愚か者の大罪・憤怒
「妹は……どこだ!?」
低く鈍い声で問いかけた。
グラディウスはボタンの開いたシャツを翻すと嫌みな笑みを浮かべて黙りこむ。
その様子に苛立ち、魔導書を開いて魔法を展開する。『愚者』のアルカナ因子では魔法は使えないが、『太陽』のアルカナ因子を借りている状態であれば、多少の攻撃魔法を扱えるのだ。
当たり前だが、もともとはシャルハートの魔法である。わざわざ『太陽』の力を借りなくては何もできない自分にすら苛立ちながら、改めて赤髪の男に問いかける。
「もう一度聞くぞ、妹をどこにやった?」
「んー、もう死んでるって言ったら?」
軽い調子の煽り。
一気に頭に血が上って、全身から殺意が漏れる。
抑えきれない激情を吐き出すように、血走った眼でグラディウスを睨みつけると
「【グラディウス・ストレガ】お前を殺す!!」
溢れんばかりの敵意と、全身全霊の殺意をぶつける。
余りに純粋で単純な感情。膨れ上がった衝動を燃やすように炎が吹き上がったかと思うと、美しい火柱をあげた。グラディウスが驚いたような表情を浮かべる。
俺の全ての動作に炎がまとわりつき、灰色の絨毯へと引火する。
地面を強く踏み込んで発走し、グラディウスの右頬を殴り抜いた。
「痛ってぇ!! クソッタレの愚者風情が、魔法を使っただと!?」
「いや、魔法なんかじゃねぇよ。お前が犯した罪の代償だ」
ヴァンパイアロードが居ない『愚者』はアルカナ因子の恩恵を正しく受け取れない。つまりは、野良の吸血鬼よりもほんのちょぴり強いだけなのだ。
その程度では、一般的に想像されるような魔法は使えない。本来ならば、魔法の使い方はヴァンパイアロードに教わるものなのだが、主無き『愚者』は攻撃魔法を扱えない。少なくとも、グラディウスはそう思い込んでいた。
「俺にも理解できないが、この炎は吸血鬼の再生能力を失わせる。『太陽』の魔法は再生が間に合わないほどの効果力で焼き尽くすと考えると、少し性質が違うな」
「『太陽』!? 何の話だ……。それがお前と何の関係がある」
「いや、こういうこともできるんだよ」
吹っ飛んだグラディウスを追いかけるように、緋色の剣を携えて切迫する。
陽の光にも似た輝きの周りを地獄の業火を思わせるような赤黒い炎が包み、まるで吸血鬼に裁きを下す断罪の証のようだった。
「どこでそんな力を!? あの時の魔導書か!!」
「半分当たりだ。残りの半分は俺の愚かさがゆえの能力」
全身をコウモリと化して分解し、甲冑を脱ぎ捨てた。
新たに自身を再構成させると、愚者にふさわしい能天気な金色の×印が描かれた服を纏う。いつも纏っている服ぐらいは、生活魔法で作り出せるが、これ以上の魔法は『太陽』に頼らざるを得ない。
「愚者がちょっと手品を覚えたぐらいで何だってんだ。右頬を焼かれただけでまだ戦えるさ」
振り下ろした『太陽』の剣を腰に下げていた長剣で受け止める。
軽く振り回しただけで弾かれてしまい、彼を取り囲んでいた炎もかき消される。
圧倒的な剣技の才能。そもそも積んできた努力がまるで違うのだ。
「俺は2000年以上も剣士として生きてきた。だからこそ、テメェの才能の無さがわかるんだよ」
「そうだろうな。俺は剣を持って2日ぐらいだ」
今まで、ずっと一人で生きてきた。
誰かと争うことも競うことも戦うこともなく。
1500年間ずっと一人で。確かに平和で危険も無い。ある意味で言えば幸せな人生だったのだろう。人間のように災害に怯えることも無く、隣人へ臆することも無く。恐れ知らずに生き続けてきた。だが、そんなまやかしの幸福の中に孤独感がなかったかと聞かれれば……。
どれだけ退屈だったろうか。どれだけ虚しかっただろうか。家族に手を引かれる人間を見るたびに、友人を追い回す人間を見るたびに、どうしようもない寂寥感を抱き続けてきた。
――それをブランは覆してくれた。忘れさせてくれた。たったの300年で!!
