愚か者の世界転覆計画~大罪を背負った吸血鬼は奪われた妹を取り戻すために旅に出る~

平光翠

第1章 神に挑みし魔術師編

プロローグ

 潮風の気持ちいい森の中。


 木々の隙間を縫うように一軒の家が建てられていた。


 着色のされていない木組みの家で、海の近くであるためか柱の一部が腐っている。手入れが行き届いておらず、カビが生えていたり苔むしていたり蔓がはっていたりと荒れ放題の家だ。


 しかし、そんな奇特な家でも、汚く歪んだ窓ガラスは補強されている。最低限の隙間風を防ぐようにと葉っぱが掛けられていた。


「柱も腐ってきやがった。つい150年前に変えたばっかりだろ……」


 こんな汚いボロ小屋に住んでいる俺の名は、クーリア・ナール。

 約1800年ほど生きている吸血鬼だ。


 海風にさらされて脆くなった家の柱に手を掛ける。取り換えることを考えていると、森の中を走り抜ける音が聞こえた。


「お兄ちゃん、変なの拾った~!!」


 そう言って、赤い装丁の本を差し出してくるのは、俺の最愛の妹、ブラン・ナール。

 ぱっちりとした目元に、天使を思わせる真っ白な髪。裾の広い花柄の緩い服に、ふんわりとしたスカートを翻し、首元には何本もの釣り糸を編み込んだような首飾りを着けている。


 見た目だけで言えば、5歳程度の少女だが、すでに300年は生きた吸血鬼だ。


 最愛の妹と言っても吸血鬼に家族という概念はない。

 どこでどうやって生まれたかは定かではないが、俺たち2人はこの森の中で生まれた。


 ならばどうして彼女を妹と呼ぶのかと言えば、両方の首に着けられた編み込み釣り糸の首輪が、俺たちの絆を示している。


 この首輪は『アルカナ因子』と呼ぶ。


 アルカナ因子を持った吸血鬼は、普通の吸血鬼よりも存在が色濃く、高い魔力と比べ物にならない再生能力を有するのだ。


 本来ならば、アルカナ因子が首輪として現れた吸血鬼は、より上位のアルカナ因子を持っている吸血鬼(通称、ヴァンパイアロード)の下で過ごすことが多い。


 だが、俺たちが持っているアルカナ因子は『愚者』のアルカナ因子と呼ばれており、この時代に『愚者』のヴァンパイアロードは居ないのだ。

 今俺たちが住んでいる家も、『魔術師』のヴァンパイアロードが治めている国の一角を間借りしているだけに過ぎない。


 人の血を吸うことで強くなる吸血鬼は、魔法の力によって人間に豊かな生活を保障する代わりに、安全な方法で血を抜き取って餌としている。

 俺達は、週に一度、そのおこぼれを貰っているのだ。


 もちろん、人間のような食事からでも最低限の栄養補給は可能であるため、毎日のように血を飲んでいるわけではない。


 森を駆け抜けてきた彼女は、ほのかに汗をかいている。

 少し日に焼かれたせいか、魔力も失っているようだ。陽の光を浴びても死ぬことはないが、肌を焼かれるような感覚を味わい続けることになる。何度言ってもブランは外に遊びに行くことを辞めないが、彼女はまだ子供であり、遊びたい盛りなのだろう。

 たとえるなら、どれだけ寒くても雪遊びを辞めない子供と変わらない。


「ブラン、今日はどこに行ってきたんだ?」


 興味半分、心配半分で、ブランに尋ねる。森の中や海の方で遊ぶのは心配ないが、森から抜けると小さい人里があったはずだ。取って食われるとは思ってないが、信用しがたい下等な人間共と接触させるには不安がある。


「今日はね、川を下って海まで行って来たの!! 帰りに畑の様子を見に行ったら、これが落ちてたんだよ!!」


 俺を見上げて無邪気な笑みを浮かべるブランは、奇妙な赤い本を差し出してきた。

 奇妙というのも畑に落ちていたというわりには、土で汚れた様子はないし、誰かが忘れたと思えるほど読み込まれた様子もない。

 なにより、全てのページが汚れひとつない白紙であった。


「なんだコレ。ゴミか……?」


 著者名も出版国も書かれていない。どうしてうちの畑にそんなものが捨ててあったのかは気になるが、どうせ調べたところでろくなことにはならないだろう。


「それより、お前、また傘もマントも着ずに外に出てたな? こんなに日焼けして……!!」


「だって、暑くなって邪魔なんだもん!!」


「あのな、アルカナ因子を持った吸血鬼には流水も十字架もニンニクも聖水も効かない。けど、太陽によって身を焼かれるのは変わらないんだぞ。だから……」


「だから必ず、マントを羽織ってフードを被って傘をさして歩け。でしょ? いい加減聞き飽きた~」


 何度口を酸っぱくして言っても、ブランは軽装のまま外に出て行ってしまう。


 吸血鬼唯一の弱点であり、何十万年という歴史を刻んできても未だに克服の兆しが見えないのが、太陽である。

 アルカナ因子を持たない野良の吸血鬼であれば、日に触れた時点で体が灰になる。すぐに日陰に戻れば再生できるが、痛みがない訳ではないし回復するのにも大量の時間とエネルギーを消費するので、野良の吸血鬼が陽のあるうちに外出することはめったにないらしい。


