第26話「上の方の人たちは、これを『女神の翼』と呼んでる」
旅の準備も一通り終え、予定も落ち着いたララたちは、赤羽根トンビの裏庭で鍛錬に明け暮れた。
主な目的はララの戦力向上だが、ナノマシン由来の強力な回復能力を生かし数を重ねる彼女は破竹の勢いで実力を付け、最後にはイールとも互角の勝負をしていた。
「はああっ!!」
「ちっ! ――降参だ」
「やったぁ! 初めてイールに勝っちゃった」
首筋に迫るハルバードの刃に冷や汗を流し、イールはその場にへたり込む。
瞬間的な破壊力で言えば、まだイールに軍配が上がるだろう。
しかしララの秘めたる真価は、ナノマシンによる超回復に裏付けされた非生物的な持久力だ。
戦いが長く激しくなればなるほどに自分は疲弊するが、ララは汗の滴の一つも流さない。
純粋に、年相応な少女のように飛び跳ねるララを見て、イールは乾いた笑みを浮かべた。
「これくらい強くなったなら、あとは実戦に慣れるだけだな」
「実戦ねぇ。やっぱり練習とは違うの?」
「そりゃあな。殺るか殺られるか、余分なことは何もないただただ純粋な命の取引だ。相手は当然なりふり構わず卑怯な手なんていくらでも使ってくる。勝ったヤツが、勝ちなのさ」
長い傭兵生活の中で経験した、幾百もの修羅場を思い返してイールはしみじみと言う。
今でこそ歴戦の傭兵として名を広めつつある彼女も、陥った命の危機を数えてみれば枚挙に暇がない。
そんな彼女だからこそ、実戦と鍛錬の違いというものを深く実感していた。
「経験値をためて、レベルを上げないと、魔王にも挑めないものね」
「うん? なんか言ったか?」
「ううん、こっちの話よ」
ぼそりと呟き、ララはまたハルバードを担ぐ。
あれだけ激しい戦いを繰り広げたというのに、彼女は瞬時に体調を整えることができる。
「さぁイール、もう一戦よ!」
「まだやるのか……、もう疲れたんだが」
呆れたように眉をひそめながらも、剣を構えて立ち上がる。
なんだかんだで、イールは面倒見の良い性格のようだった。
*
そして、三日後の朝がくる。
いつものように太陽はゆっくりと顔を出し、高い防壁に囲まれたヤルダの町並みをじわりと照らす。
まだ肌寒い風が通りを駆け抜ける時刻に、ララとイールは神殿の前にまでやってきていた。
すでに旅装を整え、ララはベルトに待機状態のハルバードを提げている。
この日のために用意したポーチや、竜皮の青い鞘のナイフももちろん身につけ、どこからどうみても旅人である。
「けど、なんで神殿なんだろうね? ロッドも連れてこなくて良いって言われちゃったし」
人気のない神殿前の広場で、不思議そうにララは首を傾げる。
隣に立っていたイールもその言葉に同意する。
「あたしも詳しいことは知らないな。野宿用の道具もいらないらしいが」
事前にあったレイラの言葉は簡潔なものだった。
曰く、戦えるだけの準備を整えて神殿前に待機しなさい。
持ち運ぶ荷物は必要最低限。
ロッドも赤羽根トンビに置いておく。
ヤルダから目的の村までは最低でも三日はかかるというのに。
「やぁ、朝早くに苦労かけるね」
「お二人とも、おはようございます」
疑問を浮かべる二人の元に、神殿の方から声が掛けられる。
振り向いてみれば、やはり神官服の身を包んだレイラである。
側にはロミも、旅装を整えて控えていた。
「レイラ、まずはどうやってコパ村まで行けばいいのか聞いても良いか?」
にこにこと笑みを浮かべる赤髪の神官に、イールは尋ねる。
レイラは当然のごとくその質問を予期していたようで、一つ頷くと事情を説明した。
「あんまり外に漏らされると困るから、今まで言えなかったんだけどね。コパ村までは神殿から飛んでもらうんだ」
「神殿から、飛ぶ?」
一切の詳細が掴めない説明に、ララとイールは揃って首を傾げる。
見れば、レイラの背後に控えるロミも不思議そうな表情だ。
「まあ、ここで話すのもまずいから、ひとまず神殿に入ろうか」
そう言って、レイラは身を翻す。
彼女の後に続いて、三人は神殿の中に入る。
平時と違い、人気のないロビーを抜けて、更に奥へと進む。
やがて長い階段を下り、厳重な鋼鉄の扉の前にたどり着く。
「ずいぶんと物々しい場所じゃないか」
物珍しげにそれを見て、イールが感想を漏らす。
「まさか、神殿の地下にこんなものがあったなんて……」
神官のロミも初めて見る物らしく、大きく口を開けて呆けている。
先導していたレイラは振り返ると、三人の顔を見渡して言う。
「これは各地の神殿長、それも最低でもヤルダくらいの大きさの町にある神殿の長にしか知らされてないんだけどね。キア・クルミナ教は、とある一つの古代遺失技術を復活させ、保有してるんだ」
金色の瞳を猫のように細め、レイラは小さな声で続ける。
