第9話「詰めが甘いんじゃないの?」
食事が終わると、二人は手早くキャンプを片付け、また歩き出す。
のんびりと草を食み、沢の水も存分に浴びたロッドの体力も戻り、少しだけ歩調も早い。
「なんだか、これだけ何もないと退屈ね」
見渡す限りの草原に目をやって、ララが言った。
「野盗やら魔獣やらに襲われるよりはいいだろ」
「それはまあ、そうだけど」
イールにたしなめられるが、いまいち納得はできていないようだ。
しきりにあたりを見渡しては、何か目新しいものがないか探している。
そうして、そんな彼女の願いが叶ってしまったのか、ララは遠方に人影を見つけた。
「イール! 人がいるわっ」
「うん? まあ大方あたしたちと同じ旅人だろ」
言いながら、彼女も目をこらすが何も見えない。
「どこにいるんだ?」
「ずっと真っ直ぐに前の方よ」
「うーん……。うん? ……あれか?」
じっと前方を睨み、ようやく白い粒のような人影が見えた。
まさかあれのことを言っているのか、とイールはララに戦慄を覚える。
「白いひらひらした服着てるわね。手に持ってるのは……杖かしら。肩くらいまでの金髪と茶色い目をしてるわ」
「よくそんなに詳しく観察できるな……」
「ナノマシンのおかげよ」
「あっ、そう……」
お決まりの文句に、イールも少しずつ慣れてきた。
「でさ、イール」
「なんだ?」
「あの子、魔獣に追われてるわよ」
「なに!?」
ララの言葉に、イールは目の色を変える。
自身も目をこらすと、少し近づいたのか彼女も肉眼で捉えることができた。
たしかに、白い影の後ろに数匹の黒い獣の影が見える。
「ララ、風の槍でいけるか?」
「有効射程に入ってないからまだ無理よ」
「そうか……」
言って、イールはおもむろに剣の柄に手を添える。
ちらりとララの方へ振り向くと、赤い髪の隙間から、彼女を見る。
「ロッドを頼む」
「えっ。ああ、いってらっしゃい」
一瞬戸惑ったララも、イールの鬼気迫る雰囲気に押され、頷く。
それを見ると、イールは疾風となって駆けだした。
「すご……」
思わずララの口から感嘆が漏れる。
文字通り、風を切り裂くような速さである。
イールが一歩進むごとに、状況は鮮明に映る。
追われているのは、イールとララの間ほどの年齢の少女だ。
そして、追っているのは三匹の黒い毛皮の狼。
「ブラックウルフか!」
敵の姿が判明し、イールは苦虫を噛み潰したように顔をゆがめる。
個々の戦力もさることながら、彼らの神髄は多対一の狩りだ。
高度な言語外のコミュニケーションを駆使し、彼らはじわじわと獲物を追い詰める。
わざと追いつかない程度の速度で獲物を追い立て、疲労させる。
このような草原で暮らす、旅人たちの厄介者として忌み嫌われているのだ。
「きゃぁぁあああああああ!」
少女は、未だ前方からやってくるイールには気がついていないようだった。
先端に装飾の付いた長い杖を抱え、一心不乱に遁走している。
しかし、蓄積された疲労と圧迫された精神によってか、足がもつれ地面に身を転がす。
「ひっ」
鳶色の瞳が、絶望に染まる。
ブラックウルフは彼女の周りを囲み、じわじわと円を狭めていく。
「や、やめて……」
唇を震わせ、命乞いをするも、人の言葉など獣には通じない。
否、彼らはそれを理解した上で、楽しんでいるのかも知れなかった。
そして、一匹の狼が飛び上がる。
少女は瞳を閉じ、杖をぎゅっと抱え――
「あれ?」
届かない狼の牙を不審がり、そっと瞳を開く。
「すまない、遅くなった」
彼女に影を落とす、長身の女傭兵。
イールはその剣を振り抜きざま狼の喉元に突き刺し、更に貫き通していた。
そして剣を振るい、狼の亡骸を地に落とす。
突然現れた闖入者に二匹の狼たちは一瞬困惑を浮かべる。
そんな彼らに生じた大きな隙を、イールが逃すはずもなかった。
「二匹目!」
身を翻し、少女の背後に回っていた一匹を切り払う。
鮮血が噴出し、鉄の臭いが密度を増す。
「三匹目!」
「ぎゃいんっ」
更に赤髪を振り乱し、イールは残りの一匹に剣先を向ける。
その頃には獣の方も状況を理解していた。
