第22話「あ゛あ゛〜〜〜」
夕暮れ。
太陽が半身を地平の向こう側へと隠し、ヤルダの町並みは鮮やかなオレンジ色に染め上げられる。
人々は鉛のように重くなった四肢を引きずって、一日の疲れを癒すため酒場に向かう。
住宅街からは炊事の湯気が天高く立ち上り、疲れを知らない子供たちは無邪気に通りを駆け回る。
「そらっ、右! 左! 足下! これくらいの攻撃は軽くいなせっ!」
「うわっ、ふぇえ!? あぐぇ!!」
住宅街にほど近い宿屋赤羽根トンビの裏庭では、絶え間ない金属の打ち鳴らされる音とイールの激しい言葉、そして涙目なララの泣き言が響いていた。
「敵は容赦してくれないぞ! そらそらそらっ!」
「ひんっ! ふぎゃっ! うぎゃ!」
イールは片手に構えた剣を巧みに振り、ララを追いつめていく。
彼女は立派なハルバードにしがみつくようにして、何とか攻撃をやり過ごしている。
一撃受けるたびにかわいげのない悲鳴を上げて逃げ回る。
「ララはナノマシンと身体能力に頼りすぎてるな。いざ敵と切迫すると心が乱されてまともに動けてない」
一度攻撃の手を止めて、イールは冷静にララの弱点を分析する。
それは的確で、ぐうの音も出ないほどの正論だ。
「ふぅ、ふぅ。し、死ぬ……イールに殺される……」
「なにを言ってるんだ。実践では敵は死ぬ気で殺しにくるんだぞ」
「そ、それはそうだけど……」
額から玉のような汗を流し、肩で息をするララに、イールは冷たい言葉を浴びせる。
ララは地面にへたりこみ、胸を上下させた。
「なんだかんだで全然練習ができてなかったからな。ひとまず三日以内に何とか扱えるようにするぞ」
「うぐぅ。ナノマシンを使えば一瞬で終わると思うけど」
「昨日までナノマシン使えなくてへばってたヤツが言うんじゃないよ」
「はい……」
唇をとがらせるララの言葉を、イールはばっさりと切り捨てる。
ナノマシンは確かに強力な武器だが、ひとたびそれがなくなってしまえば、残るのはただのか弱い少女である。
イールは三日後の出立に向けて、最低限の自衛能力を彼女にたたき込もうとしていた。
「さ、もう体力回復できただろう」
「ええっ!? ま、まだもうちょっと掛かるかと」
「ナノマシンは本当に便利だなぁ!」
「うぇぇぇ!?」
ララにとっては幸か不幸か、ナノマシンによって全体的に身体能力の強化された彼女の体力の回復速度は常軌を逸する。
どれほどこてんぱんにやられて地面を舐めても、三分も立たないうちに完全復活できるのだった。
そんな事実を隠そうと疲れた振りをしていたララだが、イールの観察眼にはかなわない。
剣の切っ先を向けられ、彼女は渋々立ち上がるとハルバードを構えた。
「それじゃ、行くぞ――――ッ!!」
そうして数分後、また彼女は地面に熱い抱擁をするのだった。
*
「あ゛あ゛〜〜〜」
「年端も行かない女がなんて声出してるんだ……」
「誰のせいだと思ってるのよ」
場所は変わり、二人は白濁した湯に満たされた風呂で肩を並べていた。
もうもうと沸き立つ湯気は浴室を満たし、片隅に開けられた小さな窓から夜のヤルダへと飛び立っていく。
ここは赤羽根トンビの看板施設でもある大浴場の女湯だった。
こんこんと沸き出す地下水を魔法の力で温かな湯に変えて満たした浴場は、二人が余裕を持って浸かってもまだ半分以上の余裕を残すほどの大きさだ。
数時間に及ぶ修練を終えた二人は、宿泊客なら無料でいつでも使えるこの大浴場で疲れた体をいやしていた。
「疲れた……なんで私ハルバードなんて……」
「もしララがハルバードを作らなくても、あたしがなにかしら武器を用意してやってたよ」
「うぐぅ、運命が呪わしいわ」
じんわりと芯からほぐすような温かな湯に肩までつかり、二人は久々の入浴を楽しむ。
赤羽根トンビは立地を除いてしまえばとても満足度の高い宿だ。
朝夕に供される食事は味も良く量も多いし、部屋も広い。
しかも他の宿では手拭いと水の入った桶しか渡されないというのに、ここは風呂までついてくる。
ここを教えてくれたロミに感謝しなければと、イールは解いた赤髪をタオルで纏めながらほっと息を吐いた。
