伝説の吸血鬼
「おい、起きんか!!」
低い老人のような声。
「おい、さっさと起きんと、そこに日が差して死ぬぞ?」
混濁する意識の中で、その老人の声はうるさく響いた。
渋いが、威厳のある声だ。
「誰……だ……?」
微かに差し込んだ光に目を焼かれそうだった。
湿って変色した木に囲まれるように眠っており、ひどく気分が悪い。
妙に赤黒く濡れた胸元に触れてみると、剣も生えていなければ傷も塞がっている。
こうやって時間を掛ければ、どんな傷も再生するのが吸血鬼の楽なところだ。
(この倦怠感。あれは夢じゃない。ブランはどこだ……!!)
「ブラン!! ブラン!?」
「おちつけ。いまさらあの2人を追いかけたところで、道中、日に焼かれて死ぬのが目に見えておる」
どこからともなく、よく響き渡るような声が聞こえる。たしか、さっき眠っているときにも起きろと言っていた声だ。
「お前、何者なんだ? どこにいる? お前は誰だ?」
「質問が多い小僧じゃのう……。まぁ、教えてやるから、目の前の本を開け」
崩れた家の中に、赤い表紙の本が置かれている。
その本の中から声が聞こえているようだ。
「……いやいや。本が喋るなんてありえないしな。妹を奪われておかしくなったんだ!!」
そう叫びながら目を背けると、魔導書の表紙が爛々と輝き始めた。
「お主、『愚者』のアルカナ因子を持っておるな?」
「ああ、俺は『愚者』のヴァンパイアだよ」
つい反射的に答えてしまい、釣り糸を編み込んだ『愚者』を示すチョーカーに触れる。
にわかには信じがたいが、目の前の魔導書がしゃべっているようだ。
「あ、もしかしてアンタもヴァンパイアか?」
「いかにもそうじゃ!!」
「ワシの名は、シャルハート・ソル。『太陽』のアルカナ因子を持つヴァンパイアロードにして、ヴァンパイアマスターに最も近づいた最強にして伝説の吸血鬼じゃ」
シャルハート。
その名前には聞き覚えがあった。
今から15万年以上も前に名を馳せていた不死の吸血鬼。ここでいう不死というのは、完全なる不死であり、太陽の下であっても傷一つ負わないとも言われている。
「シャルハート……? 本物か!?」
「当たり前じゃ。訳あって、自分自身を封印して魔導書にしておるが、あの伝説の吸血鬼に間違いない」
吸血鬼の寿命は平均して1万年程度。
多くの吸血鬼が退屈に耐えかねて5000年足らずで自殺するため、それを除いた平均が1万年と言われている。けれど、シャルハートはその4倍、4万年以上生きていたと言われている。
その伝説の吸血鬼は、埃と木片にまみれた赤い表紙の魔道書に成り下がっていた。
「ワシは、不死を求めていた。しかし、全てのアルカナ因子を集めても4万年が限界じゃった。そこで、新たな方法を思いつくまで自分を封印していたのじゃが、お前の妹に拾われ、お前の能力を目にした!!」
「俺の能力? ちょっと待て、あれはお前がやったんじゃないのか!?」
グラディウスとの戦いで、吸血鬼に傷をつける炎や、魔道書を奪い取った謎の魔法は、てっきりシャルハートの能力だと思った。だが、冷静に考えてみれば、俺に協力する意味は無く、あの場でシャルハートが能力を使う必要がない。
だとすれば、あの炎や強奪は、俺の能力?