「その技術のおかげで、キア・クルミナ教は今のように大陸全土に広く緻密に勢力を拡大することができた。上の方の人たちは、これを『女神の翼』と呼んでる」
彼女が細い手を扉に添える。
青白く輝く光が、放射状に扉を走り、封印が解かれていく。
「この扉を開くことができるのは、極々限られた一部の人間のみ。たとえば、神殿長とかね」
私も開けるのは久しぶりだけど、と言葉を漏らしながら彼女は扉を押し開ける。
石の擦れる音が響き、ゆっくりと奥へと続く道が広がる。
「さあ、もう少し奥まで進むよ」
ちらりと後ろの三人を見て、レイラは小さく笑みを浮かべた。
扉から放たれた光がゆっくりと先へと続く長い廊下の壁を走る。
ほのかに照らされた石の道を、四人は進んでいった。
「ロミも、ここは見たことなかったの?」
「はい。こんな施設があったことも知りませんでした」
隣だって歩きながら、ララの問いにロミは頷く。
「キア・クルミナ教は、地位によって情報の隔たりがかなり大きいんですよ。わたしも武装神官にならなかったら知らずに過ごしていた情報をいくつか持っていますし」
「全部の情報を知ってるのは、それこそ教皇様くらいじゃないかな」
ロミの言葉に、一歩先を歩いていたレイラが重ねる。
ヤルダの神殿長として多くの情報を持つ彼女にも、未だ知らないキア・クルミナ教の知識は多く存在するのだという。
「まあ、この徹底した秘密主義のおかげで、若い神官とかは外部から狙われなくてすむんだよ」
軽い口調で言うレイラだが、彼女が『
「しかし、そんな情報をあたしたちに知らせても良かったのか? まるっきり外部の人間だぞ」
最後尾を歩いていたイールが、そんな疑問を投げかける。
「いいのいいの。ちゃんと上に許可は取ってるしね。結構のんびりしてるように見えて、上も看過できない程度には緊急事態なんだ」
今ですら危機感の欠片もない表情を浮かべて、レイラは言い放つ。
教会の上層部が無視できないほどに、教会の保有する古代遺失技術の重要性は高い物なのだ。
「まあ、一つだけ謝らないといけないんだけど。今回の一件がどう転んだとしても、ララとイールには教会の目が付くことになるわ」
「まぁ、それくらいはあたしにも分かる」
「機密情報を知ってしまった訳だしね。仕方ないわよ」
申し訳なさそうに声色を落とし、レイラが言う。
ララとイールはそれくらいのことは織り込んでいた為に、さほど驚く様子はなかった。
「――さて。そんなこと話してるうちに、着いたよ」
そう言って、先頭のレイラが足を止める。
気が付けば青白い光が石廊の突き当たりで残り、輝きを増していた。
そこに立ちふさがっているのは、一枚の壁である。
「突き当たり。……ただの壁じゃなさそうだな」
イールの言葉に、レイラは頷く。
「『閉ざしたる巌の門を叩く。我、力と許しを以て門を叩く』」
レイラの唇から淀みなく紡がれる、魔力を帯びた言葉。
そのリズムに呼応するように、壁の表面を雷のような光が何条も走り抜ける。
「『翼の至宝を守る錠よ、我が鍵によって今開け』」
ゆっくりと、壁が二つに割れる。
空間が広がる。
奥にあるのは、固く塗りつぶしたような漆黒の闇だ。
「『我が指先に標の火よ灯れ』――。さぁ、ここが目的地よ」
指先に魔法の炎を灯し、レイラが振り返る。
煌々と光を放つ炎が照らし上げるのは、見上げるほどに天井の高い、円形の部屋だった。
「すごい……。こんなに広い空間が、神殿の地下にあったなんて」
驚きの声を上げたのは、白杖を抱くロミである。
自分たちの足下に隠されていた巨大な施設に、目を見開いている。
「ずいぶんと立派な施設だね」
「よく分からないけど、すごいってことは分かったわ」
対して感動の薄い、部外者が二人。
キア・クルミナ教のことをほとんど知らない、もしくは興味の薄い二人は、この施設の随所に施された様々な文様の意味をくみ取ることができない。
そのため、ただただ豪華な部屋という印象しか持てなかったのだ。
「あはは。まあ、普通の人にはこの部屋の何がどうだなんて、よく分かんないよね」
部屋の端に立てられた燭台に炎を移しながら、レイラが苦笑する。
神官として一定の知識を持つロミやレイラならば、この部屋の意味することはすぐに分かる。
そして、その意味の重さも。
「よし、これで最後っと」
レイラが灯す光源が増える度、内部の様相は鮮明になる。
彼女が最後の燭台に火を灯した頃には、昼間と変わらないほどの光が満ちていた。
そして三人は、床に描かれた複雑で巨大な陣の存在に気づく。
それは、直線や曲線、無数の模様、図形で構成された陣だ。
レイラはその側に立ち、三人を見渡す。
「これが、神殿の秘密の一つでもある最重要施設。通称『女神の翼』だよ」
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