンの言葉に、ララは驚きを示す。

 それと同時に、雪のように白く輝くご飯に期待が上限突破していた。


「それじゃあ、早速いただきます!」


 料理が揃ったのを見て、ララが手を合わせる。

 持ってきたマイ箸を構え、彼女はまず山独活の酢味噌和えを迎えに行った。


「んん~! シャキシャキしてて美味しいわね。酢味噌も深いコクが出てて、とっても美味しい!」

「味噌……、これはなんなんだ……」

「豆を発酵させて作った調味料だよ。豆は醤油とか大豆とか豆乳とか湯葉とか、色んなものに加工して使われてるよ。……って本に書いてあったの」

「カミシロ人は豆が大好きすぎる……」


 ララの説明を聞いて、イールは呆れた様に言う。

 確かに大豆の汎用性は高く、一度の食事で最低でも一度は大豆由来の食材を口にするレベルだろう。


「あ、この海鮮焼きも美味しいですね。やっぱりわたし、貝が好きみたいです」


 ロミが食べたのは海鮮焼き。

 カミシロの近海で獲れた二枚貝を、酒蒸しにした料理だ。

 大振りでぷりぷりとした貝柱を口に運び、彼女はうっとりと頬に手を当てて言う。


「この茶碗蒸しだったか。プリンみたいだ」

「カミシロ版プリンみたいなものよ。こっちは食事向けで、デザートじゃないけど」

「おお、色々具も入ってるんだな」

「一番のメインはこの百合根ね。ほくほくしてて美味しいわよ」


 ミオの店での下地があったからか、イールとロミもカミシロ料理を受け入れて楽しむことができていた。

 全体的に大陸と比べれば薄味な料理だが、それは逆に素材の味を活かしているとも言える。

 口の中に広がる繊細な味に、彼女たちは舌鼓を打つ。


「雪の舞も美味しいわね。ちょっともっちりしてて、甘みがあるわ」

「どんな味にも合うようにと作られた品種じゃからの。丼に使うには少し水分が多いが、こうして茶碗で食べるとなれば米の中では一番じゃろう」


 雪の舞は、流石カミシロで広く愛されているだけあってその味は期待以上のものだ。

 丁寧に蒸らされた米はほっくりと炊き上げられて、噛めば噛むほど味が出る。

 おかずの小鉢と合わせれば、また味に深みが出る名脇役だ。


「このスープはお味噌が溶いてあるんですね。山菜も美味しいです」

「お味噌汁も、凄く丁寧に出汁が取ってあるわね。味噌もそれを殺さず、むしろ活かしてる」

「入ってる山菜も、このあたりで採れたものなんだろうな」


 カミシロの料理は、身体にじんわりと染みこむような味わいだった。

 素材の優しさが、疲れた身体を芯から解きほぐす。

 ララは栄養が身体を形作っていくことを、今まさに実感していた。


「やっぱり、全ては食から始まるわね」


 達観したようにしみじみと言って、ララはご飯をまた口に運ぶ。

 この味を知ることができただけでも、彼女はカミシロへ来た意味を見出せた気がしていた。

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