コーウィン村

「なら早く出発しよう。イヒヒ、生まれよ分身体!!」


 シャルハートが叫ぶと、魔導書が輝き始めた。天から降り注ぐ光よりも眩しく輝いており、思わず目を細めると、そこには、引き締まった体をした老人が経っていた。


 絡まったような縮れた赤毛は太陽の光を受けて輝き、その怪しく生気のない目つきは淀んだ血が爛々と輝く緋色をしている。

 全体的に華奢で線が細く、枯れ木のような様相だ。

 だが、その佇まいや鋭い視線は武人を思わせる。


「コイツは在りし日のワシ。全盛期のシャルハート・ソルの分身じゃ」


「……お前、案外イケメンだったんだな」


 仰々しい口調と、歳を食ったような渋い声からは想像もつかないほどに顔立ちは整っている。『太陽』を名乗っておきながら、鋭く研いだ氷のような目元や、全身から自信が伝わる筋肉美、4万年も生きた老獪ろうかいの吸血鬼とは思えないほどだ。


「パワーや魔力は足元にも及ばないが、修行には十分使える程度じゃ」


「修行って、早く『魔術師』の国に行かなきゃいけないのに、そんな悠長なことをしてる場合か?」


 妹を連れ去った『魔術師』の吸血鬼共の企みだって分からない現状で、万が一、間に合わないなんてことがあったら、どんな手を使ってでもシャルハートを殺すつもりだ。

 今まで、戦うことは愚か、生活魔法を除いてまともな魔法の使い方すら知らない俺の弱さは自覚しているが、最低限、妹の無事と猶予を確認してからの方が良い。


「なぁに、言わずともわかっておる。分身に先に走らせるから、その後ろをついて行くだけでよい」


 無言の分身体が、ストレッチすらせずに森の中を駆けだした。思わず呆気にとられたが、魔導書の中のシャルハートの言う通りに、分身の後ろを着いて行く。


 なんの意味があるのかと首を傾げたところで、目の前が爆発した。


 ただの爆発ではない。まるで、木の幹が火を噴いたかのような強烈な爆発。

 おもわず、『魔術師』の配下が俺を完全に殺すために刺客を送ってきたのかと警戒したが、森の中に人影はない。居るのは目の前を走っていたシャルハートの分身だけ。


 キツイ目つきでこちらを睨んでいる。その視線の意図を掴めずにいると、フワフワと浮かぶ赤い光が危機感を抱いていない愚かな俺に発破をかけた。


「さてはて、命のやり取りで、そんな止まっていていいのかのぅ?」

「え!?」


 目の前の分身体から、灼熱の魔法が放たれる。

 爆炎が俺を通り過ぎて、俺の真っ白な髪に煤が付いた。


「ほら、速く走らんと妹を救えんぞ?」

「ちょ、ちょっと待ってくれ!! 速く走れって言ったって、目の前から爆撃されてるんだぞ!?」


 手に持った魔導書に文句を言って、はたと気づく。シャルハートが言う修行というのはそういうことだったのだ。

 すでに、木々に囲まれたこの森は、修行場所の一環として利用されている。 『魔術師』の国までの道のりが、俺にとっての試練なのだ。吸血鬼らしい合理性と、もっともな効率。たった一瞬で、『魔術師』の国までのルートを構築し、幾重にも魔法を紡ぎだす。


「ほらほら、敵は手を止めてくれんぞ? それに、準備でも遅れている!!」


 分身が前を走っているのは、道案内なんて言う優しい理由じゃない。


 ――俺よりも先に森の中を走って、トラップを仕掛けておくためか!!


