全売商人
とりあえず支度を整えてミラクローアを出国する。
必要もないのに、ミラクローアの人間共から見送りなんかをされて、心地悪かった。特に助けたつもりはないが、そう見えたのだろう。
ヴィクトレースまでは街道が整備されており、リリシアが手綱を引いている馬車で移動中だ。馬の扱いに長けているというのは驚きだが、コーウィン村には馬を入れておく厩舎を見かけたし、幼少期から教わっていたのだという。
「コーウィン村から他の村とかミラクローアに行くときは、必ず馬車だからね。自然と覚えたわ」
「この時代に馬車かよ……。魔導車は使わないのか?」
「ああ、魔力で動く車よね? 私、乗ったこと無いの」
ミラクローアでは魔導車と呼ばれる機械が主流だった。吸血鬼の魔力をエネルギーとして、馬車よりも速いスピードで動くことができるらしい。俺とブランが暮らしていた森の近くに事故を起こしてそのまま放置されているのを見かけたことがある。
もっとも、吸血鬼はそれ以上のスピードで走れるので無用の長物だが。
「下等な人間の移動手段と言えば、魔導車じゃないのか?」
「アレは高価だからね。道が悪いところだったら馬車の方が都合がいいわよ。森とかね」
ミラクローアのように地面の凹凸が均されていれば魔導車は扱いやすいのだろうが、普通の野原や森の中を旅するには馬車の方が早いらしい。さらにいえば、リリシアは魔導車の運転になれていないとのことだ。出来ないとは言わない辺り、この人間、それなりに出来る奴なのだろうか。
「馬車はガタガタ揺れるから好きじゃないんだよな……」
「街道って言ってもレンガで舗装してるわけじゃないから、車で走ったらもっと揺れるわよ」
……日差しの中を自分の足で走らずに済んでいると考えれば、まだマシだと思っておこう。
『太陽』の力を少しでも使いこなせるようにするべきなのかもしれないが、奇跡の雷の傷はまだ残っている。太陽に焼かれたりするのとは性質が違うが、後遺症という意味ではモーブの魔法の方がタチが悪い。
「そういえば、さっきの分かれ道、左に進んだよな? 地図にはない丘が見えているんだが……」
「あれ、さっきの道って左なの? 右に曲がっちゃった」
「は!? お前なぁ……」
俺たちの旅は始まりから前途多難だった。
子どものように不安そうな顔をするリリシアを見ると、怒りが沈んでいく。椅子を壊した時のブランと同じような顔だ。
馬車を回転させて、元来た道を引き返す。
「はぁ。今のは地図をお前に渡さなかった俺が悪かったな……」
「あ、いや。道を聞かなかった私も悪いし……」
思わずもう一度深いため息をついてしまう。地図を渡すと彼女は器用に馬の上で地図を眺めはじめた。空に浮かぶ太陽を眺めながら、またしばらく馬車に揺られていると、唐突に速度が落ちる。
何気なく荷台から馬の方を眺めてみると、正面に大きな荷物を抱えて歩く男が居た。
「クーリア、誰かいるけど……?」
大きなバッグを背負った男は、俺たちの馬車に向けて「止まれ」という合図を出していた。
従う義理はないが、ブランの魔石が飛んでいくのを目撃しているかもしれない。それにあの格好から察するに旅商人のようだ。
「あれは人間か? ローブを貸してやるから着ておけ」
肩や胸元を露出させたヘソ出しのオフショルダーを着ているリリシアにローブを投げつける。不服そうな顔をしているが、面倒ごとを避けるための配慮だ。
馬車を止めて、荷台から降りる。
近づいて見れば、男の顔には深いしわが刻まれており、中年太りという言葉が似合う50歳程度の老人だった。ベージュのコートを羽織って、汚れた薄緑色のバッグを大事そうに背負っている。
「はじめまして、私はヘンドラーと申します。ドラマティック・エデンに所属するしがない旅商人でございまして、よろしければ、何かお手伝いをさせていただけませんか?」
