第8話「うわーーん! イールがいじめるぅ!」
「じゃあ、ララは焚き火の準備をしてくれ」
「えーっと……?」
ナノマシンのトンデモ具合を目の当たりにしたイールは、それでもすぐに立ち直り、ララから野兎を受け取った。
そうして、手の空いた彼女に火の準備を頼んだのだが、ララは目を点にして首をかしげる。
「もしかして、仕方が分からない?」
「うん」
無い胸を張って、何故か得意げにララは頷く。
キャンプファイヤーなど、ララにできるはずもなかったのである。
「……じゃあ、薪を集めてきてくれ」
「木の枝を集めてくればいいんだね?」
まるで年端もいかない子供にお使いを頼むように、イールはララのできそうなことを考える。
この辺り一帯は見渡す限りの草原だが、ポツリポツリと広葉樹も散見される
「ああ。気をつけてな」
「りょーかい!」
びしっと指を揃えた手を額に当て、ララは風のように走り出す。
「……」
常人離れしたその身体能力を目の当たりにして、イールは遠い目で天を仰いだ。
どうせあれもナノマシンだろう。と、彼女も大体察することができていた。
「さて、あたしも自分の仕事をやるかね」
人外娘のことはともかくとして、イールにもすべきことがある。
彼女はまだ温かい兎の喉元を掻っ切ると、足を紐で縛って近場の木の枝にぶら下げた。
「しかし、並の魔法使いじゃ敵わないほどの精度と威力だね」
風に揺れる二匹の兎の頭を見て、イールは嘆息する。
哀れ犠牲となった彼らは、正確に眉間から脳を貫かれていた。
可食部をなるべく傷つけることなく、しかも一発で仕留めている。
「ナノマシンってやつは、つくづく恐ろしいもんだね」
そうそうに取り込んで、仲間になってもらって良かったと、イールは今更ながらに背筋を凍らせた。
初めてイールがララと出会ったとき。つまり彼女がアームズベアを引き摺ってやってきたとき、イールの頭の中では盛大に警鐘が打ち鳴らされていた。
武を以て対峙したところで、木っ端のように地に伏せる未来しか見えなかった。
「まったく、あの子は一体何なんだろうね」
白い髪に白い肌、薄い水色の奇異なスーツは服に隠れていても、それらは遠方からでもよく見える。
ララは風のように舞いながら、すでにまとまった量の枝を集めていた。
「さて」
一旦思考を断ち切って、イールは作業に戻る。
ロッドに載せた荷物の中から、ナイフとまな板を取りだしておく。
手頃な石を集めて土の上に並べる。
旅の長い彼女にとって、この程度の事は手間取るほどのことでもない。
血抜きの終わった兎を、近くの沢まで運んで、イールはそこで素早く捌き始めた。
「たっだいまー!」
イールが皮を剥いでいると、薪の束を両腕で抱えたララが駆け戻ってきた。
あれだけ走り回っていたというのに、息の一つも乱していない。
「ああ、おかえり。それじゃあ枝を細いのと太いのに分けておいて」
「あいあいさー!」
間髪入れずに出された指示に、ララはもう一度びしっと敬礼を決めてロッドが草を食んでいる足下で枝を選別しはじめた。
その間に、イールも解体を進める。
彼女がナイフを振るう度に、兎だったものは毛皮と肉と骨に変わって行った。
「こんなもんだろ」
額の汗を甲で拭い、イールはまな板ごと肉をキャンプ地に持ち帰る。
あとは、塩や乾燥させた香草などを振って味を付け、焚き火で焼くだけだ。
「ララ、火を付けることは?」
「できるわよ」
ナノマシンって便利だな。とイールは心の中で思う。
ララの得意げな表情が少し気にくわないので、実際には言葉にしない。
代わりに、彼女に薪の配置の仕方を教えて、準備をしてもらう。
「『
言葉と共に、ララが指を打ち鳴らす。
乾いた音が鳴り、火花が散った。
途端に、組んでおいた薪に真っ赤な炎が湧き上がる。
ナノマシンって便利だな。とイールは思った。
「じゃ、これを火の周りに並べて刺して」
余った薪をナイフで削り、即席の串とした。
それに刺したウサギの肉を、二人で火の周りに並べていく。
