奪われた妹

 その瞬間に、家が吹き飛んだ。


 まるで夢でも見ているかのような光景。けれど、痛々しいほどまでに現実の光景だった。上空にたたずむ細身の老人が、俺たちが住んでいた家を吹き飛ばしたのだ。


 辛うじて俺が立っていた玄関は無事だ。けれど、すぐ背後にあったリビングには、2階に置いていた荷物や歪んだ木枠、割れた窓の破片が散乱しているばかり。


 衝撃に耐えかね柱が崩れ落ちる。


 ――2階にはブランが居たはずだ!!


「ブラン!! どこだ……!?」


 あの瓦礫に下敷きになっているのか?

 ブランは小柄だから、隙間に挟まっていて無事かもしれない。

 今日、血を飲んだばかりのブランは、頭を吹き飛ばされても再生できる。


「そうだ、無事に決まってる……」


 混乱と驚愕に頭を支配されながら、そこらに転がっているブランの洋服から目を逸らす。きょろきょろと瓦礫の隙間を探し回っていると、自分が何を探しているの分からなくなってきた。それほどまでに混乱しているのだ。


「ステッキ、ターゲットごと吹っ飛ばしたのか?」


「まさか、そんなわけがあるまい。きちんと確保済みだ。証拠隠滅のために吹き飛ばしただけだ」


 月夜に浮かぶ長身の老人は、気を失っているブランを抱えていた。思わず安堵したが、すぐに動揺が沸き上がって、拳を握り固める。

 ブランを抱いている老人を注意深く観察する。輪郭を掴ませないローブを羽織っており、その眼差しは鋭く、腰には短い杖を納めている。なにより、怪しい紫色の龍が自分の尾を噛んでいるかのような首輪を着けていた。


「……『魔術師』のアルカナ因子!?」


 見覚えのある首輪と意味深な目配せをする2人組の吸血鬼に対し、どうしようもない不信感と情けないまでの恐怖。そして、最悪の想定をしたくないという現実逃避だけを考えていた。


 あの首輪はいつも配給に来てくれる『魔術師』の吸血鬼たちが着けていた物と同じだ。けれど、今まで絶対的な不干渉を貫いてきた彼らがいきなり俺たちを襲う理由がわからない。


「下手に追いかけられても面倒だ。ここで死ね」


 背後から鋭い痛み。

 ふと下を見れば、胸元から剣が生えている。


 刺された?

 背後に立つ赤髪の男に?

 なぜ妹を奪う?

 なぜ俺を殺す?


 尽きない疑問に思考を埋め尽くされていると、ふと、赤髪の青年の首にも同じものが着けられているのが見えた。


「どう……して……」


 心臓を貫かれたことによる重い一撃。

 さすがに吸血鬼といえども、血を飲んだばかりでもなければ即時再生なんてありえない。


 熱い。痛い。苦しい。


 胸元からこぼれる液体が、どうも気持ち悪い。

 見慣れたはずの赤い液体が、こうも気味が悪い。


 どうして、いつも理不尽に奪われる。

 やっと、1500年以上の孤独から解放されたというのに。

 どうしてたった300年で奪われる? また、あのどうしようもない時間に引き戻されるのか。あの娘が居ない寂しくて無意味な生活に逆戻りなのか?


「おい、これ魔導書ってやつじゃないのか?」


「そのようだな。この子が持っていた」


「ガキが魔導書なんて、扱えるかよ。あとで俺が読んでもいいか!?」


 ……ダメだ。瞼が重い。

 俺を置いて背の高い老人と赤い髪の男はどこかへ立ち去ろうとする。


 傷が痛い。

 ドクドクと血があふれて、胸が苦しい。

 痛くて辛くて、どうにもできない。


『お兄ちゃん、助けて……』


 ローブを羽織った男に背負われている少女ブランが、涙をこぼす。

 切りそろえていたショートヘアは乱れており、擦り傷と砂埃で汚れた小さな手を俺に向けた。涙ながらに差し出した手は、ひどく汚れていたが、きっと、世界で最も美しい。


「ステッキ、このガキ起きてやがるぞ!!」


「案ずるな……。もう一度ワシの催眠魔法で」


 ふざけるな。

 理不尽も不条理も許さない。

 何の罪も犯していない俺たちが、どうしてお前たちに奪われなくてはならない。何も与えられることのない現状に堪え続けてきた俺が、ほんの300年ばかりの幸福で、これだけの罰を背負う理由がどこにある。お前たちは、俺に罪を押し付けるだけの理由があるというのか。


「妹を返せ!!」


「グラディウス、ちゃんと始末しろと言ったろ!!」


「心臓に剣を刺してるんだぞ。いくら吸血鬼だって、そう簡単に起き上がれないと思うのが普通だろ!!」


 妹を抱えるローブの老人めがけて拳を振るう。

 しかし、皺だらけの顔を殴り飛ばすには届かず、赤髪の男の剣に阻まれた。


「お前、心臓を刺されて立ち上がるなんて面白いな? 名前は何だ」


「残念だが、お前たちみたいなクソ野郎に教える名前は持ち合わせてないんでね」


「ハハハ!! そうか、俺はグラディウス・ストレガ。輪廻の輪に戻ったら、お前を殺した男として、ぜひ広めてくれよ」


 無造作に逆立てられた自分の赤髪を撫でて、グラディウスは笑った。


 いつの間にか心臓に突き立てられた剣もなくなっている。

 これなら、まともに動き回れそうだ!!