「ああ、怒りが湧いてくるよ。何も持たない
吐き出した怒りの炎を全身に纏って、火の粉舞い散る部屋を走り抜ける。
一辺倒な攻撃は全て防がれてしまうが、周りの炎を利用すれば、最低限戦うことは出来る。吸血鬼らしく、
「そうやって、自分の身を炎に突っ込ませながら攻撃するのが、一体どれだけ続けられる!?」
「さあな。愚かな俺には炎なんて関係ねぇよ」
「クソが!! テメェは焼かれねぇのか!!」
目の前に突き立てた剣を手放し、鳩尾へと拳をめり込ませる。赤黒い炎の中から飛び出した一撃に対応しきれなくなったようだ。グラディウスが鈍いうめき声をあげると、力なく崩れ落ちた。
俺の拳から怒りの炎が伝わっていき、じわじわと包み込んで、再生の止まった皮膚が黒くただれていく。
「リリシア、先に進むぞ」
俺の背後で茫然と眺めていた彼女に声を掛ける。圧倒されていたのか、重苦しい鎧を着込んだままである。もう必要ないので脱がせようか迷っていると、意地の悪い笑い声が響いた。
「
「キャッ!!」
バサバサとコウモリが飛び立ち、リリシアの背後で再構成され、首筋に小さなナイフを押し当てる。憤怒の炎に焼かれて立ち上がるのすら辛そうである。
グラディウスの体は、吸血鬼とは思えぬほど黒焦げに染まっており、弱まっているとはいえ、火が噴き出しているままだった。太陽を凌駕するほどの赤黒い炎はアルカナ因子を持った吸血鬼には効果が薄いのだろうか。
「この女を殺されたくなかったら、今すぐ火を止めろ。あと、魔導書も捨てろよ!!」
見るも無残な白い仮面をずらしながら、リリシアの細い首を掴む。その様子に余裕などは微塵も無く、むしろ焦っているようでもある。
ナイフの先端が微かに触れて、赤い雫が滴った。
リリシアが苦しそうな表情を浮かべる。
だが、俺はそれを無視して魔導書を開いた。してやられた……と後悔したが、よく考えてみれば、俺はリリシアを特別視する理由がない。この城に潜入するまでは必要だったが、こうして中に入った以上、人間の助けなんてなくてもブランは見つけられる。
「シャルハート、魔法」
「よいのか? まぁ、お主が言うのなら貸してやるが……」
恐ろしく冷たい目をしているであろう俺に、シャルハートが首を傾げる。いや光の球体だから傾げるような首はないが……。とにかくそんなような雰囲気を漂わせた。
ペラペラとページが捲れて、魔導書が緋色に輝き始める。
グラディウスはさらに焦ったような表情で怒鳴るが、全く意に介さず手のひらを向ける。
「祝福の象徴よ。愚者に神秘を与えろ」
手のひらに魔力が凝縮していき、火の球が作られ始めた。初めてに等しい魔法を放つ感覚は、体の中を何かがうごめいているようであり、生活魔法を使った時に感じる感覚を数千倍に引き延ばされているようなものだった。
「おい!! 今すぐ止めろ!! この女殺すぞ!!」
「殺せばいい。
小さな太陽にも似た火炎の魔法が一直線にグラディウス目掛けて射出される。
ナイフを構えていた手を焼き尽くし、一瞬で蒸発してはじけ飛んだ。憤怒の炎と違って、再生能力を失わせる効果までは持ち合わせていないので、すぐに再生が始まった。
「あああ!! クソッタレ。
「へぇ? 俺は最初から殺すつもりだったぞ」
倒れたグラディウスの頭を踏みつけて、残りカスのような怒りを噴出させる。命じたのはヴァンパイアロードかもしれないが、連れ去ったのはこの男である。怒る理由には十分だ。
『愚者』の魔法はこれ以上使えない。代わりに『太陽』の魔法によって、爆ぜるような音を響かせて拳を振り下ろすと、4階へと続く階段の方から光の矢が飛ばされた。
「グ、グラディウスさん!!」
「グラディウス、ソイツは何者だい!?」
現れたのは紫色の髪で片目を隠し炭のように焦げた片手に杖を構えた少女と、しっかりフードまで被ったローブ姿をした背の高い紺色の髪をした女。
更にその背後には、妹を連れ去った短い杖を携えた老人。吸血鬼らしい、冷徹な目、顔に皺が浮かんでいるのに不自然な精悍さを見せる体躯、腐りきった紫色のローブが目に映るだけで不快感を溢れさせる。
「お前……!! ブランをどこにやった!?」
「『愚者』の吸血鬼……。わざわざ乗り込んできたというわけか!!」
やせこけた顔の老人は、微かに目を細めると忌々し気に呟く。
「ボトル、グラディウスの回復を。リラは私と一緒に愚者を止めるぞ」
「分かりました」
「了解!!」
ステッキが杖を振ると、小さな火の球がいくつも漂う。それに混じって足元に霧が生まれ、微かに感覚を鈍らせる。おそらく霧は、魔女のような恰好の魔法。
けれど、最初に狙うべきは、回復役。もとより吸血鬼の再生能力は高いのに、魔法によって治癒を施されてしまえば、魔法が使えない俺は防戦になるばかりだ。
「祝福の象徴よ。愚者に剣を!!」
魔導書を開いて2本の剣を呼び出す。赤く輝く本を影の中に落として沈ませると、両手に構えた剣を振りかぶって片目を隠す幼女へと斬りかかった。
「させないわよ。
背後からフードで顔の半分を隠した女が追いすがってくる。杖を振るうと足にまとわりつく霧が形を変えて人の手を模したものに変わる。
「ボトル、急げ!!」
「は、はい!!