 『愚者』のアルカナ因子を持っている俺たちだって、日差しの下では、下等な人間に殺されるぐらいまで弱体化する。傷の治りも遅くなるし、魔法の精度も欠ける。体が灰になるとまでは行かないが、常に身を焼かれる激痛と内側からナイフで刺されるような奇妙な感覚に苛まれることになるだろう。せめて、陽にさらさないように着込んでほしいが、ブランはあまり言うことを聞いてくれない。


 たぶん、俺が彼女に甘いことが原因だろう。自分で気を付けようとは思っているのだが、ブランの無邪気な笑顔を見てしまうと、全てどうでもいいと許してしまうのだ。


「とりあえず、家に入れ。血を飲んで回復させておくんだぞ?」


「わかった!!」


 毛先が内側に丸まっている白髪を撫でながら、血を保存している冷蔵室へと向かう。


 この冷蔵室は魔法によって超低温を作り出しており、血の鮮度が保たれているのだ。俺たち『愚者』は仕えるべきヴァンパイアロードが居ない。つまりは、生まれつき使える生活魔法を除いて他の魔法は使えない。誰と競うわけでもないので、不便さを感じたことはないが。


 冷蔵室を開けてみても、クーリアと書かれたガラス瓶はあれど、ブランの名前が書かれた瓶が無い。そういえば昨日、川魚を取りに行ったブランが、帰ってきてから血を飲んでいたような気がする。あまり飲みすぎるなよと忠告したのだが、やはり甘かったらしい。


「あ、昨日飲んだ血が最後だった……」


 今や、吸血鬼と人間は共存する時代。

 お互いの利のために、吸血鬼は魔力を、人間は血液を、交換条件のように提供し合っているのが一般的だ。それらを管理するのがヴァンパイアロードの仕事であるのだが、『愚者』には支配者たり得るヴァンパイアロードが居ない。


 そのため、俺たちの分の血は、週に一度、『魔術師』のヴァンパイアロードの使いから配給という形で届けられる。けれど、ブランは自分の肌が焼かれるのも構わずに外に出て遊んでいるため、血の消費量が多いのだ。


「はぁ。しょうがないな。俺の分の血を飲むといい。これからは気を付けるんだぞ?」


「お兄ちゃん、先週も同じこと言ってたよ?」


「……分かってるなら、気を付けなさい!!」


「きゃあーっ!!」


 俺がわざとらしく怒ったような顔を浮かべると、彼女は可愛らしい悲鳴を上げて、家の中を逃げまわる。

 人間の血をコクコクと喉を鳴らしながら飲む妹の姿を見て、思わずため息をついた。


 ……こうやって妹を甘やかすのが良くないんだろうな。


 瓶の中の液体を飲み干し、赤く綺麗な唇を震わせながらニコリと微笑む。あまりに純真無垢な姿は、まるで天使と見間違うようだった。

 口の端に着いた血を拭ってやると、真っ黒の双眸を細めて俺を見つめた。


「お兄ちゃん、大好き!!」


「ああ、俺もブランが大好きだよ」


 微笑んだ口元から、まだ完全に成長しきっていない牙を覗かせる。

 ふと何かを思い出したかのように、パタパタと階段を駆け上って2階の自室へと向かうと、絵本を持って戻ってきた。


 20年か30年前の配給でもらった絵本だ。


「お兄ちゃん、もうお外出ないから、これ読んで!!」


「またか? そろそろ新しいの欲しいだろ。明日頼むか?」


「ううん、これでいいの。お兄ちゃんに読んでもらえるなら、これでいい!!」


 妹のかわいいおねだりを受けて絵本を開く。

 読み終わるたびに、もう一度とねだるものだから、結局、夕食時まで何度も絵本を読む羽目になった。




「……こうして、悪い魔術師に連れ去られたお姫様は、勇者様に救われたのでした。おしまい」


「ええー。もう一回!!」


「とりあえず、ご飯を食べてからな。寝る前にもう一回読んでやるから」


 切りそろえた毛先を指で弄びながら不満を訴える彼女を差し置いてキッチンに向かう。

 これ以上は言っても無駄だと思ったのか、大人しく絵本をしまうため2階に行ったようだ。


 さてと、今日の夕食は何にしようか……。


 チリーン


「……チャイム? 配給は明日のはずじゃ」


 吸血鬼にとって、夜中の来客は珍しくない。

 週に一度の配給だって、たいていは真夜中にくるのだ。


「あ、もしかして、俺が日付を勘違いしたか、何か理由があって配給日がズレたんだな」


 そんな風に自分を納得させながら、玄関の扉を開ける。


 目の前に立っていたのは、俺と同じほどの背丈の男。

 夜闇の中で派手な赤髪が目立っており、腰には長剣を携えている。


 普段配給に来てくれる吸血鬼とは様相が違うようだ。


「お前が、『愚者』の吸血鬼か? 長身に金の×印が描かれた服を着た男。こっちはハズレか」


「え……?」


 真っ赤な髪の男が言う意味が理解できずに、間の抜けた声を出す。


 その瞬間に、家が吹き飛んだ。

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