第168話「職人気質な人が多いのかしらね」

「おおお~! すごい! 広い! 大きい! 綺麗!」


 ララの歓声が広い浴場に響き渡る。

 建物の裏手に作られた温泉は、今までララが見てきた温泉の中で最も大きなものだった。

 天然の岩で湯船は区切られ、乳白色の湯が穏やかに波打っている。

 滑らかに磨かれた石の床は僅かに傾斜が付いており、自然と水が捌けるような造りになっていた。

 防犯やプライバシーの観点からか、温泉とはいっても露天では無いが、窮屈さを感じさせない、開放感に溢れた構造だった。


「おお、これはすごいな。流石の緑珠院ってところか」

「無貌さんも仰っていましたし、やっぱりかなり高位のお客様をもてなす場所なんでしょうね」


 ララの後ろに付いてきたイールとロミも、その豪奢な浴室に感嘆する。

 当然だが、彼女たちは今生まれたままの姿である。

 特に羞恥心も現れていないところを見ると、三人の仲も共に過ごすうちに深まっているようだった。

 ララはぱたぱたと足早に浴室に入り、早速備えてあった木桶で湯浴みをする。

 お湯の温度は少し熱いくらいで、それが逆に気持ちよかった。

 さらさらとララの雪のように白い肌の上を湯が滑り、長い船旅の疲れと汚れを押し流していく。


「うぅぅぅ、気持ちいい……」

「乳白色の湯か、成分はどんなものなんだろうな」

「美肌効果とかありそうですねぇ」


 イールが湯船に片手を泳がせる。

滑らかな水質で、なるほど確かにロミの言葉通り美肌効果も期待できそうだ。


「それじゃ、一番乗りね!」


 そう言って、ララが湯船に足を付ける。

 そのままずぶずぶと進み、ちょこんと腰を下ろして肩まで浸かる。

 全身を弛緩させ、さも極楽と言った表情で彼女は湯に溶けた。


「ふぅ、気持ちいいわ。疲れが溶けてく……」

「あたしたちも入るか」

「そうですね」


 気持ちよさそうなララの様子に、イールとロミもいそいそとかけ湯をして湯船に入る。

 丁度いい温かさのお湯は全身に染み渡り、凝り固まった筋肉と血流をゆっくりじんわりとほぐしていく。

 蓄積した疲労が溶け出し、身体が正常に戻りつつあるような、そんな心地よい感覚だった。


「やっぱり温泉は良い文化ね」

「ハギルでもアルトレットでも、宿を決める理由にお風呂があるかどうかがありましたもんね」

「野宿だとどうしてもお風呂は入れないからねぇ。だったら屋根の下で泊まってる時くらいはゆっくりお風呂に浸かりたいわ」

「うふふ。わたしも同感です」


 これがもし、自分が男だったらそうは思わなかったのだろうかと、ふとララは思う。

 しかし、彼女はすぐに首を振った。

 おそらく、これは男女の垣根をもっと遡った根幹にある、生命として普遍の欲求なのだろう。


「猿もカピバラも温泉好きだもんね」

「猿と、かぴ?」

「人間以外にも、温泉に入る動物って結構いるの」

「そうなんですか! ああ、でも森の中に天然の野湯とかもありますもんね」


 どうやらロミはそう言った温泉の存在も知っていたらしく、ララの言葉に納得して頷く。


「魔獣も温泉に入ったりするのかしらね?」

「知能が高かったり、生息域の中に温泉が湧いてる時は入ったりもするんじゃないか?」

「イールはそういうの見たことあるの?」

「温泉が湧くような山には、基本入らないようにしてるからなぁ」


 魔獣のこととなれば、この三人の中で最も博識なのはイールである。

 けれども彼女はこう見えて案外安全志向で、危険度の高い山中の依頼などは基本的に受けないようにしているらしかった。


「ハギルみたいな、山の依頼しかない時は別だけどな」

「そういえば、私と会った時も山の中に行く予定じゃ無かったの?」

「あれは山というか、森だな。森ならある程度歩き方も分かる」

「山と森ね、そんなに違うのかな」

「山は登ったり降りたり、移動するだけでも体力をかなり消耗しますから。転落なんてしたらそれだけで命の危機ですし、全体的に見て山の魔獣は結構強かったりもしますからね」

