トリックスター
「【モーブ・ストレガ】妹を返してもらうぞ!!」
燃えカスのような怒りに無理やり火をつける。
その瞬間、目の前の地面から鋭い氷が飛び出した。
とっさに躱すと、背後からの強い衝撃。
振り返ってみても何もない。けれど、背中を抉る感触だけは健在で、目の前に突き出されている氷からは、全く冷気を感じない。
モーブが杖を軽く振るって、俺の頭上に大岩を出現させる。
憤怒の炎を突き出してぶっ壊そうと考えた時には、全身を貫かれたような痛みに襲われていた。
――見えないナイフ!?
「まだまだ行くぞ?
モーブの周囲を漂う氷の刃が射出される。
炎の壁を全方位に張り巡らせるが、地面が軽く振動して、見えない何かが飛び出してきた。寸前で手のひらで防御するが、鋭利な岩石に抉られたように穴が開く。すぐに再生は始まるが、先ほどから血を使いすぎているせいで少しマズい状況である。
シャルハートに吸収させたリリシアの血を、魔導書から無理やり取り上げた。不満そうな顔をするが、封印されている彼は能力を使わないので無用の長物である。
(見た目に騙されるな。ただの魔法。考え方を変えろ!!)
相手は奇跡を称する奇術師。
攻撃が見えないというのは、ただの魔法。ならばどこかに突破できるほころびが見つけられるはず。
憤怒をたぎらせ拳を固める。
懐に飛び込むと見えない壁にさえぎられた。ほのかに冷たく濡れている。まるで巨大な氷の壁に阻まれているようであり、その向こう側でモーブはほくそ笑んでいた。
やはり見えないだけで存在はしているらしい。
「このままぶち抜いてやるよ!!」
赤黒い炎が渦を巻いて腕にまとわりつく。吸血鬼に対して『太陽』の力はとても有効的ではあるが、まだ未熟な俺の技量では不安がある。モーブが相手では偶然の性交では許されない。
見えない壁を殴ったと同時にガラスを割ったような軽快な音。
氷の破片が降り注ぐのも構わずに佇むモーブの顔面へと拳を叩き込む。
しかし、ふわりと消えて幻影だけが残された。
背後に微かな息遣い。それがモーブの物であると気づくのに、そう時間は掛からなかった。
バチバチという何かがはじけるような音が響いて、首筋が火傷したかのように熱くなる。
「死ね。
モーブの手から放たれた真っ黒の雷が俺の体を貫いた。
全身の筋肉が硬直する感覚。鋭い痛みがいつまでも後を引いて、胃の中が爆ぜるように熱い。雷雨の中を駆けまわったことだってあったが、それとは比べ物にならないほどの衝撃。
「傷が……再生しない!?」
「吸血鬼の再生能力を殺せるのが自分だけだと驕るなよ、愚か者」
「ほう……? 一介のアルカナ吸血鬼程度がそのレベルまで昇ってくるとはな……」
不死の生物を殺せるなんて、まさしく奇跡。おもわず我関せずという姿勢を貫いていたシャルハートも魔導書から飛び出して感動しているようだった。
愚かさがゆえに『太陽』の力を借りた俺とは違い、その能力は純粋な努力によるものであり、一時の感情に任せた炎なんかよりもずっと強い。
「これが私の
俺は腹に大穴を開けたまま立ち上がった。
血が零れるたびに怒りが抜けていくのがわかるが、それでも、モーブを見据える。腹の中心を通り抜けた神成の余波は、まだ全身の感覚をしびれさせる。普段は即時回復が当たり前だったにもかかわらず、いつまでたっても再生が始まらない継続的な痛みに気を失ってしまいそうだ。
……ここで折れたら、ブランと一生会えなくなる。
また、一人に戻るのは嫌だ。
誰かを失う苦しみを感じるのは嫌だ。
意識とは反対に、怒りの感情だけは無常に抜けていく。奇跡によって憤怒の炎は鎮火へと向かい、徐々にその熱意と心の揺れ動きが弱まっていた。ガクガクと震える足を押さえつけて、必死に怒りを呼び覚ます。
「炎が消えた……。ならばトドメだ!!」
「うるせぇな!! 【モーブ・ストレガ】俺から奪っておいて、許されると思うなよ!!」
心の奥底から熱くなる。
苦しくてしょうがない。
けれど、大切な妹を失わないために。
湧き出る怒りを全て押し出し、残りカスのような感情を必死に燃やす。多分、これ以上強い感情はもう出てこない。感情以外の全てさえ、失ってもいい!!