少女が倒れている赤髪の男に触れて魔法を詠唱すると、黒焦げの姿で起き上がった。吸血鬼の再生能力は失っているはずであったが、ボロボロと皮膚がこそげ落ちて元の姿へと戻る。
俺の憤怒は未だ不完全。回復魔法の後押しがあれば、吸血鬼の再生能力の方が上回る。
「悪いなボトル……。リベンジと行こうぜ、愚者」
「グラディウス、単身で突っ込むな!! リラ、私の魔法に合せろ」
グラディウスが手元から長剣を取り出す。自身の体から武器を作り出しているようだが、それもグラディウスの魔法なのだろう。4人が着けているウロボロスの首輪同様、薄気味悪い紫色をした剣である。
傷の面影もないままにこちらを睨むと、今までとは違う構えをとる。
「必殺、
その場から動かず、横振りの一閃。
当然刃は届かず、空振りしただけに終わった。……かに思えた。
鋭い衝撃と腹を切り裂かれる痛みが襲う。空気さえも切り裂くほど素早い斬撃によって、真空波が発生したらしい。一瞬訪れた空気のゆがみが消えうせたかと思うと、剣を振りきった動作をしているグラディウスの姿が目に映る。
苦痛に悶えていると、すぐ目の前に炎の塊が出現し、全身を焼き尽くした。
「
脂汗を垂らした長身の老人がニヤリと笑う。息を切らせているが、まさしく一撃必殺の大魔法だったのだろう。憤怒の炎ほどではないが、吸血鬼の再生能力を阻害しており、再生が思い通りに進まない。
……なるほど。確かに熱い。まさしく奇跡と呼べるだろう。
「この程度で、俺の怒りを抑えられるとでも……?」
むしろ、ふつふつと煮えたぎるような感情が沸き上がってくる。
「【ステッキ・ストレガ】お前の全てを奪ってやるよ!!」
失くした怒りを取り戻すように、溢れ出てくる感情に身を任せる。背後でリリシアが悲鳴をあげようとも知ったことか。
部屋中を炎が呑み込もうとも怒りは収まらない。
「この怒り……。簡単に沈められると思うなよ?」
全身を炎で包み込みながら、ステッキを睨みつける。おかしな程高威力な魔法が極小サイズのままに放たれてる。軌道の読めない攻撃にさらに苛立ちを募らせた。
「グラディウス、ボトルを連れていけ。リラ、逃げるぞ!!」
部屋の半分を炎が覆ったあたりで、危機感を抱いたのか撤退の準備を始めた。
「逃がすと思うか!?」
階段へと続く道を炎で塞ぐ。ステッキの魔法と憤怒の炎が複雑に絡み合い、部屋の中は地獄のような様相を呈している。
ステッキは皺だらけながら整った顔をゆがめて舌打ちをするが、観念したのか杖を向ける。
「……これは、何の騒ぎだ?」
業火に包まれた部屋の中心に大量のコウモリが集結した。
バサバサと翼をはためかせる音がうるさく鳴り響き、誰もが唖然とした様子でそれを眺めている。
「モ、モーブ様!?」
「お前が……『魔術師』のヴァンパイアロード……!?」
大量のコウモリから現れたのは薄紫色のローブを羽織った腰の曲がった老人。
自分の背丈よりも長い杖で全身を支えており、フードを被った上には毒々しい色の王冠が乗っている。
あの王冠こそが、ヴァンパイアロードを示す証。
「ステッキ、コレは何事だ?」
しわがれているが、芯のある通った声で尋ねる。
「俺は『愚者』の吸血鬼。お前を殺して、奪われたものを取り戻すために来た」
手に纏った炎を差し向けて、汚れたローブの男を睨んだ。
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