第12話「私まだ人の尊厳を失いたくないの!」

 十分な休憩を取った一行は、快調に足を進めた。

 しかし、それでも遅れを取り戻すことは難しい。

 日が暮れ始め影が長く伸び始めても、三人は草原を抜けることができていなかった。


「結構暗くなってきたな……」


 ロッドの手綱を引きながら、イールは周囲を見渡して言う。

 隣を歩くララの表情も、薄ぼんやりとしていて明確には分からない。

 そうして、イールは判断を下した。


「よし、ここで野営しよう」

「うええ、野宿するの!?」

「しょうがないだろ。今から歩き続けても、最寄りの村に着く前に日が暮れちまう」


 ララが苦言を漏らすもすげなく一蹴される。


「すみません二人とも。わたしがブラックウルフに追われていたせいで……」

「いや、ロミは何も悪くないわよ」

「そうそう。どうせ一回は野宿する予定だったんだ。別に困ることもないさ」

「えっ、それは聞いてないんだけど!?」


 申し訳なさそうなロミは二人に慰められ、何度目かの感謝を口にする。

 ララは何気なくこぼれたイールの一言について説明を求めたが、それは無視された。


「それじゃ、二人はロッドから荷物を降ろしてくれ。あたしは焚き火の準備をするから」


 イールの号令がかかり、三人は野営の準備を始めた。


「そういえば、ロミは荷物どうしてるの?」


 ロッドの背から荷物を降ろしながら、ララがロミに尋ねる。

 武装神官は旅の生活という割に、彼女は杖以外に荷物らしい荷物を持っていない。


「荷物は、神官服の裏側にいろいろ身につけてるんです」


 そういって、ロミはゆったりとした白い神官服の前をはだけさせる。

 厚手の服の裏には、応急セットや薄い水筒など、細々と道具がぶら下がっていた。

 神官服の下にも何枚か服を重ねて着てるらしく、実際の彼女は外見よりもかなり痩せているのだろう。


「武装神官用に特別に作られた服で、これ自体も水や傷を防ぐ丈夫な物なんです。武装神官は旅の空の下が基本ですから、できる限りコンパクトに荷物をまとめられるようになってるんですよ」

「へぇ、すごいわね。これなら荷物を見張る必要がないのね」

「えへへ。でもこれ、すっごく重いんですよ」


 感心してララがロミの神官服の裾を持ち上げると、たしかにずっしりとした重みがかかる。

 収納された道具類もそうだが、神官服自体の重さもなかなかのものなのだろう。


「荷物と言えば、ララさんが背負っていたあの銀色の箱はなんなんですか?」

「うん? ああ、あれね……」


 ロミが指さしたのは、ララが背負っていた冷凍睡眠装置だった。

 銀色に輝き、端が少しだけ欠けている以外は傷らしい傷もない、奇異な物体である。


「それなりに大事なものよ。いろいろ、便利な素材になるの」

「はぁ。そ、そうですか」


 ララの曖昧な説明にロミは首をひねる。

 我ながら意味不明な言葉だと、ララは困り顔で頬を掻いた。


「ほらそこ、手が止まってるぞ」

「はいはーい」


 イールから声が飛び、ララは弾けたように神官服から手を離す。

 ロミは苦笑しながら、彼女の仕事を手伝い始めた。


「――よし、こんなもんだろ」


 三人が協力したことによって、準備はそれほど時をかけずに終わった。

 ロッドは足を折りたたみ、細い木の側で寝息を立てている。

 三人は煌々と燃える焚き火を囲み、一心地ついていた。


「今日も何か狩ってくるの?」

「いや、今回は近くに沢もないし、携帯食料だ」


 イールの返答に、ララはうっと顔をしかめる。

 昼間イールが言っていた言葉からして、あまりおいしいものでは無いはずだ。


「イールさんは携帯食料は何を食べてらっしゃるんですか?」

「うん? ああ、これだよ」


 同じ旅人として興味があるのか、荷物袋の中を探っていたイールにロミが尋ねる。

 そんな彼女の前に差し出されたのは、焦げ茶色の四角い乾燥した粘土のような物体だ。


「うぇえ、なにそれ……」

「獣の肉と野菜を細かく砕いて押し固めて、獣脂で固めたものだな。通称は肉ブロック。栄養満点、調理の必要なしでそのまま食べられる手軽さ、長期保存可能、作成も容易で安価と、旅人みんなの定番食だぞ」