「ブランのために……!!」
「ハハハ。まだまだ奇跡はこれからだ!! 私は神へと挑戦する。【
天高くに杖を掲げて声たかだかに宣言すると、天からゆっくりと光が落ちてきた。美しい光だが、怪しく輝き、まるで絶望が降り注いでいるかのようだった。
光がモーブに触れた瞬間、彼の体が淡く発光する。
「
「ほう!? まさか魔法の力だけで太陽を克服するとは!!」
その姿を見たシャルハートが俺の影を超えて魔導書からも飛び出して歓声を上げる。
使うつもりがなかった魔導書は影の中にしまっていたはずだというのに、赤い光だけが辺りを飛び回ってうざったい。
「どうする愚者? 太陽による弱体化があって渡り合えていたが、そのアドバンテージも失ったぞ?」
「アドが無いから理不尽を許容しろってか? そりゃ無理な話だ」
太陽による弱体化から解放されて、モーブの動きはより一層洗練される。繰り出す魔法から奇跡の片鱗を覗かせ、不可視の魔法はより鋭利へと変わる。
「吹き飛べ!! 愚者の吸血鬼!!」
神成に焼かれた傷口に手を押し付けられて、超高圧の水弾が俺の体を弾き飛ばした。それを追いかけるように鉄杭が射出され咄嗟に顔を塞ぐと目の前にモーブが転移してくる。そのまま、反撃すら許されずに爆発の魔法。
ただ一方的にやられるだけの俺に、シャルハートは呆れたようなため息を吐いた。
あまたの魔法を同時に行使しながら狂ったように高笑いを続けるモーブに対して憤怒を高める。
限界ギリギリまで、溢れないように。漏れ出さないように。逃さないように。
……まだだ。まだ、もっと。もっと、極限まで怒れ
「さぁ愚か者!! 断罪の時だ。
晴天の空からドス黒い雷が降り注ぎ、全身に衝撃が走る。腕が吹き飛び眼球が焼かれ足に穴が開く。腹の傷だって塞がっていないのに、あちこちを雷が包み込んでは皮膚を焼き焦がしていた。そのたびに、俺自身の奥底では怒りのボルテージが高まっていくのを感じた。
ミラクローアの群衆が逃げ惑う中で、天使を背負ったリリシアだけがまっすぐに俺を見ている。
「吸血鬼さん。勝って!! 信じてる」
……ああ、まったくもって俺は愚かだ。
「人間なんぞに励まされるなんてな。えらく屈辱的だよ。自分の愚かさが……」
「いまさら我が身の愚かさを省みたところで、もう遅い。奇跡の礎となれ!!」
愚かさを省みる?
むしろ逆だ。1500年間『愚者』を背負った来た吸血鬼のプライドに掛けて、吸血鬼らしからぬ感情論で愚かな過ちを犯そうとしている自分自身がたまらなく素晴らしい!!
「この世の全てが腹立たしい。怒りで身が焼かれそうだ……」
普通は吐き出しきれないような心の奥底の怒りまで何かに押し出されるようにして這い出てくる。こんなにも強い感情を、愚者と呼ばれてきた自分が持っていることに驚きながら、拳を握り直す。
「シャルハート、力を借りるぞ。太陽の憤怒を味わえ、『魔術師』モーブ・ストレガ!!」
上空から雷を落とさんとするモーブ目掛けて拳を振るった。けれど、雷が落ちるよりも先に黒さを孕んだ炎が腕から噴き出した。
煌めくような美しい炎が腰の曲がった老人の体を焼き尽くす。最後の一瞬まで、俺の目の奥を見透かすような視線を浴びせ続け、罵詈雑言の一つも吐かずに炎の中にのみ込まれていった。最後の最後まで、奇跡を信じて追い求めるような純粋な顔をしていた。
何処までも尽きぬ怒りが魔術師の詐術を飲み込み、愚者の旅路を祝福するように奇跡の国を照らす。
視界が歪んで自分の体がボロボロになっていることを思い出す。もうこれ以上どうしようもないと諦めて、何も考えずにその場に倒れ込んだ。
「ハァハァ。もう……限界!!」
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