 ボロボロに崩れた家の柱をへし折って、即席の武器を作る。向き合った男の構えにスキは無い。へらへらと笑っているが、その切っ先はブレることなく俺を狙っている。

 反射して写る俺の顔は、血でぬれており、ひどく無様で、情けない顔をしていた。


「ほら、来ないのか? そんな棒切れで俺を殺せるのか~?」


 剣を傾けて誘っている。

 妹だけ奪うことも考えたが、わざと崩したタキシードを着ている赤い髪の男よりも、暗い色のローブを着た老人の方がずっと強そうだ。


「そんな無粋なもので、距離を取るなんて悲しいなぁ? 邪魔だから手放しておけよ!!」


 片足を軸に鋭い蹴り。

 中が腐っていた柱は、一発で砕け散ってしまう。


 赤い髪の男は興覚めた表情を浮かべる。


 ――ダメだ。ここで行かせたら、妹を奪われる。


 もう、孤独に戻るのは嫌だ!!


「【グラディウス・ストレガ】お前の理不尽を許さない」


 頭が燃えるように熱い。

 ムカつく。苛つく。腹が立つ。


 心の奥底が煮えたぎるように。


 吐き出しきれないが胸元の傷からあふれ出してくる。


「なんだ!? 体が火に包まれてる? 何かの魔法か……?」


 剣で刺された穴から炎が吹き出し、体にまとわりつく。

 不思議と熱さは感じないが、途端に空虚な感覚が全身を支配した。


「グラディウス。何かマズイぞ」


「わかってる!!」


 抑えきれない感情がどんどん溢れ出していき、崩壊した家を燃やし尽くす。だんだんと火の手は森を囲み、2人の逃げ場を塞いだ。自分でも何が起こっているのか分からない。けれど、俺から噴き出した赤黒い炎ならば、自分で操れると直感で分かったのだ。


「行かせねぇよ!!」


「馬鹿が。吸血鬼は多少の火傷ぐらいすぐに再生できる」


 グラディウスと呼ばれていた赤髪の男が炎に手を近づけた。

 轟々と燃え盛る熱が、彼の皮膚を焼くが、グラディウスの言う『傷の再生』は始まらない。

 その様子に妹を抱えているローブの男も不思議そうに首をかしげる。


「グラディウス、この炎はただの魔法じゃない。傷が再生しないぞ」


「そんなことわかってる!! 問題はヴァンパイアロードが居ない愚か者の分際で、吸血鬼を殺せるような力を持っていることだ!!」


 ……この炎、思ったより自在に操れるようだ。


 腕に炎を纏って、グラディウスへと突進する。咄嗟に剣でガードしたが、拳から噴き出した炎が赤髪の男に伝播する。そのまま、俺から噴き出した怒りの感情をぶつけるように、炎を押し付けて男の体を焼き払う。


 視界の端で、ローブの男がブランから奪った赤い表紙の魔導書が光ったような気がした。


 ……いや、そこら中が炎にまみれてるから見間違えたのか。

 それに、そんなことを考えている場合ではない。


「どうした!? 炎が弱まってるぞ!! 持続性はないみたいだなぁ!!」


 グラディウスの指摘通り、だんだんの火の勢いが弱まっていく。それはまるで、炎の代償に誰かが俺の怒りを吸い取ったかのように。感情の起伏が落ち着きを取り戻すと同時に、周囲の木々を燃やした炎が、水でも掛けられたかのようにしぼんでいった。かろうじて、腕に纏った炎はまだ残っているが、グラディウスにダメージを与えられるほどではない。


「燃えない……。なんで!! ぐっっ……!!」


「なんだよ。手品はおしまいか? だったら、俺の魔法を……」


「そこまでにしておけ。もうすぐ日が昇る」


 炎のせいで分からなかったがいつの間にかそれだけの時間が経っていたようだ。


 グラディウスにあっさりと弾き飛ばされると、家だった瓦礫の山に沈む。


「返せよ……。俺の妹……!! 魔導書も、全部。全部返せよ!!」


 必死に手を伸ばすが届かない。


「グラディウス、あまりに哀れだから魔導書ぐらいは返してやれ」


「ダメだ……。両方返せ……。ブランも、ブランが持ってきた魔導書も、両方だ!!」


 理不尽に奪われるなんて、誰が認められるものだろうか。

 あの2人は、すでに俺たちの家を奪っている。


 だからこそ、これ以上奪われることは許してはならないのだ。


 これ以上の不条理を認めてはならないのだ。


「【ブラン・ナール】も【魔導書】も、両方返せ!!」


 歪むほどに強く、家の瓦礫の木片を握り締める。


 ミシミシと木が割れる音が響きながら、ローブの男と剣を腰に差した男を睨みつけた。

 催眠魔法でスヤスヤと寝息を立てるブランへ手を伸ばす。奪われたものを取り戻そうと必死に手を伸ばした。己の強欲を押し付けるように、手に持った木くずが歪み、徐々に存在が消えていく。


「届かねぇ……!!」


 朦朧とする意識の中、赤い髪の男が何かを騒ぎたてるのが最後の記憶だった……。




「おい、魔導書が消えたぞ!! ただの木片ゴミに変わりやがった!!」


 直前まで持っていた魔導書が一瞬にして消えうせ、代わりに強く握られて歪んだ芯の腐っている木の柱へと成り代わっていたのだ。


「これも『愚者』の魔法か? ヴァンパイアロードを持たずに、誰があんな魔法を教えたんだ?」


「取り戻しに行こうぜ」


「ダメだ。夜が終わる。ワシはともかく、お前がこれ以上焼かれたら死ぬぞ」


「ああ、クソッ!!」


 名残惜しそうに振り返って、その場をあとにする。


 気を失ったクーリアと、淡い輝きを見せる魔導書を置いて、グラディウス達は王の下へと帰るのだった。

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