 青い腰布に赤いマントだけを羽織った変態みたいな恰好のシャルハートの背中を必死に追いかける。ヒラヒラと揺らめく赤い布切れのせいで距離が掴めない。

 大きめにデザインされており、魔法を発動する手元が見えなかった。


(この大木!! 怪し……)


 直感が危険を告げて、意味深に真横を通り抜けた大木から外れる。躱した瞬間にすぐ後ろで爆発音が鳴り響いた。予想通りトラップが仕掛けられていたらしい。


「よっしゃ!!」

「愚か者。二重三重の仕掛けを見破れ!!」


 一瞬気を取られた瞬間に目の前には火が迫っていた。




「はぁはぁ……。マジで、死ぬ……」


 息を切らせて、池のほとりに座り込む。近くに村があることをシャルハートが確認しており、深い森の中でも太陽の位置がわかるほどに登ってきたため、一時休憩を挟んでいるのだ。


 すでに分身体は力を失って消えており、今まで仕掛けてきたトラップの類も効果を失っている。


 綺麗な池の水に口をつけると、妹と同じ白髪が水を反射して輝いていた。ブランの天使のような笑顔を思い出して、唇を噛む。


 ……こんな所で弱音を吐いている場合じゃない。


 先を急ごうと立ち上がると、対岸に甲冑を着込んだ男たちが見える。彼らも休憩中なのだろうか、ダラダラと地面に寝そべっており退屈そうだ。


「こんなところでも人間が居るんだな。いや、知ってはいたんだが、思ったより近い」

「村があると分かったのなら、最大限、利用させてもらおうかのぅ。久々に血が吸える!!」


 長らく封印されていて、人間の血を飲んでいないであろうシャルハートが嬉々として呟く。先ほど、配給された分の残りをくれてやったが、あんな微々たる量では足りないようだ。たしかに、魔法を連発したうえで森の中を走り回ったと考えると、あれだけの血では足りないか。けれども、燃費の良さと、人間を餌としてしか見ていない冷酷さは、伝説の吸血鬼と言われて素直に頷ける。


 いくら『太陽』のアルカナ因子を持った吸血鬼とはいえ、『愚者』の俺はあくまで借りているだけの立場。日差しが一番強くなる正午に出歩けば、多少は弱体化の影響を受ける。

 ここで休息を取った方が、後々のためになるとシャルハートは言う。


 俺自身、村で血を分けてもらうというのは賛成だ。


 池から離れて近くの集落にむかう。

 俺がもともと住んでいた家よりも少しばかり綺麗な家が20軒以上も立ち並んでいた。一部はレンガ造りになっており、立派な煙突まで付いている。


 妹を取り戻して、家を建て直すことになったら、腐りやすい木材で作るのはやめよう……。あの娘が元気に階段を上り下りするたびに床が軋む音でヒヤヒヤするのは御免だ。いや、自分の手で修理するなり、魔法で補強するなり、そもそもブランが家の中で走らないように注意するなり、手段はいくらでもあったが……。


(平穏は永遠だと思い込んでたがゆえの怠惰か……)


 それなりに家は立派だが人は少ないようで、少年が数人走り抜けていったかと思うと、手にしわの目立つ老齢の男が追いかけて行く。

 妊婦が腹を撫でながら、老婆と雑談をしていたり、昼時だというのに活気が無い。


 いや、全くない訳ではないのだが……


「そこの人間、俺は吸血鬼のクーリア・ナールというものだが、この村の代表は居るか?」


 杖をついて歩く腰の曲がった女性に声を掛ける。俺が吸血鬼と名乗ったことで、驚いた顔をしたが、すぐに村長の家まで案内してくれた。下等な人間と会話をするのは何年ぶりだろうか。思い出したくもないことを思い出しながら、老婆の後をついて行く。血を吸おうと言い出したシャルハートは、その過程に露ほどの興味もないのか、はたまたつかれているのか、魔導書に引きこもったままだった。自分勝手な性分も、吸血鬼の華と言われれば、それまでである。


 家を訪ねると、凛とした顔つきの老人が書類を片手に唸っていた。

 この男が村長なのだろう。人の顔を見るなり驚いたような顔を浮かべるが、首のチョーカーを見てすぐに取り繕ったような笑顔を見せる。何のアルカナ因子を持った吸血鬼なのか判別は出来ていないようだが、すくなくとも一瞬抱いた恐怖は霧散したらしい。


