地下牢の秘密

「俺は『愚者』の吸血鬼。お前を殺して、奪われたものを取り戻すために来た」


 手に纏った炎を差し向けて、汚れたローブの男を睨んだ。

 目の前の老人が周囲を取り囲む炎を一瞥し、ふわりと杖を振るう。その瞬間に四方八方から見えない衝撃が襲いかかり、溢れ出ていた激情を揺らされ掻き消される。


 罪の対価と言わんばかりに心を掴まれ奪われると、炎が収まる。今の衝撃で憤怒の炎を出現させるための強い感情が霧散させられたのだ。


「火が消えたな。持続性はないのか?」


「さぁな? 答える義務は無いね」


 必死に虚勢を張るが、老人は見透かしたように微笑む。俺がどれだけの隠し玉を持っていたとしても絶対に勝てるだろうという自負を感じさせる様相に違和感を抱いた。


「そうだな。ステッキ、この部屋の後始末は任せる。私は研究に戻る前に少し休憩する」


 俺に背を向けて、杖をついて階段を登ろうとする。

 あまりに舐めた態度に怒りがこみ上げるが、必死に押さえつけて魔導書を開いた。ここで激情に駆られてしまっては、あの老人は振り返らないだろうという根拠のない自信があったのだ。


「祝福の象徴よ。愚者に神秘を与えろ」


 緋色の文字が浮かぶ魔導書。

 俺の手元には小さな火の球が生成され、『魔術師』のヴァンパイアロードの背中に照準を合わせる。


「私が、城の警備を手薄にしたのは、お前を呼び込むためだと気づかなかったか?」


 人を馬鹿にしたような白い仮面の奥から、哀れむような視線が向けられた。薄気味悪い双眸と視線がかち合うと、一泊遅れて言葉の意味を理解する。

 ブラン1人を狙っていたわけではない。俺が追ってくることを予想して、確実に2人とも捕まえられるように布石を打っていたのだ。


「だからお前は愚者なのだよ」


 床が暗闇へと変わり、体が沈んでいく。

 沼にはまったかのように抜け出せずにいると、視界が歪み声も聞こえなくなる。新しいおもちゃを手に入れた子供のように無邪気な笑みを仮面から覗かせると、杖をついて何処かへ去って行った。


(こんな単純な手、誰だって思いつく。どうして気づかなかったんだ……!!)


 妹を理由に思考を放棄した愚かさを呪いながら、ゆっくりと沼に消えていく。







 暗闇に沈んだ先は、どこかの天井につながっていたようだ。


 吐き捨てられたように落下すると、冷たい石床の感覚が体に刺激を与える。


「ここ、どこだよ……?」


 レンガに覆われた一室。

 窓らしきものはなく、目の前に鉄で作られた檻があるのみ。傍らには虫を見て悲鳴をあげるリリシアがいた。どうやら一緒に沼に沈められたらしい。


「あの時甲高い声で騒いでたのはお前か!!」


 ひどく耳障りだと思ったが、突然体が沈み始めたことで驚いていたらしい。


「血の匂い……。それだけじゃ無いみたいだが、嫌な臭いが漂ってるな」


「ねぇ、この娘!!」


 リリシアが驚いて指差した方を見ると、両腕を鎖に繋がれている少女が眠っていた。

 雪のように美しく白いボブカット、スヤスヤと穏やかに寝息を立てており、金色の花が描かれたワンピースは薄汚れて、細い腕に鎖の跡がついている。


「ブラン!!」


 牢屋に閉じ込められていたのは、最大の目的である妹のブランだった。


 檻や鎖は吸血鬼を弱体化させる魔法が仕掛けられ、能力が使えない。


 コウモリになることもできないし、他者の影に潜むこともできない。自分の影に仕舞っておいた荷物を取り出すことすら出来ないので、魔導書も使えない。


 再生能力は失っていないようだが、回復は遅くなるだろう。


「リリシア、ブランを起こしてくれ」


「分かった。けど、どうするの?」


 今の俺の力では、檻からの脱出は当然だが不可能だ。

 ブランの鎖を壊すのにだって苦労するだろう。


「檻の外を見ろ」


「外? 何があるの?」


 鉄格子からは脚が三本しかないテーブルが器用にバランスを保って置かれていた。その上には、いくつもの魔導書や羊皮紙、魔導書の作成に用いられる特殊なインクなどが乱雑に並べられている。