「悪いが世間の常識に疎くてね。そもそも、ドラマティック・エデンってのはなんだ?」
「それは失礼いたしました。ドラマティック・エデンとは、いわば商売人同士の組合のようなものです。あちこちで取引の元締めをやらせてもらっております」
どこかで聞いた覚えがあると思ってみれば、『魔術師』のヴァンパイアロード、モーブ・ストレガの手記に書かれていた死体販売をする連中だ。
「で、拝金主義のクソ守銭奴が何の用だ? 身包みでも剝ぐつもりか?」
「いえいえ、私は強盗ではございません。先ほども申しました通り、お手伝いをさせていただきたい所存にございます」
わざとらしい丁寧な言葉遣いにウンザリする。金にがめつい人間には碌な思い出がない。関わりたくないという意思を暗に伝えるが、気にした様子も無く売り込みを始めた。
「なら、昨日の流星は見たか? だいたいどの方角に行ったか覚えてない?」
「ああ、あの綺麗な流星ですか? う~ん、見たには見たのですが、どうにも記憶が曖昧でしてね」
片目を閉じて白々しい演技を続ける。『自分は商人なのだから、何かを聞き出したかったら金を払え』と言いたいのだろうが、あいにく、必要最低限の金額しか持っていない。
手荒なことをすることも視野に入れたが、仮にも兄という立場である以上、妹に顔向けできない真似はしたくない。あとはリリシアの前で人を殺すと、寝覚めが悪そうだ。
「あ、ヘンドラーさんは食料品も取り扱ってますか?」
「ええ、もちろんでございます。日持ちする干し肉はもちろん、取れたての卵まで、申し付けて下さればすぐにご用意いたしますよ」
隣で黙っていたリリシアが、自分のショートパンツのポケットに手を突っ込むと、小さな指輪やイヤリングを取り出した。
「どうしたんだ、それ?」
「ミラクローアの王宮が壊れた時に見つけたの」
……ちゃっかり盗んできたらしい。抜け目のない女だ。泥棒なんて、本来ならば咎めるべきなんだろうが、モーブたちが彼女にしたことに比べたら可愛いいたずらだ。それに、弱っているとはいえ吸血鬼が人間の窃盗を見逃すはずもない。黙って国を出て行かせた時点で、盗られても構わないと思ったのだろう。プロテクトの類も仕込んでないようだしな。
「この装飾品と交換で、見かけた流星の話と、卵とパンをもらえませんか?」
「ほほう? 素晴らしい品ですね。勿論すぐにご用意いたしますよ」
指輪に嵌められた宝石を眺めると、背負っていたバッグを下ろして中身を漁る。
緩衝材に包まれた卵と、袋に入った食パン一斤を取り出すと、リリシアに渡して、代わりに彼女の持つ装飾品を受け取った。
「それで……流星の話でしたね。たしか、ヴィクトレースに落ちたようですよ。ちょうど、ヴィクトレースで露店を開いている最中でしたからね。よく覚えています」
「他の流星の場所は?」
「そうですね……。噂程度ではありますが、『世界』のヴァンパイアロード、マーディ・ヴェルト様、それと『塔』のヴァンパイアロード、アーシェ・トゥルム様が流星を追い掴んだとか……?」
「それって……!!」
「ああ、ブランの魔石、2つは奪われてるな」
「他にも、様々な国付近に落下したのを目撃されていますね。ペティンシアではちょっとしたお祭り騒ぎになっているらしいですよ」
「なるほどな。大体はわかった。またどこかで会ったら何かを買わせてくれ」
「ええ、もちろんでございます。どんなお取引も、金次第ですから……」
そう言ってバッグを背負い直すと、俺たちの進行方向とは逆に歩き出して行く。
薄汚れた茶髪の老人の、気味の悪い笑顔に身震いしながら馬車の荷台に腰掛ける。リリシアが馬に乗ると、またガタガタと揺れ始めた。
まだしばらくは街道を歩くことになるだろう。
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