けれど、今まで一度もあんな能力を使った試しはないし、使える魔法も生活魔法が精一杯だ。そもそもすべての吸血鬼が生まれつき使える生活魔法以外は、誰かに教わらなくては使えないはずだ。
「ワシにはわかる。あれは『愚者』の能力じゃ。ヴァンパイアロードが居ないにもかかわらず、ああも高度な魔法を使えた理由までは分からんがな」
「けど、あの時は感情に任せて使っていただけで、魔法の使い方なんてわからないぞ」
「そんな状態で妹を取り戻しに行ったとしても、今度こそ殺されるのがオチじゃろう。ワシが協力してやってもいいぞ?」
「な!? なんの目的があって……?」
伝説の吸血鬼と呼ばれたシャルハートが無条件で俺を助けるなんてありえない。
疑いの視線をシャルハートが封印されている赤い表紙の魔道書に向けると、しわがれた悪魔のような声で告げる。
「ワシのアルカナ因子、『太陽』を一時的に貸してやる。その代わり、妹を取り返した後、貸した『太陽』のアルカナ因子とお前の『愚者』のアルカナ因子をワシに譲渡しろ」
思わずのけぞってしまうような鋭く強い視線が、首元のチョーカーに向けられた。
魔道書であるから、目なんて付いていないはずなのに。
しかしこれは、一方的に見えて、その実とても対等な契約だ。俺はあの感情任せの魔法しか使えないため、シャルハートが『太陽』の力を貸してくれるというのなら、是が非にも飛びつきたい。逆にシャルハートから見れば、完全な不死を達成するためには、『愚者』のアルカナ因子も必要であるし、それを無理やり奪う手立ても無いのだろう。
無理やり奪えるのなら、そうしているはずだしな。
「……妹を取り戻すためなら、アルカナ因子でも何でもくれてやる。そのかわり、心血を注いで協力しろ。お前のせいで失敗するなんてことがあれば、全身全霊を掛けてお前を殺す!!」
「イヒヒッ。愚か者が『太陽』を飲み込めるとでも?」
地面に転がった魔導書から気味の悪い笑みが聞こえた。
『太陽』を気取った吸血鬼の、悪魔のような取引。
けれど、奪われたものを取り返すには、仕方がない。
一人ぼっちは、寂しくて、怖いから……。
「俺は、妹を取り戻すためなら、なんだってやってやる」
「ならまずは、お主が『太陽』に適応する必要がある。うっかりで死ぬかもしれんが、せいぜい妹のことでも考えてやり過ごせ」
イヒヒ……と、不気味な笑みを鳴らす。
シャルハートは魔導書に触れるように言うと、ひとりでにページが
「この魔導書に細工を施した。開けば『太陽』の魔法が使えるぞ」
「ちょっと待ってくれ。アルカナ因子の適応ってのは、そんなすぐに済むものなのか!?」
今、一瞬文字を読んだだけだ。
まさか、それだけで『太陽』のアルカナ因子を借りている状態になったというのか?
しかしそんな感覚は全くない。先ほどまでと何ら変わっていないのだ。
「ワシも驚いている。他のアルカナ因子を手に入れた時は、ワシでさえ卒倒するほどの感覚に襲われたというのに……。なぜ平然としていられる?」
「失敗したんじゃないか?」
「いや、それはない。ワシの持つ力の一部が、お主に流れていく感覚を感じた。試しに、このぼろ小屋から出て日に焼かれてみろ」
人の家をぼろ小屋呼ばわりしたことに付いては、あとで咎めるとして……。
恐る恐る崩れた瓦礫で影になっていたところから出てみる。
日の光の温かさとまぶしさに、奇妙な感覚に陥っていると、いつも味わっている形容できない苦痛が訪れないことに気づいた。
「『太陽』のアルカナ因子を完全に掌握すると、日差しによる弱体化を受けなくなる。言った通り、『太陽』のアルカナ因子は受け継がれているであろう?」
「ああ、驚きだ。太陽って、暖かいんだな」
「さて、愚か者。本題はここから。魔導書が無ければ『太陽』の力も失われることを
「ああ、分かった。あくまで、借りているだけ、だもんな」
「その通り、あとは歩きながら力の使い方を教えてやる。そのためには人の血が必要なのだが、残っていないか?」
「確か冷蔵室に少しだけ残っているはずだ。といっても、大した量は無いんだが……」
瓦礫を避けて地下の冷蔵室に向かう。
崩れた柱には、ナイフで削った後と、拙い文字で数字が書かれていた。
「……これ、ブランの身長を計ったやつか」
崩されていて歪んでいるし、森を燃やした時に煤が付いたようだ。それがなくても柱の中は腐っているので、少し力を込めたら呆気なく割れてしまった。
また別なところには、ブランが使っていた食器や、お気に入りのバスタオル。
「絵本!! ハハハ、無事に残ってる……」
辛うじて輪郭だけがわかる階段の下には、何度も開いた形跡のある絵本が残されていた。
ブランが何度も読み聞かせを願った、おとぎ話。
それを胸に抱いて、冷蔵室へと急ぐ。
残されている瓶にはすべてに俺の名前が刻まれている。
(懐かしいな、ブランがここで走り回って、瓶を割ったことがあった)
あの時はさすがに本気で叱った覚えがある。
いくら下等生物である人間の血とはいえ、食べ物を無駄にしたことに変わりはない。吸血鬼にとって至高のごちそうであり、生命線である血を無駄にすることは許されないのだ。
「……愚者の吸血鬼。感傷に浸るのは別な機会にした方が良い」
「ああ、分かっている。3本しか残っていなかったが、どうやって血を飲むつもりだ?」
吸血鬼が封印されているとはいえ、魔導書はただの本だ。
どうやって血を飲むというのだろうか?
「適当なページを開いて、血を垂らせばいい。一時的に分身体を作り出すだけだから、出発の準備が出来てからでいいぞ」
「わかった。といっても、これと言って準備する物は無いな」
特別な武器を持っているわけでもなければ、引きこもってばかりで旅に出たことなんてない俺には、整えるべき身支度が無い。さすがに、『太陽』のアルカナ因子があるとはいえ、ずっと日に照らされいるわけにもいかないから、日傘を持ち歩く程度だろうか。
「なら早く出発しよう。イヒヒ、生まれよ分身体!!」
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