妹の奪還と新たな物語の始まり

「ハァハァ。もう……限界!!」


 全身を焼かれるような痛み。

 激痛をこらえて体を起こそうとするが、力が入らない。


「あれ? 体が、動かねぇ……」


「体に穴が空いてるんだから当たり前でしょ!!」


 『魔術師』が放った奇跡の雷は、俺の体に穴を開けたまま。

 再生することのない傷に戸惑っていると、リリシアはひどく狼狽えていた。


「ねぇ、血が止まらないけど、大丈夫なの?」


「何も大丈夫じゃねぇよ。リリシア、吸血させてくれないか?」


「いいけど、さっき貧血で倒れたばかりだから、血は少ないと思うわよ?」


 平気そうな顔をしているリリシアだが、『魔術師』の城へと侵入するために予め俺から吸血された状態で『魔術師』の配下に血を納めている。だから一度は本当に倒れて2階の医務室に運ばれたのだし、それをきっかけにブランを取り戻せた。

 人間にしてはかなり無茶をする方である。


 吸血鬼の再生を止めていたのはあくまで魔法の力。

 力の根源たるモーブが倒れている以上、俺の回復力が上回れば再生が始まるらしい。わざわざ、魔導書の中から飛び出してきたシャルハートが教えてくれた。


 手首を差し出すリリシアだが、堪えきれずに彼女の首元へと噛みついてしまう。


 目の前で揺れる黄色いツインテールの片割れを鬱陶しく感じていると、リリシアが驚いたような声をあげて慌て始めた。


 心の中で謝罪をしながらも、肩を掴む手は離さない。


「ありがとう。助かった!!」


「あ、いや。えと……。喜んでもらえたなら何より……?」


 腹の傷が再生を始めたあたりで口を離す。傷跡をペロリと舐めとると、何もなかったように牙傷が埋まり、柔らかくきれいな肌へと戻った。


 リリシアの様子を見ると、頬を真っ赤に染めながら首筋を手で隠してしまう。


 傷の残っていない首筋を撫でながら、「いやぁ」だとか「かっこいいけど……」だとか、よくわからないことを口走っているリリシアを無視する。


 彼女のすぐ後ろには、白髪の天使が眠っていた。


「ブラン? ブラン!! おい、大丈夫か?」


「んん? お兄ちゃん……もう朝なの?」


「ブラン!! よかった。目を覚ましたんだな……」


 目を擦りながらブランが起き上がる。

 綺麗だった花柄のワンピースは少し汚れているが、目立った傷もない。


 目が覚めたばかりで状況を理解していないのか、きょろきょろと視線を彷徨わせた。


「お兄ちゃん、抱っこ」


「……全くお前は甘えん坊だなぁ!! 本当に……取り戻せてよかった!!」


 力強く抱きしめると、驚いた声をあげるが、すぐに抱き締め返してくる。


 だが、だんだんとその力が弱まっていく。

 怪訝な表情でブランの顔を覗き込むと、潤んだ瞳で涙をこらえていた。


「ど、どうした!?」


「私、寝てる間にお兄ちゃんに一杯迷惑かけた……。全部、覚えてるの……」


「ブラン……!!」


 悲しそうに目を伏せて呟く。吸血鬼は最強の生物であり、たとえ眠っていようが影の中に沈んでいようが辺りの状況を把握することは出来る。魔法による睡眠でも例外ではないようだ。


「ブランのせいで、いろんな人が死んじゃった。お兄ちゃんに、悪いことさせちゃった……」


 徐々に眠っている間の出来事を思い出して、涙があふれ始めた。掛けるべき言葉に迷っていると、リリシアが優しい手つきでブランからこぼれる雫を拭った。


 ブランは、森の木々が枯れるたびに泣いてしまうほどに優しい娘だ。

 自分のせいで、俺が魔術師を殺すことになったと責めているのだろう。


 嗚咽を漏らす彼女を力いっぱい抱きしめて、背中を軽く叩く。


「ブランのせいじゃない。俺がやりたくてやったことだ。ブランは悪くないさ」


「でも……」


「お前の大好きな絵本。悪い魔術師に連れ去られたお姫様を助ける話があっただろう。俺が勇者で、ブランはお姫様」


 彼女の前で片膝をついて気取った感じを意識する。

 気恥ずかしさよりも、彼女に対する愛情の方がはるかに大きかった。


「迎えに来ましたよ、お姫様。貴女を悪い魔術師から救ってみせましょう!!」


「……こうして、悪い魔術師に連れ去られたお姫様わたしは、勇者様おにいちゃんに救われたのでした。おしまい?」


「そう、おしまい」


 瞳を濡らす涙を拭って、彼女を抱きかかえる。シャルハートは興味なさげにそっぽを向いて、リリシアはニヤニヤと苛つく笑みを浮かべていた。リリシアから見れば古いおとぎ話だと思うが、馬鹿にしたような微笑みから察するに知っているようだ。


