二人の時間 その8
試合終了のホイッスルが鳴る。結果は僅差ではあるが雪菜たちのチームが勝った。
「やったね雪菜ちゃん! いぇーい!」
ハイタッチを求める香澄。どうすればいいか分からずたじろいでいると、催促してきた。
「ほら! いぇーい!」
「い、いぇーい」
雪菜がハイタッチし返すと、まるで飼い主を見つけた子犬のように香澄は喜んだ。
「やった! 雪菜ちゃんがハイタッチ返してくれた!」
「ちょ、ちょっと」
その勢いのまま雪菜を抱きしめてくる。ものすごい距離の詰め方だが、雪菜は不思議と悪い気はしていなかった。
「雪菜ちゃんいい匂い。やっぱり美少女は良い匂いがする! ――でもあれ、この匂いって」
「今日の授業は終わり! 女子はこっちに集まって!」
そうこうしているうちに体育教師が集合の合図をかけた。授業が終わってしまう。
その後は更衣室への移動中から更衣室で着替え中の時まで、ずっと香澄に話しかけられ続けた。だが雪菜自身、久しぶりに同性の女の子から好感を持って話しかけられたため、悪い気はしなかったし他の人は気づいていなかったが少しテンションが上がっていた。気が付くと更衣室は雪菜と香澄の二人だけになっていた。
「いやぁ、やっぱり話をしてみるものだね! まさか雪菜ちゃんが料理上手だったとは」
「家の手伝い程度よ。自慢できるものではないわ」
「それでもすごいよ! 今度私にも教えて! けん君にお弁当作ってあげたくて」
「えぇ、良いわよ。彼氏思いなのね」
そんな他愛もない話をしつつ更衣室から出る。雪菜にとって、他愛もない話さえ小学生ぶりだった。
「けん君は最高の彼氏だよ! 雪菜ちゃんには彼氏いないの?」
「いないわよ。そんな相手もいないし」
「ふ~んそうなんだ。でも最近秋人君と仲いいよね。てっきり付き合っているのかと思っていた」
「彼とはそんな関係じゃないわ。なんというか、最近同じ趣味でちょっと仲良くなった感じ」
それを聞いた香澄はきょろきょろと周りを見渡して誰もいないことを確認すると、小声で話しかけてきた。
「ねぇ、それならさ、なんで雪菜ちゃんの匂いが秋人君からするの?」
その言葉にドキッとなる。
「今日雪菜ちゃんに抱き着いた時、秋人君と同じ匂いがしたんだけど、たぶんあれって雪菜ちゃんの匂いが秋人君のジャージに付いたってことだと思うの。いつもの秋人君と違う匂いだったし。二人はその、……隠れて付き合っているの?」
「……それは違うわ。実は昨日、雨で制服が濡れちゃって。雨宿りしていたら偶然その場にいた秋月君がジャージとタオルを貸してくれて。借りたジャージの方は洗濯をして返したから、匂いが移ったのはその所為ね」
「そっか、じゃあ本当に付き合っているわけじゃないのね」
「そうよ。……本当に、ただ最近仲良くなっただけ」
とっさに大筋は合っている嘘をついてごまかしたが、まだ心臓がバクバクと動いていた。危なく二人の関係がバレかけるところだった。
だがここで雪菜はふと気づく。
「(あれ? なんだろう、確かに秋月君との関係は知られたくないんだけど……、でも……)」
自分たちの関係性を隠しているのは、お互いに知られたくない家庭の事情があるから。だけど、本当にそれだけなのか。
雪菜の中で違う感情が膨れ上がっていた。
◆◇◆
今日も雪菜がやってくるので秋人は先に家へ帰って待っていた。
雪菜と仲良くなってしばらく経つが、今日の雪菜はいつもとは全く違う行動をしていた。普段秋人が他に人といる時は話しかけてこないのに今日は健史と一緒にいるタイミングで話しかけてきたり、体育の授業終わりにはなぜか香澄と仲良くなっていたり、予想外の出来事に秋人は動揺していた。
自分で入れた紅茶をダイニングテーブルの上で飲みながら、「あの水川さんが……」と感慨に浸る。
するとピンポンとチャイムが鳴った。いつも通りオートロックを解除して雪菜を迎え入れると、うつむいた雪菜が部屋に入ってきた。
「あ、おかえり。待って今ティーカップ片づけるから」
急いでカップをシンクへ入れると水に浸す。洗い物は水に浸けておいた方が洗いやすいと雪菜に言われて以来、なるべくそうするようにしていた。
しかし雪菜はそんな秋人を気にも留めず、後ろから秋人の服の裾をきゅっと弱々しく握った。
「な、なに、どうしたの?」
これまた学校に引き続き予想外の行動に出た雪菜に驚いて振り返ろうとするが、とっさに雪菜が「振り返らないで」と止める。
「……今日ね、香澄さんと仲良くなったの」
「あぁ、体育の時間ね。一緒に話しているの見たよ」
「それでね、私と秋月君が付き合っているのかって聞かれたの。秋月君のジャージから私と同じ匂いがしたからって」
思わず「あぁ」と声が漏れる。そういえば秋人も今日は香澄に匂いで少し感づかれていた。
「香澄は妙に勘が鋭いから。もしかしてバレた?」
「ううん。バレてないよ」
「じゃあなんでそんな落ち込んでいるの?」
実際の様子は振り向くなと言われているので見れないが、声のトーンから雪菜は明らかに落ち込んでいた。しかもいつものように強気の口調ではなく、まるで暗闇におびえる小さな子供のように弱々しい口調だった。
「あのね、私……、秋月君との関係を、他の人に知られたくないの」
秋人は疑問に思って首を傾げる。二人でこうして会っている理由を説明すると、自ずとお互いの家庭事情に触れざるを得なくなる。だからこそ隠してるのだから、知られたくなくて当然だ。
「そりゃ、俺もだよ。家庭事情なんて重い話、他の人には知られたくないよ」
だが、雪菜の想いは秋人とは若干違った。
「そうじゃなくて、なんていうか……。多田さんは良い人なのは分かるのよ、でも……」
雪菜が絞り出すような声で言う。
「こうやって、秋月君と二人で過ごす時間、他の人には介入されたくないなって……」
その瞬間、表に見せないものの秋人は動揺していた。いつもクールで大人びた雪菜がこうして、まるで甘える子猫のようにか細い声で自分の気持ちを述べたことに。
耐えきれなくなり雪菜の方を振り返る。「あっ」と声を出して秋人を見上げる雪菜は、普段の様子からは信じられないほどに不安を隠せない表情をしていた。いつもはどこか眠そうなたれ目が、今この瞬間は縋るように秋人の目をまっすぐと射止めていた。
――その表情に、その瞳に、秋人は思わず言葉が漏れる。
「俺も、水川さんと同じだよ。二人の時間は、他の人に見られたくないな」
何故そんなことを言ってしまったのか、秋人自身も理解が追い付いていなかった。
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