 ……吸血鬼俺たちを怖がるのは珍しくないが、落差が気になるな。


「俺は吸血鬼のクーリア・ナール。昼が過ぎるまで休ませてほしい。あとできれば、血を分けてもらえるとありがたい。謝礼というわけじゃないが、吸血鬼として出来る限りのことはしてやるつもりだ」


 矢継ぎ早に告げると、老人は神妙な面持ちで視線を落とす。大きな国になると、国に住む人間全員から年齢性別に合せて平等に血を吸う代わりに、魔法の源である魔力を与えたり、その力によって様々な魔導具を動かすのに手を貸したりしているらしい。それらの管理役も務めているのがヴァンパイアロードである。


「私は村長をやっております、ツーカと申します。お休みになるのは我が家でよければ、いくらでも構いませんが……」

「血を分けるのは難しいか? 選り好みはしないぞ?」


 ツーカは髪の毛の無い頭を掻きながら困ったような笑みを零す。


「うちの村には子供と妊婦、老人しかおりません。若い者は皆出払ってまして……」


 たしかに、先ほどから似通った者ばかりが村を歩いており、若い男などは見かけない。子供から血を吸うのは気が引けるし、妊婦からの吸血は危険すぎる。


 必然的に老人たちからもらうことになるのだが……。


(人間は弱いからなぁ。調整ミスって殺すのは気分が悪いし……)


 ブランと暮らす前だったら考えることもなかっただろう。畑を荒らす害獣、害虫にすら情けをかける心優しい妹を思い出すと、軽々しく人間を殺すことを視野に入れるのは出来なかった。勿論、優先すべきはブランであることに変わりはないし、決してやさしさなどではない。


「あ、どのくらいの血が必要なのかは分かりませんが、複数人から少しずつ吸血するのはどうでしょうか。それなら、老体でもある程度は耐えられるはずです」


「……俺は構わないが、そっちは大丈夫なのか?」


「いえ、代わりと言っては何ですが、少し厄介ごとがありまして……」


 目を伏せたまま、ツーカは呟く。


 ……なるほど。本題はそちらか


 手伝いをするといった手前、面倒だからと言って断ることは出来ない。それに、木から落ちたひな鳥を助けたいと泣きわめく妹を思い出すと、ここで投げ出すのはお兄ちゃん失格な気がした。ブランは昔から、困っている人を助けてハッピーエンドになるようなおとぎ話が好きだったしな。


「最近、近くの池の周りで唸り声が聞こえるそうなんです。少し様子を見てきてほしいのですが、お願いできませんかね?」


「池? ああ、兵士たちが居たところか。わかった、少し話を聞いてこよう」


 あの池の辺りは木々が多く、日陰にもなっている。ある程度歩いても十分休めるだろう。それに、兵士たちは『魔術師』の国から派遣された人間だろうし、何か話が聞けるかもしれない。ブランの手掛かりを持っていたりすれば、兵士たちから無理やり血を吸って、『魔術師』の国に強行突破することも考えた。


 頭を下げるツーカを置いて、村長の家を出て行く。

 村の代表だというのに、装飾も何もない家を眺めて、事が済んだらこの村の大工に新居を立ててもらうように頼んでもいいかもしれないと思った。人間のおとぎ話の中に、煙突から入って子供にプレゼントを配る奇人の話がある。ブランがそれにあこがれを抱いていたことを思い出して、新しく作る家には煙突を付けようと考えていたところだ。


 同じようなレンガを木を組み合わせたおしゃれな家が立ち並ぶわりに、村を出歩く人間は浮かない顔をしている。唯一子供だけは何も知らずはしゃいでいるのが救いか。人間は嫌いだが、子供に罪はないし、なにより、ああも楽しそうに走り回っているのを見ると、どうしてもブランと重ねてしまう。


「さてと、池に向かうとするか」

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