第23話「これはお箸よ!」

 翌日。

 二人はヤルダの町の商店街を歩いていた。

 来る出立の日を迎えるに当たって、ララの旅の道具を揃えるためだ。


「いろんな店があるのね」

「ヤルダの町は大きいからな。ここで揃わない物はないとも言われてるんだ」


 きょろきょろと落ち着きをなくして首を動かすララを、イールは優しい眼差しで見つめる。

 今日も彼女の赤髪は、イールの手によって綺麗な三つ編みで揺れていた。

 二人ははぐれないように手をつなぎ、人混みの中をゆっくりと歩く。

 商店街は、ヤルダの町のどこよりも活気に溢れている。

 そこかしこで客引きの声が響き、道行く通行人の談笑と混じり合う。

 爽やかな午前の日差しもたっぷりと降り注ぎ、まるで祭事の如き熱気が渦巻いていた。


「まずはどこに行くの?」


 商店街に軒を連ねるのは、多様な店の数々だ。

 食料や陶器、織物、輸入品、珍味、果ては魔獣の素材まで。

 思いつく限りの専門店がひしめいている。


「そうだな。最初は鞄でも買うか」


 後に荷物が増えることも考慮したのだろう。

 イールは少し考えてそう言った。

 彼女の案内で町を歩くこと数分。

 二人は、一軒の店の前で立ち止まった。

 通りの真ん中に店を構える古い外見の店だ。

 中を覗くと、少なくない人たちが立ち並ぶ商品棚の前に立っている。


「この店が、あたしの知ってる中だと一番品質と価格のバランスがいい鞄屋だよ」


 イールが背負うリュックも、ロッドに背負わせている荷馬用の鞄も、すべてこの店で買ったのだとイールは語った。

 革の仕入先から拘る職人による手作りの鞄はどれも品質がよく、長く買い換えて使い続ける愛好家も数多くいるのだという。


「買ったのは数年前だけど、丈夫でまだまだ使えるんだ」

「イールって意外と物持ちいいわよね」

「意外と、とは失礼だな」


 ララの言葉に、イールは彼女の頬を引っ張ることで答える。


「い、いひゃい!!」

「当然の報いだろ」


 イールは毎晩、寝入る前に自分の道具を一つ一つ点検していた。

 特に念入りに点検するのは命を預ける剣だが、鞄もまた彼女は隅々まで見て解れや破れがないか確認しているのだ。

 言動や性格とは裏腹にマメな彼女に、ララが毎夜感心しているのも事実である。


「とりあえず入ろう。色々種類があるから、自分の気に入ったのを選ぶといいさ」

「りょーかい! アームズベアの報酬金も結局まだ手つかずなのよね」


 二人は放たれた扉をくぐり、薄暗い店内に足を踏み入れる。

 革となめし液の匂いが店内には充満していて、ララは一瞬顔をしかめた。


「いらっしゃい」


 二人を出迎えたのは、大柄な男だった。

 袖のない服を着て、丸太のように太い腕を組んでいる。

 禿頭の下の額からは、ララの人差し指ほどの小さな黒い角が生えていた。


「こんにちは。旅に必要な鞄を探しにきたの」


 厳つい店主に臆することもなく、ララは気軽に話しかける。

 男は一瞬虚を突かれたように呆けたが、すぐに口の端をゆるめた。


「鬼人が珍しくないのか」

「獣人も巨人も竜人もいるような町で、今更驚きもないわよ」

「はははっ! それもそうだな。いや、すまない。旅人用の鞄だったな」


 爽やかな笑い声を響かせて、鬼人の男は額に手を打った。

 そうして、いくつかの候補をララに提示する。


「そっちの姉ちゃんみたいなリュックは、体に密着できるからそのまま戦闘に移れる。容量も十分だと思うぞ。ポーチ型はあまり容量はないが、負担も少ない。斜めに掛けるタイプもあるぞ」