「へぇ。確かにロックスピルが転がってきたら跳ね飛ばされそうだわ」


 ロミの説明に、ララは得心がいったらしくふむふむと頷く。

 山という地形は、ただそれだけでかなりの行動を阻害する天然のトラップなのだ。


「そう考えると、よくこんな山の中に町を造ったわね」

「そうだなぁ。地形を均して石段造って、尋常じゃ無い労力だな」

「たしかに。それだけの労力を投入する理由は少し気になりますね」


 彼女たちが今湯を楽しんでいるここは、まさしく山の中腹である。

 カミシロにも魔獣は生息しているし、この山にだけいないということは無いだろう。

 一体どれほどの人員が投入されたのか、考えるのも難しい。


「巫女様だっけ。カミシロの神の声を聞くって」

「ガモンさんはそう仰ってましたね」

「神の声ね……。キア・クルミナ教の神官はアルメリダの声を聞けたりするのか?」


 神と言えば、ロミである。

 イールが素朴な疑問を持ってロミに尋ねる。


「女神の声を聞けるのは神託の聖女といって、一握りの少女だけです。それも若く、清純で、清らかで、無垢で、光る髪をした少女、という条件があるんですよ。だから教会は孤児院を使ったりしてそのような条件にあう少女を集めて教育してたりしますよ」

「一応聞ける人はいるのか。しかし条件が中々厳しいな……」

「あんまり締め付けすぎると清純無垢という条件には当てはまらなくなるので、なかなか大変みたいですよ。基本的に、神官になる為の修行はかなり大変なので」

「ロミは条件に当てはまってるような気がするんだけど、ダメなの?」

「あはは。一応当てはまってはいるんですけどね。条件が揃ってる人の中でも、女神の声を聞けるのは全体の一割もいないんですよ」


 ララの指摘にロミは恥ずかしそうに自分の金髪に指を通す。

 それだけの条件ならば、確かに彼女も当てはまるし、なんならかなりの人数が当てはまる。

 そう上手くはいかないか、とララは少し落胆した。


「そんなこと言ったら、ララも当てはまるだろ?」

「無垢かどうかは知らないけど、他は確かに当てはまるかもね。光る髪っていうのがよくわかんないけど」

「光る髪っていうのは、明るい髪色ってことですよ。金髪銀髪あたりなら大体大丈夫です」

「イールは全部の条件外ればばばばばばっ!!!」

「あたしも若くて清純で清らかで無垢だ!」

「清純で無垢な人は人のほっぺた抓ったりしない!!」


 ララの柔らかな頬を両手で引っ張るイール。

 また始まったかとロミは慣れた様子で、しずしずと湯船から抜け出した。


「あ、石けんもこれ綺麗ですよ。香草が練り込んであって、良い香りです」

「おお? ほんとだ! 芸が細かいわねぇ」


 ロミの声に、ララが湯船から抜け出して駆け寄る。

 いくつかあるお湯が流れ続ける洗面所には、一つずつ小ぶりな石けんが置いてあった。

 それはただ真っ白なものではなく、細かく粉砕された香草が配合されており、すっきりとした爽やかな香りをしている。


「香草入りの石けんか。面白いな」


 いつの間にかイールもやって来て、石けんを手に取って眺める。


「やっぱり、職人気質な人が多いのかしらね」

「建物とかも見てると、かなり技術力は高いですもんね」


 ロミは石けんを脱衣所にあった手ぬぐいに挟み、泡立てる。

 ふわふわとした泡がすぐにもこもこと溢れ、彼女の肌を包み込む。


「すごく滑らか! あうう、持って帰って使いたいですねぇ」

「流石に野宿じゃ使えないけど、持ち歩いてお風呂のある宿で使いたいね」


 ロミの隣に並んでララも泡立てる。

 白いきめ細やかな泡は面白いように立ち上がり、優しく全身を撫でる。


「カミシロの町で売ってたりしないかなぁ」

「その前に、日持ちはどれくらいするんだろうな?」

「気軽に立ち寄れる場所でもないしねぇ」


 石けんは汚れを落とすだけで無く、保湿効果も抜群のようだった。

 泡を洗い流せば、すべすべてかてかとした張りのある肌があらわれる。

 そんな石けんの効能の高さに、三人はますます惚れ込んでいった。

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