第2話「あたしも、いわゆる人外って奴だからね」

 森の中を歩くララの頭の中には詳細な地図が丸々インプットされている。

 彼女が意識するだけで拡大も縮小も意のままな、正確無比な地図だ。

 それにより、彼女は森のすぐ側に集落があることを知った。


「ひとまず、知的生命体との接触が第一よね」


 というわけで彼女は銀色の塊を背負い、巨大な熊を引き摺ってその集落を目指す。

 その道すがら、ララは周囲に潜む生物を観察する。

 どれだけうまく緑の中に溶け込み潜んでいようと、ナノマシンによって強化された五感の前では無力だ。


「角の生えた兎に、四本足の鳥、ムカデみたいなトカゲ、堅そうな鱗を持ったネズミ……。見たことない生物のオンパレードね」


 ララは半分呆れ、半分感心したような声を上げる。

 森の頂点に君臨していた巨獣を軽々と引き摺る彼女を、それらの小動物たちもまた恐ろしげに見ていることには気づいていない。

 森林の主の存在が無くなった今、森はざわついていた。

 誰が次なる主となるのか、捕食者たちは互いににらみ合っているのだ。

 しかし、そんな周囲の殺気だった空気を感じる素振りも無く、ララは素早く森を抜けてしまった。


「あ、あの村ね。よかったよかった、ちゃんと文明がある」


 森の外縁から目をこらし、ララは遙か遠方にある建物の群れを見つけた。

 板材を利用した、質素な建物ばかりだ。

 ひとまず彼女はその村を目指して、さらに足を進める。

 村の周囲は背の低い雑草の生え渡る薄い平原である。

 村人は森の恵みを受けて生活しているのか、村から森までは薄い線のように草が倒され細い道になっている。

 ナノマシンによる視力強化が無くても、建物がくっきりと見えるような距離まで彼女が近づいたとき、一つの人影が村からやってきた。

 それは馬に乗っているらしく、土煙を上げて低い雑草の生い茂る草原を駆けてやってくる。


「あれ、私に用事かなぁ」


 半ば確信を持ちつつも、ララは考えを口に出す。

 次第に人影は鮮明になり、それが外套を纏った女性だと分かった。

 馬はララのすぐ近くで立ち止まり、背に乗せた人を降ろす。

 長い赤髪を一束に纏めた背の高い美女だ。

 外套の下には全身を覆うような革の鎧を纏い、腰には大振りな剣を佩いている。

 彼女は口を開くと、ララには理解不能な言語で話し始めた。


「うーん、わかんないな……。『言語解析アナライズランゲージ』」


 当然のごとく意味が汲み取れなかったララは、ナノマシンを密かに起動する。

 それは彼女の聴覚が拾った音声を膨大な数の言語と参照し、規則性を見いだしていく。

 そうして分析された情報は即座にララの頭脳へと反映される。

 一瞬のうちにそれらの作業を高い精度で行っていくナノマシンのおかげで、ララは目の前の女性が何を言っているのか次第に理解できるようになっていった。


「――い! おい! 言葉が分からないのか? ……困ったな」


 脳が音を言語と認識できるようになると、女性の声にも意味が乗る。

 基本的な意思疎通が可能なレベルにまで情報が集まったと判断し、ララは口を開いた。


「すみません。少しぼーっとしてました」

「なんだ、言葉は分かるのか」


 漸く言葉を発したララに、女性は安心したように肩を下げた。

 ララもまたナノマシンの分析に依って得られた情報が正しい事が分かり、内心でほっと胸をなで下ろす。


「えっと、それで何のご用件でしょうか」

「ああ。単刀直入に聞くが、その引き摺っているアームズベアと、背中の物はなんだ?」

「ああ、この熊ってアームズベアって言うんですね。これは倒しました」

「倒しましたって……」


 あっけらかんと言い放つララに、女は眉間にしわを寄せる。

 しかしララとしてもそれ以上の説明ができない為、どう言った物か困っていた。


「まあ、アームズベアの件はひとまず置いておこう。いや、置いておく物でも無いけど……。それより、キミは誰で、どこから来た。そして背中の物はなんだ」

「うーんと……」


 立て続けに繰り出された質問に、ララは言葉を選びながら答える。


「私はララ。気づいたら森の中にいた。背中のは多分、今のところ世界で一番便利な物」

「名前がララということだけは分かったよ」


 二人して困った表情を浮かべ、しばしの時間が流れた。


「とりあえず、その服装はちょっと拙そうだ。これを羽織っておけ」


 そう言って、女は自分の来ていた外套を手渡した。

 ララとしては別にこの身体をぴっちりと包む薄い水色のスーツでも何ら問題は無かったが、郷に入っては郷に従うという格言の通り素直に従うことにした。

 冷凍睡眠装置の残骸を地面に置き、外套に袖を通すララに、女は自分の名前を伝える。


「あたしはイール。旅の傭兵さ」

「あれ、あの村の人じゃないの?」


 てっきり村の代表者だとばかり考えていたララが首をかしげる。


「アームズベアを一人で引き摺る正体不明の少女なんて誰も相手したくないのさ」

「うーん。それもそっか」

「ああ。それで、たまたまそのアームズベアを狩る予定で村にいたあたしが、様子見としてやってきたんだ」