「手提げタイプとかもあるみたいね?」


 商品棚に目をやりつつララが言うと、男は首を振る。


「そういうのは旅人向けじゃねぇ。町の住人が普段使いするためのもんだな」


 ふむふむとララは頷き、イールに視線を送る。

 彼女の背中にあるのは、肩紐と腰のベルトで体に密着するように作られたリュックだ。

 だいたいの荷物はロッドが持ってくれるため、それほど大きな物ではない。

 ララ自身もそれほど大きな荷物は必要としていないため、大げさなリュックは障害になるだけという結論に至る。


「ポーチ型の鞄を見せてもらってもいいかしら?」

「いいぜ。ちょっと待ってな」


 店主は軽く頷くとカウンターから出てきて、商品棚を物色する。

 隠れていた下半身もがっしりと太く、全身を見ると巌のような存在感だ。


「ほら、丁度このあたりが売れ筋だな」

「ありがとう」


 差し出されたポーチを受け取り、ララは自分の腰に巻く。

 シンプルな半月型のポーチは体に密着し、重心がずれる様子もない。

 しゃがんだり飛び跳ねたりと動き回り、一通り使用感を試した彼女は満足げに頬をゆるめた。


「やっぱり、ポーチ型かしらね」

「何か気に入らないところはあるか?」

「ベルトをもう少し丈夫な物にしたいわね。あとポケットがいくつかほしいわ」


 ララの要求に、男は頷く。

 そうしてすぐに別の鞄を持ってきた。

 今度の物はベルトが二枚の革で作られた頑丈な物で、側面に三つボタン付きのポケットがある。


「ふむふむ。これ良いわね! ねぇイール、どうかしらこれ」

「ん? ああ、良いんじゃないか?」


 ふらふらと他の鞄を眺めていたイールは突然話の先を向けられ、なおざりに答える。


「なんだか適当ねぇ」


 彼女の返答に不満を表しつつも、結局ララはそのポーチを気に入ったらしかった。


「おじさん、これおいくらかしら?」

「おじ……。俺はまだ五十もいってないんだがな」


 困ったように唸りつつも、店主は金額を提示する。

 予想よりもお手頃な価格に内心驚きつつもララが支払い、商談は無事に成立した。


「そのポーチのベルトが擦り切れるくらいには、長く生きろよ」

「あはは。私、当分野垂れ死ぬつもりはないのよ」

「そりゃ安心だな。じゃあ、達者でな」


 優しい顔の男に見送られつつ、ララとイールは鞄屋を後にする。

 厳めしい外見とは裏腹に世話焼きな店主に、なるほど人気な訳だとララは納得していた。


「この後はどうするの?」


 早速買ったばかりのポーチを腰に付けながら、ララがイールに尋ねる。

 空のポーチを身につけるだけでも、一端の旅人のように見える。

 彼女はまた暫し考えて、口を開いた。


「そうだな。食器を買いに行こう」


 そうして二人が向かったのは、材木雑貨を売る店だった。


「陶器とか、金属製じゃだめなの?」


 道すがら色々な材質の食器も見つけていたララがイールに問いかける。


「陶器はすぐに壊れる。金属は錆びる。なんだかんだで木製が一番使いやすいんだ。まあナイフとかフォークとかは金属しか選択肢がないんだがな」

「銀食器なら毒が入ってても分かるっていうわよ」

「あたしは簡単な解毒魔法なら使えるからあまり問題はないな。あと銀食器は無駄に高い」

「そういうものなの……」


 少し肩を落としてララは息を吐き出した。


「さあ、手早く気に入ったのを選ぶといい」

「はーい」


 店に立ち入って、ララは棚を物色する。

 イールは例によってふらふらと店内を歩き回っていた。


「あ、カップはこれがいいかな」


 まず最初に見つけたのは、猫のような動物の絵が彫られた可愛らしいカップだった。

 内側には目盛りもついていて、実用性も申し分ない。


「イール、これはどうかしら?」

「ふむ。材質が少し気になるな。これなら……こっちのほうがいい」


 そういってイールが手に取ったのは、ほとんど同じ外見のカップだ。

 違うところはその色で、ララが選んだ物よりも少し濃い色をしている。


「こっちの木は少し柔らかい。これならそう壊れることもない」

「ほほう。じゃあ、こっちにするわ」


 旅慣れたイールの助言は頼もしい。

 ララは素直に従って、少し濃い色のカップを手に取った。

 更にララは、木皿を数枚と、店主に頼んで二本の棒を作ってもらう。


「この棒はなんなんだ?」


 先端に向かいほどに細く、彼女の手のひらよりも少し長い棒を見て、イールが不思議そうに首を傾げた。


「これはお箸よ!」

「オハシ?」


 それは、ララが機会があれば必ず入手したいと考えていた物だった。

 この世界の文化では、ナイフ・フォーク・スプーンが基本的な食事の道具となる。

 しかし、ララが使い慣れているのはこの二本の棒。

 しかもこれなら煩雑に色々と食器を準備せずにすむという汎用性もある。

 カチカチと空中で箸を動かしつつ、ララはその魅力を力説した。


「はぁ。聞いたこともないが、まあ使いやすいのならそっちでいいんじゃないか?」


 この後他の店で金属の食器類も揃える予定でいたイールは戸惑いつつも頷く。

 なんにせよ、手間が減ったのなら御の字と思い至ったからだ。


「ま、私の住んでたところでもお箸文化はほとんど廃れてたんだけどね」

「量産もしやすいし、いいと思うけどな」

「扱うのに少し練習が必要だからね」


 箸は、ララでさえその発祥を知らない文化だ。

 一説には、他の星の文化が流れてきたという話さえあるほどだ。

 中には常に自分の箸を持ち歩くという好事家もいたが、それも少数だった。

 消えつつゆく、もしくはすでに消えてしまったかもしれない遠い地の文化を、この見知らぬ土地で少しくらい続けてみるのもおもしろいかもしれない、とララは思った。


「それじゃあ、他の道具も買いに行こうか」

「ええ。それにお腹も空いてきたわ」


 ララは平たい腹をさすりつつ、買ったばかりの食器をポーチにしまい込む。

 そうして二人はまた日差しの強い通りへと飛び出した。

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