肉の表面が焼けると共に、香草の芳ばしい匂いと、脂の弾ける音が二人に届く。
「うう~、おいしそう!」
「ただの野営料理だが。……よだれ垂れてるぞ」
「おっと」
ララは、このような経験は初めてだった。
炎によって照り輝く肉串を見て、キラキラと青い瞳を輝かせている。
側でその様子を見ていたイールは、知らず知らず穏やかな表情を浮かべる。
「よし、そろそろ食べ頃だ」
こんがりと焼けた肉を見て、イールは頷く。
「やったー! いただきますっ」
言い終わるか終わらないかのうちに、ララは串を一本むんずと掴み、かぶりつく。
「あっつぅぅぅい!?」
「当たり前だろう……」
口の中を襲った灼熱に、ララは涙目で悲鳴を上げる。
それを傍目に、イールはふうふうと息で冷まして少しずつ囓る。
「おいしいっ!! おいしいわよ!!」
改めて肉を口にして、ララはきゅっと目を閉じた。
「イール、あなたプロの料理人になれるわ」
「はは。そんなにうまいか」
まるで子供のようだとイールは思う。
ララは夢中で口を動かし、時折感涙していた。
この世界の事を、なにも知らないのだろう。
これからの旅の中で、いろいろな事を見て、感じて、楽しんでくれたらいいと、イールは柄にもないことを思った。
――まるで母親になった気分だ。
自分には縁が無いと思っていた感情に、彼女は思わず頬の端を緩めた。
「ほらイール、さっさと食べないとあなたの分なくなっちゃうわよ?」
「は? あっ、どれだけ食べてるんだこの暴食娘!」
焚き火の方へ視線を向けると、既に半分ほどの串が消えていた。
見れば、ララの足下にいくつも肉の無くなった串が散乱し、さらに彼女は両手で食べかけのものを握っていた。
「もうララの分はないぞ!」
「なっ!? それはひどいわよ!」
「ひどいわけあるかっ。大きいものから順に食べやがって!」
無慈悲にも残りの串に手を伸ばそうとするララの動きを阻止しつつ、イールは自分の分を確保する。
彼女の泣き言など、さらりと無視だ。
「うわーーん! イールがいじめるぅ!」
「嘘泣きするんじゃない」
「……ちっ」
結局、ウサギ肉の味はあまり記憶に残らなかった。
ヤルダに着いたら、何かおいしいものを一人で食べてやろう。と、彼女は密かに胸に誓う。
「ララ。水は出せるか?」
「それは無理ね」
火の始末もナノマシンに頼ろうとしたイールは、予想外の答えにきょとんとした。
「風も火も出せるのに、水はダメなのか」
「だって、水なんてどこにもないもの」
疑問の表情を深めるイールに、ララは努めて分かりやすく砕いて説明する。
「ナノマシンは大抵の事ができるけど、できないこともいくつかあるわ。そのうちの一つが無から有を生み出すこと」
「無から、有を……?」
「風は周囲の気体を操作して、火は摩擦によって生み出してるわ。けど水は流石に無理ね。空気には水素も含まれてるみたいだけど、焚き火を消そうとしたらその前に私たちの命が消えるわね」
「つまるところ、操作はできるけど創造はできないのか」
イールの総括に、ララは頷いた。
そうして、更に言葉を続ける。
「でも、元になる水を操作することはできるわよ」
「ふむ? ……ああ、そうか」
彼女の言の意味する処を察し、イールが笑みを深める。
ララは近くの沢に向かうと、手を水に浸ける。
「『
彼女の腕が白光し、水面が細かく波打つ。
腕を持ち上げると、それに追従して沢の水も持ち上がる。
ララの頭ほどの球体となった水を、ララは両腕に刺して移動させる。
「ざっと掛けちゃっていいかな?」
「ああ、よろしく」
周囲に濡れてはいけないものがないことを確認して、彼女は水球を焚き火の上に載せた。
ジュッという音と共に火は消え、薄い水蒸気の靄が立ち上がる。
念のため、水球を内部でゆるく回旋させることで、徹底的に火の種を無くす。
「やっぱり、ナノマシンって便利だな」
そんな彼女の様子を、イールは悟ったような目で見ていた。
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