 天使のようなブランを立ち上がらせると一瞬視界が歪んで体勢を崩しそうになった。傷は塞がっているが、体力が完全に回復しているわけではない。

 少しフラフラとすると、すぐにリリシアが肩を支えてくれた。


「おい、愚か者。『魔術師』のアルカナ因子、忘れてないじゃろうな?」


「ああ!! そうだ。どうすればいいんだ?」


「モーブの血を吸え。拒絶反応があると思うが耐えるのじゃぞ」


 シャルハートに言われるがまま、黒焦げになったモーブの下へ向かう。いつまでもブランといちゃついているのが気に食わなかったのか、妙に急かしてくる。こういう自分の都合で人を動かそうとするのも吸血鬼らしいと言えば吸血鬼らしい。


 『魔術師』のヴァンパイアロードは瓦礫に埋もれているが、的に一命を取り留めたようだ。(もちろん皮肉である)


「モーブ・ストレガ。その力、貰うぞ」


 浅い呼吸をするモーブの体に手を突っ込んで吸血する。どの程度の量を吸えばいいのか分からなかったが、目の前の赤い光が「十分じゃ」というので、手を放した。


「こんなものでいいのか? 拒絶反応ってのも無かったけど?」


「おかしいのう? ワシが他のアルカナ因子を手に入れた時は拒絶反応で苦しんだものじゃが」


 アルカナ因子を完全にことは出来ないらしく、あくまで力の一部を取り込んだだけ。シャルハート曰く、一部でも持っていれば時間を掛けて掌握できるらしい。それにシャルハートの目標である不滅の体を得るには、全てのアルカナ因子を等しく保持する必要があるらしい。(あくまで予想や仮説にすぎないと自虐していたが……)


 さて、あとはモーブの処遇を決めるわけだが、俺としてはここで殺しておきたい。モーブを殺したとしても『魔術師』のアルカナ因子を持ったヴァンパイアロードが新たに生まれるだけだから、ミラクローアの人間共の生活に変わりはない。

 もっといえば、一勝関わることも無いであろうミラクローアの人間のことなどどうでもいい。


「なんにせよ、モーブ、お前は殺す。罪には、それに相応しい不条理な罰が必要だ」


「ちょっとまてや、愚者……。モーブ様を殺すってなら、俺も連れて行け!!」


「わ、私も!!」


 崩れた瓦礫のせいで汚れた格好のまま現れたのは、ヴァンパイアスートのグラディウスとボトルだった。憤怒に焼かれたと思ったが、怒りが足りずぎりぎり生きていたらしい。それをボトルの魔法で回復されたようだ。


 わざわざ陽に焼かれながら俺の前に立ちふさがった。


「私も、モーブ様以外には仕えたくないねぇ」


「モーブが死ぬのなら、親友として一緒に死んでやるべきだろう?」


 モーブが感極まったように4人の名前を呼ぶ。俺から見れば、全員等しく罪人であり、憤怒で焼き殺すべき対象だ。モーブの名前を静かに告げて、ゆっくりと怒りを吐き出した。俺の腕を赤黒い炎が渦巻いて、寝たきりのモーブとうなだれたヴァンパイアスートに振り下ろされる。


「ダメ!! お兄ちゃん、ダメだよ」


 それを直前で止めたのは、ブランだった。先ほどまで、リリシアと一緒に何かのおとぎ話で盛り上がっていたはずのブランがモーブの前で両手を広げていた。


「ブラン、そこをどいてくれ。悪いことをした人は怒られなきゃいけないんだ。分かるだろう?」


 リリシアに連れて行ってもらおうと、目で合図する。


「お兄ちゃん、それ以上はダメ。今までで十分痛い痛いになったから、もう終わり!!」


 この娘はどこまで優しいのだろう。邪知暴虐で同情の余地すらないクソ吸血鬼共にさえ情けをかけてしまう。ともすれば危険を伴うような天使の慈愛。

 真っ白な髪の毛を揺らしながら、必死な顔で俺を睨んでいる。


「……わかったよ。モーブ・ストレガ、これ以上俺たちに危害を加えないなら見逃してやる」


「いい、のか……?」


 良いも悪いも無い。一番傷ついたであろうブランがそれを望んでいるのなら、俺は従うのみだ。しかし、また不死を望んで罪を重ねるようなことがあれば、ブランの慈悲とは関係なしに殺すつもりだ。


「フン……。どうしても耐えられなくなったら、ステッキ達と一緒に封印されることを選んでもいいな。愚者の傍らに立つ、伝説の吸血鬼のように……」


 最期にそう言い残して、気を失う。

 シャルハートの実験に追いすがって、永遠を望んだ哀れな吸血鬼は、うわ言のようにシャルハートの前を呼んだ。


 眠ったモーブの上をフワフワと浮かぶ赤い光。モーブの身を案じるような殊勝な心意気がコイツにあるとは思えない。シャルハートの不審な行動に怪訝な目を向けると、仕方なさそうに話し始める。


