俺は知っているから

俺は知っているから その1


 夏の暑さが消えて秋の涼しさが漂い始める十月初旬、海原高校の学生たちは、季節とは裏腹に若干刺々しい雰囲気を醸し出していた。中間テストが近づいているためである。


 海原高校は別に名門大学を目指す超進学校というわけではない。しかし卒業生のほとんどが卒業後は大学なり専門学校へ進むことから、世間的には十分進学校という立ち位置にある。したがって、集まって来る学生もほとんどが程度の差はあれど勉強熱心であり、この一年一組教室も例外ではなかった。朝のホームルーム前だというのに、皆熱心に教科書を読んだり問題集を解いたりしている。


「やっぱみんなちゃんと勉強するんだなぁ」


 そんなクラスを見た目も中身も勉強しなさそうな悟が感心したように見る。


「いやいや、お前が一番勉強しなきゃダメだろ」


「……いいか健史、人間、向き不向きってやつがあるよな?」


「まぁ、そうだな」


「つまり、俺には無理ってことなんだわ」


「やかましい」


 悟が健史の両肩を持ちながらまるで世界の真理を突いたかのように真顔で答えるが、当然健史は一蹴する。二人の絡みを秋人がにやにやしながら見ていると、悟が秋人の方へ振り向いた。


「そういや、秋人って学校であんまり勉強している姿見ねーよな。それなのに学年一位をキープしてるなんてすげぇな。いつ勉強してんの?」


「ん? 俺? そうだなぁ、一応家帰って予習復習ぐらいはしてるよ」


「テスト勉強は?」


「テスト前に特別何か、ってことはしないね。普段の勉強で大丈夫」


「ひゅー! さっすが! 俺たちとは次元が違うな!」


「俺も混ぜんな。俺は平均だ」


 悟が健史を無理やり仲間にしようとしてあえなく振られるが、秋人は別なことを思い出していた。


実のところ、秋人は家でも勉強はしない。理由は単純明快で、そもそも高校程度の勉強内容であれば全て頭の中に入っているためである。


 以前全く同じ質問を、秋人が家でも全く勉強せずに翻訳の仕事だけしている姿に疑問を持った雪菜にされた際、正直に「高校レベルなら全部覚えている」と答えたところ、思い切りドン引きされたため発言には気をつけるようにしていた。


 雪菜も全く同じことを思い出していたようで、雪菜の方を見てみると保護者気取りに「それが正解」といった顔をしていた。


「さすが秋人君、その様子なら次の中間テストは余裕なんだね⁉」


 そんな中、突如男三人衆の会話に香澄が割って入って来た。


「う、う~んまぁ、余裕はあるけど……、どうしたの?」


 秋人は警戒するように香澄を見ると、香澄は悪いことを思いついたかのようにニヤッと笑った。


「それなら、勉強会しましょ? 秋人君に勉強教えて欲しいなぁ~」


「おっ、いいね! 俺も部活に集中したいから勉強会で秋人に重要なポイントだけレクチャーしてもらいたいわ!」


「部活に集中したいからって、おいおい。……でもまぁ、俺も教わりたいかな」


 香澄の提案に他の二人が賛同し、勉強会を開くムードが出来上がる。


「俺は別に構わないけど……、場所とメンバーはどうするの?」


 秋人が香澄に聞くと、香澄は何やらスマホを取り出す。


「う~んとね、場所はこの学校の図書館でいいでしょ? 図書館には会話オッケー飲み物持ち込みオッケーのグループ学習用スペースがあるし、予約は私がとっとくよ!」


 確かにこの学校にはそういった学習スペースがあり、しかもグループごとに区切られた部屋がたくさんあることは秋人も知っていた。しかし、実際に使ったことはなかったので予約があるとは知らなかった。


「それでメンツなんだけど、ここにいる人は確定として、後は莉緒と……、そうだ! 雪菜ちゃん! 一緒に行こっ!」


 香澄はまるで今思いついたかのように雪菜の方へ声をかけると、雪菜は「私?」といった風に自分の顔に指さす。香澄は「おいでおいで」とジェスチャーで伝えると、雪菜は左腕を右手で抑えながらゆっくりと秋人たちの方へ近づいてきた。