「売り文句の中で味が一切言及されていないのが怖いのだけど……」


 泣きそうな顔のララに、イールは何も言わず悪そうな笑顔で応える。


「肉ブロックですか。まあ定番中の定番ですよね。私は薫製肉とナッツと干した果物ですよ」

「わ、私そっちがいいな!」

「人の物を勝手に取るのはだめだぞ」

「ロミーー! お願いしますっ! 私まだ人の尊厳を失いたくないの!」

「この真っ白娘は何を言ってるんだ。そういうのは食べてから言うんだ」

「むぐっ!?」


 ついに涙を浮かべロミにすがりつくララをイールは剥がし取り、その口に肉ブロックを押し込む。

 輝きの消え去った目でもぐもぐと咀嚼していたララは、少しの戸惑いの後、動きを早める。


「い、意外とおいしい!?」

「誰が好き好んで不味いもの食べるんだよ。定番の携帯食料ってことはある程度の人気があるってことさ」

「イール! もう一個欲しいな!」

「ちっ、いい性格してる奴だ……。ヤルダに着いたら食べた分買えよ」

「はーい!」


 先ほどとは打って変わって爛々と青い目を輝かせるララに、イールは毒突きながらも追加の肉ブロックを渡す。


「なんだかんだで、イールさんとララさんって仲良しですよね」

「そうか? こいつとは出会ってまだ二日しか経ってないんだがな」

「ええっ! そうだったんですか……」


 いつの間にかイールの側まで寄ってきたロミは、二人の出会いの浅さに驚いたようだった。


「なんつーか、あんまり気兼ねしなくていいんだよ。ララ相手だとな」

「人懐っこいというか、人を疑うことを知りませんよね」

「ああ、まるで危険から守られた温室で育った花みたいだ」


 当のララはハムスターのように頬を膨らませ、もぐもぐと口を動かしている。

 そんな彼女の姿を見て、二人は知らず知らず笑みを浮かべていた。


「さ、食べたら寝るぞ。焚き火番は交代でするからな」

「むぐっ!? ごほっごほっ。……私がナノマシンで見張っておけば皆寝れるよ?」

「見張りっていうのは威嚇も込めてるんだよ。全員がぐーすか寝てる野営地なんて、厄介者共からするとただの砂糖の塊だぞ」

「それもそっか……。それじゃあ私が起きてるよ。別に一日くらい寝なくても――」


 名案とばかりに言うララの細い頬を、イールはがっしりと捕まえる。

 細められた琥珀色の瞳が、ララを射貫く。


「ナノマシンとやらが便利なのは分かるが、むやみに使うもんでもないんだぞ」

「……は、はい」


 普段とは違った鋭さのある言葉に、ララは萎縮してしまう。


「それじゃあ、最初はあたしがする。時間が来たらどっちかを起こすよ」

「はい」

「はい。よろしくお願いします」


 そうして、ララはイールの外套にくるまって焚き火の側で横になる。

 ロミも神官服を少しだけ緩めると、ララのすぐ横で目を閉じた。


「おやすみ、イール」

「……ああ。おやすみ」


 焚き火の暖かな光を背中に感じながら、ララはゆっくりと眠りの海に沈んでいった。


 …………

 ………

 ……

 …


「――おい、起きろ」

「ふぎゃっ!」


 肩を強く叩かれる衝撃で、ララは目を覚ます。

 熟睡中だったため、寝入ってすぐ起こされたように錯覚するが、周囲を見渡すとずいぶんと時間は経っているようだ。


「うぅ……、もうちょっと優しく起こせないのかしら?」

「何回呼びかけても起きなかったんだから、しょうがないだろ」


 あっけらかんと言い放つイールに、ララは恨みがましい視線を送る。

 だが、彼女は外套をはぎ取り、すでに寝の体勢に入っている。


「火が消えないように適当に薪を継ぎ足しながら、そこの石が全部赤く染まるまで起きてろ」

「石って、これ?」


 ララは焚き火の側に転がっていた、細長い金属のケースに収まった半透明の石を持ち上げた。


「ああ。大体三刻で真っ赤になる。じゃ、おやすみ」

「うぇぇ!? お、おやすみー」


 寝付きのいいイールは、それだけ言うとすぐに静かな寝息を立て始めた。

 ロミはなにやら満面の笑みを浮かべて指先を動かしている。

 ララは冷凍睡眠装置の上に腰掛けて、満点の星空を眺めた。


「月が三つもある……」


 夜の暗さに慣れると、天球にちりばめられた星々の明るさに驚く。

 母星にいた頃は空など鉄とカーボンに埋め尽くされ、見ることも希だった。


「ほんと、ここどこなんだろうなぁ」


 少しずつ赤に染まる石を振りながら、小さな声で独白する。

 何もしていないから当然ではあるのだが、依然としてここがどこの星なのか、ララには見当もつかなかった。

 データベースに保存された、どの星図も今見える星々とは該当しない。


「もう少し材料が揃えば、とりあえずの人工衛星も作れるんだけどな」


 椅子にしている冷凍睡眠装置はもはや無用の長物だ。

 それでも律儀に肌身はなさず持ち歩いているのは、その素材を用いれば色々な装置を作れるからである。


「……こんな大きい塊のまま持ち歩くのもかさばるし、いっそ色んな道具にしてしまおうかしら」


 こつこつと銀色の表面を指の関節で叩き、そんなことを考える。

 まだ、石は半ばまでも染まっていない。

 ララは少し伸びをすると、冷たい金属に手を重ねた。

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