「久しぶりに全力で体を動かせたから、あたしも満足だよ」
「やっぱり全力だったのね!? 手加減するって言ってたのに!」
「手加減しなくても目では追えてただろう? あとは体が反応するように鍛えるだけだ」
「うわーん! イールはスパルタすぎるわ!!」
他に利用客がいないことをいいことに、ララは盛大に泣き言を漏らす。
そんな彼女を、イールは微笑ましく見ていた。
「まあ実際の話、ララはすぐに強くなれるさ」
「そ、そうかしら?」
声のトーンを真面目なものに変えて、イールが言う。
単純なララはまんざらでもなさそうに、ちらちらと彼女の横顔をのぞき込んだ。
「ナノマシンのおかげか、生来のものかは分からないけど、反応速度が並外れて良い」
「反応速度かぁ。まあ、それはナノマシンを入れる前からそこそこよかったと思うわよ」
ララは修練を重ねるごとに、イールの攻撃を防ぐ割合も増えていった。
彼女の言ったようにララは反応速度に優れており、攻撃自体は目で完全に捉えられていた。
あとはハルバードに振り回されている状況さえ打破できれば、それなりの強さを獲得できると、イールは感じていた。
「三日間みっちり練習すれば、ある程度実践にも耐えられるだろ。あとは経験を積めばいい」
「うぇぇ……。三日は練習しないといけないのね」
途端に苦虫を噛み潰したような顔になるララを、当たり前だろうとイールが軽く小突いた。
「さて、そろそろあがるか」
「ん、分かったわ」
ざばりと波をたてて、イールが立ち上がる。
その拍子に頭に巻いたタオルがほどけ、長い髪が彼女の四肢に張り付いた。
「くっそぅ、相変わらずイイ体ね……」
そんな彼女を恨みがましく見つつ、ララも後を追う。
脱衣所で二人は服を着て、食堂に繰り出す。
ララはもちろん、イールもいつのも鎧姿ではなくゆったりとした布の軽装である。
湯上がりの上気した肌と水気を帯びて艶を増す長い赤髪が、なんとも扇情的な雰囲気を纏わせる。
ララは半袖半ズボンという格好で、どちらかというと可愛らしい雰囲気だ。
「さーて、今日の夕飯はなににしようかね」
「ここの食事はどれも美味しいから悩んじゃうわねぇ」
舌なめずりしつつ二人が食堂のドアを開けば、すでに満席に近かった。
宿泊客の他にも、近隣の住民たちも旨い料理を求めてやってくるのだ。
二人は階段の影になる小さなテーブルを陣地とし、腰を落ち着ける。
ほどなくして、フリルを各所にあしらった可愛らしい制服姿のウェイトレスが駆け寄ってくる。
「いらっしゃいませ! ご注文はお決まりですか?」
くるりと毛先のカールした短髪の、幼い顔立ちの少女である。
しかし、何よりも彼女の目を引くのは腰から伸びた細長い尻尾と、頭の天辺に鎮座在す三角形の耳だろう。
「獣人族、だっけ? かわいいわねぇ」
「そんなに珍しい種族でもないと思うけどな。そのだらしない顔はやめておけ」
初めて見たときこそ驚いたララだが、今ではすっかりその虜である。
注文を書き留めカウンターに向かう少女の後ろ姿に見とれて、とろけるような表情になっている。
獣人族とは、その名の通り体に爪・牙・尻尾といった獣のような特徴を持つ種族だ。
ここヤルダの町には人間以外の種族も少なからず住んでおり、大陸の何処かには彼らの国もある。
「いつか獣人の国にも行ってみたいわね」
「旅してればそのうち行く機会もあるだろ」
「イールは行ったことあるの?」
「国というか、村なら一度だけな。肉しか食べられないのもなかなか辛いものがあった」
「獣人って肉食なのね……」
宴に興じる客の中にも耳と尻尾を揺らす獣人の姿を認める。
たしかに、彼らの囲むテーブルの上には彩り以上の野菜はなかった。
「まあ、獣人の国に行くよりもまずは依頼を片づけないとな」
「それもそうね。早く終わらせてちゃちゃっと森を越えたいわ」
「そのためにも、まずは修練をしっかりしないとな」
「うぇぇ!? 結局そこに行くのね……」
にこにこと満面の笑みを浮かべるイールに、ララはテーブルに突っ伏して怨嗟を漏らした。
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