「雪菜ちゃんも一緒に、良いよね⁉」


 うるうるとした目で香澄が雪菜を見つめると、雪菜はほんの一瞬、秋人の方を見た。しかしすぐに香澄の方に戻ると、少し考えたような顔をした。


「う~ん、まぁ良いけど」


「「え⁉」」


 雪菜の返答に、思わず健史と悟は声が出る。


「……お邪魔かしら」


「いえいえいえいえいえ! 大歓迎です! わたくし日野悟! 大歓迎でございます!」


「そ、そう」


 悟のテンションに雪菜は若干引き気味になる。


「俺も邪魔なんかじゃないしもちろん良いよ。けどほら、あんまり水川さんってこういうのに参加しそうにないからちょっと驚いてしまって。気に障ってしまったならごめん」


「いえ、確かに驚くわよね、気にしてないから大丈夫。せっかく多田さんに誘ってもらったから参加してみようと思って」


 健史は常識人だと分かり、少し安堵したような表情を浮かべていた。一発目に中々パンチの効いた悟から返答が来たせいで困惑していたようだが、今はだいぶ落ち着いている。


 そのまま悟と健史、雪菜で会話が続く。途中、悟が「ご趣味は何でしょうか⁉」と合コンみたいな質問をし、雪菜は真顔で「料理よ」と淡々に返すコントのような事態も発生していたが、思ったより和やかな雰囲気だ。


「ふふふ、秋人君。こんな可愛い可愛い美少女を独り占めしようなんて、この香澄ちゃんが許さないわよ」


 隣から香澄が小声で茶化すように話しかけてくる。


「独り占めだなんて。現に最近は香澄も仲良くしているみたいじゃん?」


「確かに仲良くなったけど、それもきっかけは秋人君なわけで。――それに、私見てましてよ、先ほどのご様子! 男子三人で話をしている時になぁ~に二人で秘密のアイコンタクトしているのかしら。いっやらしい~」


「秘密のアイコンタクトって。別にそんなんじゃないよ」


 香澄がまるで楽しいおもちゃでも見つけたかのように秋人へ絡んでくる。香澄はこと恋愛関連になると、ちょっとうざ絡みをしてくることがある。要するに恋愛脳だ。


「それはそうと、水川さんを誘ってくれてありがとう。こういうイベント、きっと参加したかっただろうし」


 秋人が真面目なトーンで話すと、香澄も先ほどまでの下世話さがなくなった。

「ううん。それは全然。私も雪菜ちゃんと勉強会、したかったから」


 香澄の返答を聞いて秋人も嬉しくなる。雪菜の方を見ると、まだまだ硬いが健史と悟とだいぶ打ち解けてきていた。


 つい最近まで周りと隔絶していた雪菜が自分の友達と仲良くなる光景に、秋人は何とも言えぬ感動を覚えた。


「――なぁ、そこ邪魔なんだけど」


 しかし、そんな感動も後ろから聞こえた声に打ち消されてしまった。振り返るとそこには眼鏡をかけたぼさぼさ頭の少年が立っていた。


「あぁ、ごめん」


 秋人が教室の入口の前に立っていたせいで道をふさいでいた形だったため、急いで避ける。


「……ッチ、学年一位だからって調子乗ってんじゃねぇぞ」


 眼鏡をかけた少年が毒づくと、そそくさと教室の前の方にある自身の席に座った。


「何あれ、感じわるっ」


 香澄が嫌そうに少年を睨む。


「……あぁ、菅原学すがわらまなぶだろ。毎回学年二位の。秋人にいつも勝てないから嫉妬してんだろ」


 健史が呆れたように肩をすくめた。


 秋人も菅原学すがわらまなぶのことは知っていた。菅原という名字も学という名前もさして珍しいものではないが、本人が毎日休み時間もずっと勉強しているのもあって、名は体を表すとはまさにこのことかと印象に残っていた。学問の神様と同じ名字で、更には学ぶという字が入っているなんて、両親はもしかすると教育熱心なのかもしれない。


「いや、でも今のは俺が道をふさいでたのが悪いし、しょうがないよ」


 秋人は苦笑いしながら周りをなだめる。この手の嫉妬なぞ、秋人にとっては慣れっこだった。小さい頃から天才と言われた人生に同学年のやっかみは必ずついて来るものだから。わざわざ何か反応するのも、正直言って面倒という感情の方が先に来ていた。


「なんつーか、ほんと秋人は出来た人だな! 俺だったらムカついて殴っちまいそうだぜ」


 悟が感心したようにウンウンと頷く。


「殴るのは犯罪だからやめときなね~、バスケの大会出れなくなっちゃうよ」


「ンン、それは困るな……。せっかくレギュラーに慣れたのに!」


 すかさず香澄がツッコミを入れて場が少し和む。先ほどまでの刺々しい空気から一変したが、雪菜がまだ少し引っかかるような表情をしていたことを、秋人は見逃さなかった。

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