 ヒビの入ったグラスには飲みかけの血。


 まるで、つい先ほどまで誰かがここにいたような状態だ。


「そこのテーブルに鍵の束があるだろう? おそらく牢屋の鍵だ」

「なんであんなところに!?」


 手を伸ばしても届かないほど距離は離れている。

 俺が考えていることが上手くいくかは分からないが、試してみる価値はあるだろう。


「【牢屋の鍵】と【羽ペン】 両方俺の物になれ!!」


 鉄格子の隙間から腕を伸ばし、掴むような動作をする。

 すると、手元からチャラりと音が鳴って、リングに引っ掛けられた鍵の束が現れた。代わりに影の中に入れていたクマのぬいぐるみがテーブルの上で跳ねる。コーウィン村で拾ったものだが、こんなところで役に立つとは思わなかった。


 愚者の強欲を発動させるためには、複数の物を欲しがる必要があり、なおかつ、それと引き換えに自分の物を1つ失う。単純なアイテム交換ではあるが、欲しい物の何が手に入るかまでは指定できず、いくつ指定したとしても、1つは手に入らないようになっているようだ。


 今回は運よく【牢屋の鍵】の方が手に入ったので良かったが、最悪羽ペンでむりやりぶっ壊すことも考えていた。失敗する気がするが……。


 どうやら、この檻は『愚者』の強欲までは封じることができないらしい。あくまで、アルカナ因子を持たない野良向けに作られた牢屋であって、能力を持たない愚者を閉じ込めておくには十分だと傲ったのだろう。


 鍵の束は似たような鍵がたくさんあって分からないが、全部試せば開くはずだ。


「この子の手錠にも鍵穴があるわよ?」


「分かった。すぐに探す」


 錠前の穴を覗き込みながらそれらしい鍵を探す。


 鍵の外れる音が鳴り、檻に掛けられた南京錠が落ちた。同じようにブランの手枷も外すと、彼女の肩を揺らして起こそうとしてみる。リリシアも呼びかけているが、反応が薄い。もしかして、コイツが居るから人見知りしているのだろうかとも思ったが、森の小動物が好きな娘だ。いまさら人間に臆することも無いだろう。