尻尾を丸め、逃げ出す。
「ちっ」
本気で逃げる四足の獣に、二足しか持たない人間は勝てない。
イールは早々に追撃は諦め、剣を鞘に戻す。
その時。
「ぎゃんっ!?」
遁走する狼の横っ腹を、風の槍が貫いた。
一切の予兆を感じさせない唐突な一撃に、狼の顔に困惑が浮かぶ。
「『
二度目の槍が狼の頭部を貫く。
指示系統を喪い、彼は力なく地に伏す。
その様子を、イールと少女は呆然と見ていた。
「詰めが甘いんじゃないの?」
あくまでのんびりとした歩調で、槍の主であるララは二人に近づく。
「流石に、不意打ちでやれるのは二匹が限度だろ」
そんな彼女の皮肉に、イールは苦笑気味で答えた。
そうして、足下で震える少女に視線を戻す。
「さて、まずは名前を聞いてもいいか?」
しゃがみ込み、少女と視線を合わせる。
優しい笑みを浮かべるイールに少女も緊張が解けたのか、じわりと目の端に涙を浮かべて答えた。
「わたし、ロミっていいます。えと、助けていただき、ありがとうございました」
一度鼻を鳴らし、ロミは深く頭を下げる。
「なんでまた、ブラックウルフに追われてたんだ?」
「それは……その……」
イールの質問に、ロミは言い淀む。
少しの間沈黙が流れ、やがて諦めたようにロミは口を開いた。
「わたしは、旅の武装神官でして。その任務の一つに各地の魔獣の生態調査があるのです。その一環で、この近くにあるブラックウルフの巣を観察していたのですが……」
「見つかってしまったと」
「うぅ。不甲斐ないです……」
ロミはしゅんと一回りしぼんだように身を縮め、へなへなと俯く。
「ねぇ、イール。武装神官ってなに?」
側でロッドの背中にもたれて話を聞いていたララが、疑問を投げかけた。
「武装神官というのは、キア・クルミナ教の神官の一つです。各地を回り、魔獣の生態調査や地方の神殿の視察を行うのです」
質問に答えたのは、ロミだ。
彼女は己の仕事に誇りを持っているらしく、胸を張り、堂々と語る。
「旅の道中には危険が多いため、武装神官は特別に武力の行使が認められているのです」
「へぇ。……あの、キア・クルミナ教ってなにかしら」
「なぁ!? きき、キア・クルミナ教をご存じないのですかっ?」
ふむふむとうなずき、そして申し訳なさそうに質問を重ねるララに、ロミは驚愕する。
にわかには信じがたいようで、ぎゅっと握った杖が小刻みに震えている。
「キア・クルミナ教は、この大陸で広く信仰されている、アルメリダ様を至高神とする宗教です。国教としている国も多くあるのです」
「へぇ……。知らなかったわ」
「五歳の子供だってキア・クルミナ教の事は知ってますよ……」
悲壮な表情を浮かべ、ロミはララを見る。
そんな彼女たちの間に、イールが割り込んだ。
「まあ、キア・クルミナ教の事は後々ララに叩き込んでやれ。それはそれとして、なんで武装神官のロミはブラックウルフなんかから逃げてたんだ?」
「うっ」
それは素朴な疑問だった。
武装を許された武装神官であれば、魔獣を殺すこともできる。
いくらブラックウルフが厄介な獣であったとしても、時間を掛ければロミの方に勝機はあったはずだ。
「実はわたし……、武器を扱うのが壊滅的に下手で……」
「なら、魔法で殺せばいいんじゃ?」
「不意の出来事だったので、凄く混乱してしまって……」
沈黙が流れる。
ロミは傷一つない杖を抱えて、また顔を伏せた。
「ロミ、次の目的地は決まってるか?」
「とりあえずヤルダに戻って、報告をしないとです」
それは僥倖、とイールは手を打つ。
「それじゃあ、そこまであたしたちと一緒に行こうか」
「い、いいんですか!?」
「行く場所は一緒なんだ。わざわざ別れる必要もないだろう?」
イールが剣の血を払いながら言った。
ララもそれに頷く。
「それに、また魔獣に襲われないとも限らないしね」
「うぅ……。ありがとうございます!」
感激に涙ぐみ、ロミが深々と頭を下げて感謝する。
そうして、二人の旅路に新たな一人が加わった。
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