「えっ、じゃあこの熊殺しちゃマズかったかな」

「いや、村人としては熊がくたばれば同じこった。誰が倒そうが関係ない」


 申し訳なくなって頭を下げるララに、イールはニヒルな笑みで応えた。

 ララの目の高さでは見上げる長身と無骨な鎧姿が相まって、大樹にもたれ掛かっているような安心感がある。


「とりあえず、熊引き摺って村までいこうか」

「大丈夫なの?」

「あたしが側にいれば大丈夫だよ」


 軽く言い切るイールを信じて、ララは村に向かって進む。

 イールもまた馬の手綱を引っ張って彼女の隣を歩いた。


「イールは旅の傭兵って言ったっけ?」

「ああ。風の向くまま気の向くまま、困った人の依頼をコレで片付けながら旅してるのさ」


 腰に吊った剣を軽く叩いて、イールが言う。

 鍛え抜かれ、無駄な筋肉のそぎ落とされた引き締まった彼女の四肢が、その経験と実力を何よりも現している。

 彼女はまさしく、歴戦の傭兵だった。


「ま、今回はララに横取りされたんだがな」

「それはごめんなさいって。知らなかったのよ」

「まあいいさ。蓄えはまだあるからね」


 いたずらっぽく責めるイールに、ララは頬を膨らませて答える。

 その口調から厳しい感情は汲み取れず、二人は和やかな雰囲気に包まれる。

 そんな問答をしているうちに、村を囲う柵のすぐ近くにまで二人はたどり着いた。


「……あんまり歓迎されてないわねぇ」

「そりゃあ、森の主を倒して引き摺ってきた、正体不明の可愛いお嬢ちゃんだからね」


 柵の一部に作られた、簡素な門。

 その足下には、各々農具を持った村人たちが集まっていた。

 彼らは様子見にやって帰ってきたイールと、彼女が連れてきたララに怪訝な視線を送っている。


「コパ村の皆、安心してくれ。彼女は見た目は幼いが、優れた魔法使いだ。アームズベアも彼女が倒してくれた」


 一歩前に出たイールが、朗々と語り出す。

 途中、その口から飛び出た魔法という言葉にララは首をかしげた。

 まさか、この世界には魔法が存在するというのだろうか。


「彼女は旅の道中、森に住んでいるアームズベアの噂を聞きつけ、勇敢にもそれを討ち取った。本来ならそれはあたしが成すべきことだったが、先手を取られては仕方が無い。あたしに支払うはずだった報酬は、彼女にやってくれ」


 そこまでを一息に吐き出して、イールは村人の反応を待つ。

 彼らは互いに顔を寄せ合い、小声で話しあっているようだった。

 少しの時間を経て、ようやく意見は纏まったのだろう。

 群衆の中から一人の老人が杖をつきつつ現れた。


「ワシは、この村の長じゃ。まずはアームズベアを討ち取った礼を言わせてくれ」

「いえその、そんな……」


 片手でさくっと倒しちゃいました。

 などと言えるはずも無く、ララは手を振って頭を伏せた。


「わずかばかりじゃが、これはそのお礼じゃ」


 そう言って、村長は手に持っていた布の袋をララに手渡す。

 彼女が中を見ると、不揃いな形の金貨がつまっていた。

 どうやらこれが、イールが受け取るはずだったアームズベア討伐の報酬のようだ。


「ララ、アームズベアを村長に渡して」

「えっ」

「そういう契約だからね」


 こっそりと耳打ちするイールの言葉に従い、ララはアームズベアの巨体を村の柵の前まで引き摺った。

 山のように大きなその骸を見て、村人たちから驚きの声が上がった。

 遅れて、そんな巨体を軽々と引き摺る小さな少女に、奇怪なものを見るような視線が送られる。


「――それで、イール殿」

「ああ。あたしとララはすぐにここを出るよ」

「そうか! それは残念じゃ」


 申し訳なさそうな表情に反して、村長の言葉には安堵が混じっていた。

 その昏い瞳には隠しきれない喜色が残る。

 ララは目敏くそれを見留め、むっと顔をしかめた。


「もう行くの?」

「ああ」


 戸惑いを隠せないララの背中を押してイーラは歩き出す。

 そうして彼女たちが村から十分離れた後に、背中からわっと歓声が沸き上がった。

 そんな村人たちの反応に、ララは納得がいかない様子だった。


「一晩くらい、泊めてくれても良かったのに」


 そんな言葉を吐き出すララを、イールは苦笑交じりで制す。


「ララ。君はもっと自分のことを客観的に見た方がいい」

「客観的に……?」

「大の大人が束になっても敵わないような魔獣を、目立った傷も負わずに倒して、あまつさえ軽々と引き摺ってやってくる少女が、恐れられないはずがないだろう」

「……それもそっか」


 イールの言葉にララは得心がいったように頷いた。

 そしてすぐに、とある疑問が湧き上がる。


「でも、イールは怖がってないよね。それにアームズベアを一人で倒そうとしてた」

「ふふっ」


 ララの疑問に、イールは深い笑みを浮かべた。

 そうして彼女は、おもむろに右腕を覆う革の籠手を外す。


「あたしも、いわゆる人外って奴だからね」


 籠手の下から現れたのは、鋭い爪と堅い鱗を持った、怪物のような手だった。

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