「ブラン、起きてくれ」


「んん……。お兄ちゃん……」


「そうだ、お兄ちゃんだぞ。ブラン、起きるんだ」


 肩を揺らしたり頬を優しくつねったりしてみるが、可愛らしい天使のような寝息を漏らすだけで、全く起き上がる気配ない。

 もしかしたら、ステッキが掛けた催眠魔法のせいかもしれないと思い、起こすのは諦めた。


「リリシア、抱き起せるか?」


「ええ、背負うぐらいなら出来ると思うわよ」


 本当なら俺が背負ったやりたいところだが、それでは戦えない。

 逃げることを優先で考えているとはいえ、リリシアの父を見つけていないし、ブランやリリシアには位置がバレてしまう呪いが仕込まれている。


 ヴァンパイアロードを倒す以外に、解呪の手掛かりがないかと思って、地下牢のテーブルを漁る。けれども、あちこちに線が引かれている魔導書があるだけだった。


「吸血鬼さん、コレ!?」


 薄暗い地下牢で、リリシアの小さい悲鳴が漏れた。

 思わず振り返ると、彼女の視線の先には、俺たちが落とされた場所と同じように鉄格子の部屋が並んでいた。


「牢屋がこんなに必要か……!?」


 人智を超えた吸血鬼の城にしては似つかわしくない部屋。

 錆びついた鉄格子の向こう側には、鎖で繋がれた人間の姿があった。肉が腐り堕ちているような死体さえも放っておいているせいで、緑色の謎の液体が薄く膜を張っている。


「ウッ!!」


「バカ、直視するな……」


 黄色のツインテールを揺らしながら口元を手で押さえる。

 リリシアの顔色は、気を失うまで吸血された時よりも、青白く病的になっていた。


 牢屋にとどめておく必要もないような死体ばかりが置いてあり、奥の方へと進むと壁を叩くような音が聞こえる。一定のリズムで不気味に鳴り響く物音に、とうとうリリシアは失神するのではないかというほどに真っ青になる。

 暗闇になれている俺でも、この状況はさすがに怖い。ホラーが苦手なブランが起きていなくて本当によかった。


「生存者か……!?」


 ガリガリと岩壁を擦るような音へと近づくと、傷だらけの死体が一心不乱に壁をひっかいていた。


 部屋の傍らには血でぬれた薄茶色のカバンが、無残にも転がっている。

 見覚えのあるその肩掛けカバンは、リリシアの部屋のクローゼットでも見かけた物であり、コーウィン村を出る人へ贈る餞別の品だった。


「コーウィン村の住人……!?」


 思わぬところで最悪の発見をしてしまうと、リリシアの嗚咽が背後から聞こえた。蒼白だった顔は、信じられないようなものを見る目へと変わっており、かすかに陰りが感じられる。


「お、お父さん……!?」


 壁にボロボロの爪を突き立てる死に損ないアンデットが、リリシアの父だという。長寿ゆえに感情の機微が少ない俺でさえ驚いた。おもわずリリシアとアンデッドの顔を見比べると、ボロボロの顔面に微かな面影が見える。

 なにより、暗闇の中で光っている千切られた黄髪はリリシアとよく似ていた。

 小さなうめき声をあげて、指から血が噴き出ることも構わずに一心不乱に壁をひっかく。その行為に何の意味があるのかは分からないが、ひどく苦しそうだ。


「祝福の象徴よ。愚者に神秘を、死者に安寧を与えろ」


 青い炎が鉄格子を通り抜けて、ゆっくりとアンデットを燃やした。

 一瞬苦痛の声を漏らして振り向くが、リリシアと目が合うと涙を流して押し黙る。すぐに狂気を取り戻してうめき声を上げ始めた。


「ア…アア……」

「お父さん!! ゴメンね。助けられなくて、ごめんなさい……!! 必ず、仇はとるから……!!」


「……ア、……シア」


 鉄格子へと近づくリリシアを制止して、アンデットが燃え尽きるのを待つ。怨嗟の声の中に、微かな優しさと慈愛が混ざり始める。彼女が青い炎に触れないように注意しながら、背中を後押しした。


「……シア。リリシア、しあわせに……なりなさい……」


 優しい青い炎が、ボロボロのアンデットを燃やし、少女の零す涙によって火が消える。その過程はひどいものだったろうが、すくなくとも最後はマシになったはずだ。


 リリシアが腰の抜けたようにしゃがみこんだまま呟く。


「吸血鬼さん、助けて……」


「あいにく、人間は嫌いなんだ」


 ずっと、ずっと、嫌いだった。

 人間の存在が気に食わなかった。

 俺を置いて、勝手に死ぬ人間が、大嫌いだった。


 死んだくせに、潰れてしまいそうな重苦しい感情を託して、勝手に思いを馳せて死んでいく人間なんて大嫌いだ。


 勝手な理由で、理不尽な理由で不条理な死に方をする人間が嫌いだ。


 しかし、それ以上に……


「理不尽を押し付ける奴らは、もっと嫌いだ」


 短い命をたくさんの感情で生き抜く素晴らしき人間を、無限に等しい命をゴミみたいな価値観で生きている愚かしい吸血鬼が害していい理由なんてない。


「リリシア、不条理への立ち向かい方を見せてやるよ」


 鋭い牙を覗かせて凶悪な笑みを浮かべた。

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