第3話 アイデンティティ
翌朝、お世話になったルナさんのお店をあとにした。
ルナさんとお姉さんの住むお部屋にお邪魔し、思い出話やこれからの話を沢山沢山して。朝食を彼女のお店でご馳走になったのだった。
「気をつけてね。」
ルナさんが月を型どったネックレスをくれた。
「月…ルナ…ですね。」
「いつも見守ってるよ。」
「ありがとうございます。」
笑って手を振って別れた。
バスの終点は駅だ。
私は、そこから今度は列車に乗り換える。
山が近付くと少し肌寒くなる。私は鞄から薄手のカーディガンを取り出し羽織り、少し眠った。
今は肌寒くても、あの子の住んでる所は盆地だ。きっとまだまだ暑いんだろうな。
「姉さん!!」
列車を降りて、改札を抜けると、暑さより先に、ミカルは飛んできた。
「もー、でっかい声だなぁ。」
困ったように笑う私に、彼女は遠慮なくハグしてくる。
「ほらほら、他の人に迷惑だから、出よう。」
「姉さん荷物持つよ。あたしの車あっちね。あっ、ここまで乗ってこようか?姉さん暑いでしょ?疲れてるし。待ってて。車まわしてくるよ!」
「落ち着けミカル。歩けるよ。」
彼女のテンションの高さに、私は大笑いだ。
私に会うことをそんなに楽しみにしてくれていた、血の繋がらない「妹」の気持ちが嬉しい。
「いやー、ホントに姉さんだー。」
車の中、ミカルはまだ興奮冷めやらぬ様子。
「いつまでいられるの?行きたいとこあれば案内するよ!」
「ありがと。でも、明日には帰らなきゃ。」
「えっ?そうなの?そんなの、どっこも行けないじゃん。」
「そうだねぇ。」
ミカルのふくれっ面を横目に、私は笑う。
「いいんだ。ミカルに会いにきただけだから。」
そう言うと、彼女は少し黙りこんだ。
暫く変な間があって、
「…姉さん?」
彼女が真顔で聞いてくる。
「…死んじゃったりしないよね?」
私は大笑いした。
「あんたじゃあるまいし。」
「そっかぁ。よかったあ!」
ミカルよ、そこ大笑いするところか?彼女の左腕の無数の傷を見ながら思う。
「あたしなんか何回死んだよ?だよねー。」
愉快そうに笑いながら、その傷を見せてくる。
隠すこともなくタンクトップを着る彼女の腕は細いけれど逞しい。
「だけどさ、ほら、見て。」
ミカルの左手の人差し指から手の甲にかけて、翼のタトゥーが入っていた。
「いいでしょ、これ。」
「似合ってる。」
タトゥーの善し悪しは私にはわからない。
でも、それは、彼女にとても似合っていると思った。
「前に進む、勇気と、覚悟ってとこ?」
「姉さんには敵わないねぇ。」
ミカルは大きな声で笑った。
「こんな標でもつけとかないとさ、あたしバカだからすぐ忘れちゃうじゃん?」
「あはは。らしいっちゃ、らしい。」
私も一緒に笑った。
ミカルには独特の世界観があって「普通の人」の考え方がよくわからない、納得できないことが多すぎて、周りに上手く溶け込めないという性質がある。
成長するに従って、周りとぶつかることも増え、家族を困らせた。
自分が周りの人達と異なることを認めながら、自分を否定するわけにもいかず、
悩み苦しんで、何度も何度も死のうとした。
結局、親も家族も何人かいた理解者さえも振り切って、彼女は家を出た。
そのいきさつを私や私の仲間たちは知っていた。
最初に会った時のミカルは、美しく透明感のある少年のようで、瞳は全ての真実を見てやろうといわんばかりに強く鋭く輝いていた。
私たちは、ミカルの世界観がおかしいとか間違ってるとは、全然思わなかった。ただのアイデンティティーだと受け止めていた。今も、勿論。
だから、私たちは、彼女を見守った。
本当にいろんな場所へ流れ、そこでまた傷を負い、腕の傷は増えていった。腕を塞がれると、今度は自分で髪を切った。ハサミでザクザクと、滅茶苦茶に。
「姉さんー、またやっちゃったぁ。」
笑って電話してくるミカルの強がりが、私の心に痛かった。
それでも。それでも、数年前、やっとミカルは居場所を見つけたのだ。本当に理解してくれるパートナーを見つけて、今は平和に暮らしている。
「ついたよー。」
ミカルがアパートの前で車を停める。嘘みたいにのんきな声だ。
彼女がドアをあけると、ダダダダダッと勢いよく音がして、女の子が飛び出してきた。ふわっふわの髪に澄んだ瞳。天使のよう。
「ほら、キララ、姉さんだよ。」
パパと二人、お利口さんにお留守番していたらしい。
「こんにちは、キララ。」
まだ人見知り時期が終わらないキララは、スッとミカルの後ろに隠れてしまった。
気にはなるようで、ちょこっと出した顔が可愛い。
「ミカルがママかぁ。」
感慨深く言う私に、
「なんだよー、」
ふくれっ面をして笑う。
「『山吹色の魚』にも可能性があるのかもな、って思っただけ。」
「何それ?何それ?!ぜんっぜん意味不明!え?え?」
「あはははは。」
私は彼女の反応を楽しみながら、
今夜はミカルとキララと一緒に、いっぱいいっぱい話そうと思った。
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