「こやつはのう、可哀想なまでにワシに似とる。自分勝手な理由で不死を望み、その結果他人に迷惑を掛ける。それほどまでに永遠に執着したい理由があるのじゃよ」


「……まぁ、今を手放したくないって気持ちはわかるよ。俺も、そうだから」


 楽しそうにリリシアと話しているブランを眺めて、感慨深く呟く。先ほどまで怯えたような顔で俺に立ち向かっていた妹は、リリシアに抱きかかえられながら満開の笑みを浮かべている。


「そうだ。愚者も渡すんだったよな。どうすれば……


 ブランとリリシアの前に立つ、二人の人物。シャルハートの方へ向き直ろうと思った直後に視界の端から現れて、一瞬でくぎ付けになってしまう。


 どちらも吸血鬼のようであり、それぞれ王冠を被って、背中からはコウモリと悪魔を混ぜたような翼を生やしている。どうやらどこかから飛んできたようだ。


「ブラン、逃げろ!!」


 必死に手を伸ばすが、到底届かない。

 リリシアがとっさに立ちふさがったが、額に人差し指を突き付けられバタリと崩れ落ちた。


「ブラン!!」


「ウヒヒ。ちょいと黙ってくださいね」


 2m近い長身の男が切迫する。

 灰とフケの混じった汚い長髪が揺れたかと思うと、鳩尾に鈍い衝撃。


 腹に拳がめり込んで、思わず唾液を吐く。


 怒りすら抱けないほどに強い痛みに呻いて、その場に倒れ込んだ。


 真っ赤なマントにも灰が被っていて、風で揺れるたびに小さな粒子が空気に舞う。

 ぎょろりと浮き出た目玉が俺を見下ろすと、汚い声で笑う。


「お兄ちゃん!!」


「君はこっちだよ」


 男とも女ともいえない吸血鬼が、ブランを抱える。

 珍しい黒目黒髪であり、濁った色の王冠と真っ黒な布切れを纏っているだけ。胸元のふくらみはあるが、筋肉が露出しており、生殖器らしきものが無い。


 ほとんど裸同然で、完璧なプロポーションを見せつけてくる。


 不透明な声の吸血鬼がブランを連れて行こうとする。

 泣き叫びながら必死に手を伸ばすが、小汚い男に踏みつけにされていて動けない。ゾワゾワと感情の揺れ動きを感じ取って、必死に怒りを燃やす。


「また……失う!? いやだ。嫌だ。俺から奪わないでくれ……。嫌だ!!」


「アーシェ。目的は果たした。儀式を始めるよ」


「お兄ちゃん!! 助けて……。お兄ちゃん!!」


「ブラン!!」


 アーシェと呼ばれた吸血鬼に後頭部を殴られる。

 激痛に目が眩んで声が出せなくなり、指先の感覚が冷たくなって消えていく。段々と意識がもうろうとしていく中で、ブランの叫び声だけが頭に響いた。


「ああ、原初の吸血鬼よ。あなたを超えて見せよう!!」


 黒い布切れの吸血鬼が天を仰いで歓声を上げる。儀式……? 何の話だ。こいつらもシャルハートと同じ!?


 ブランの体が震えて、彼女の力が奪われ始めた。

 水が流れるようにブランの魔力が黒髪の吸血鬼に注がれていくと、ブランの悲鳴が唐突に止まった。


「神を超えるなどという傲慢。許されざる罪……!!」


 ……ブラン?


 いつもの天真爛漫な声じゃない。まるで、俺が混ざったかのような声だった。その様に意地の悪い顔をして眺めていただけのシャルハートも目を見開いた。


「な、なんだ!? 魔力が止まった……?」


 ブランの心臓が膨れて淡い色合いの結晶が飛び出してくる。


 形容できない色をした楕円の石が小刻みに震えると、音を立てて割れた。


「ブラン!!」


 粉々に砕けた結晶は天へと上ったかと思うと、流星のように四方八方に散らばる。


「愚者の美徳と儀式の間に拒絶反応を引き起こしたか……」


「マーディ、追いかけるのか?」


「当然。なんとしても美徳を封じなくては……原初には近づけない」


 幻想的で美しい景色に見とれていると、2人の吸血鬼たちは大きな舌打ちをして飛んでいった結晶を追いかけていく。


 俺もすぐに追いたかったが、全身が悲鳴を上げている。

 それに、腹の衝撃がじわじわと昇ってきて頭に血が回らなくなっていた。


「必ず……取り戻すから……。ブラン……絶対に……!!」

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