二人の時間 その3

 雪菜が秋人の部屋に来るようになって、しばらく経過した。週三回程度秋人の家に来ては家事をしてもらい、英語を教える。そんなルーティーンが二人の間に形成されていた。


「なんか最近、秋人君の肌つやめっちゃよくなってない?」


 ある日の昼休み、いつものように友人たちと昼食をとっていると香澄が不思議そうに見てきた。


「そうだよね、昼休みもお弁当を持ってくるようになったし、なんか生活に余裕のある感じがする」


「うーん、そうかな? でも確かに最近食生活には気をつけるようになってきたかも」


 香澄に言われてここ数日の出来事を思い出す。彩り豊かな料理が食卓に並ぶようになり、作り置きもしていってくれるため自然と食事には気を遣うようになっていた。おかげで翻訳の方も順調に進んでおり、叔父から「いつもより仕事が早いし翻訳内容も文句なしだよ」と言われるようになった。


「お弁当も持ってくるようになったし、もしかして自分で作っているの?」


「えっ、う、うん。まぁそんなところかな。朝早く起きて下ごしらえとかするのが大変で」


 もちろん真っ赤な嘘だ。お弁当も雪菜が作った夕飯の余りや作り置きを適当に詰め込んでいるだけであり、それすらも「多めに作ってあげるから弁当くらい持って行きなさい」と雪菜に言われてからやるようになっただけである。秋人本人は未だに下ごしらえでどんなことをしなければいけないのかよく分かっていない。


「すごい、料理もできるなんて……。秋人は本当に何でもできるね!」


 尊敬のまなざしで見てくる莉緒に思わず良心が痛む。才能にあふれた秋人は小さい頃から両親や祖父母に完璧を求められ、つねに完璧であるよう振舞う悪い癖がついてしまっている。今回嘘をついてしまったのもそんな悪い癖が出てしまったのだ。


 気まずい思いを抱えながらお弁当を食べ終わると、秋人は学校に持って来ていた紙袋を取り出して中身を確認した。袋の中には英語の本が二冊ほど入っているが、小説やビジネス書の類ではない。イギリスの小学生向けに作られたイラストが多めの本だ。雪菜の英語学習に役立つと思い、数冊ほど幼少期に読んでいたものをクローゼットの中から掘り当てて学校へ持ってきたのだ。


 紙袋を持って席を立つと、雪菜の方へ歩いて行った。


「水川さん、良かったらこれ、使って」


 紙袋からちらっと英語の本を見せて雪菜の前に突き出す。雪菜はまるで外敵を警戒する子猫のように身構えていた。


「……ありがとう」


 恐る恐るといった感じで紙袋を受け取る。


「最近なんで学校で話かてくるの? 通りすがりに挨拶とかしてくるし。私たちの関係、知られる危険性があるでしょ」


 雪菜が周りをキョロキョロと見渡しながら小声で話しかけてくる。放課後に秋人の家で会っていることはお互いの家庭事情が周りの人に知られる危険性があるので隠すべきだという暗黙の了解が二人の間には出来上がっていた。


秋人はイギリスの帰国子女であることや両親が死んでいることは周りに知られたくなかったし、雪菜も父の死について他の人には知られたくなかった。


雪菜が秋人に両親のことを話したのも、あくまでも英語を勉強できない事情を知ってもらう必要があったのと、自分だけ相手の触れられたくない面を知っているのはアンフェアだと感じたからに過ぎない。


しかし最近、そんな危険性があるにも関わらず秋人は学校でも雪菜にあいさつ程度ではあるが話しかけていた。


「知り合いにあったら挨拶するのは基本でしょ」


「それはそうだけど……」


「この程度じゃバレないよ。むしろ仮に二人で会っているのがバレたとしてもこうやって面識を作っておけば「最近仲良くなったんです」って言い訳できるし、本当に隠したいことは隠せる」


 リスクマネジメントの観点から見ると小さな秘密を盾にして大きな秘密を隠すのは理に適っている。しかし秋人の言ったことは建前に過ぎなかった。


「それにさ、俺と学校で話すの、嫌?」


「……嫌とは一言も言ってない」


「だよね」


 不服そうに目をそらす。嫌がっていないのは明白だし、嫌がられないのも分かっていて秋人は尋ねた。


 雪菜は当初考えていたような孤独を愛するタイプや男嫌いではない。むしろ人とどう接すればいいか分からなくて困っているタイプなのだろうと秋人はこの数週間で判断した。


前者であれば学校では距離を置いたが、後者なのであれば積極的に話しかけて「水川雪菜は口が悪いだけで皆の思っているような冷たい性格ではない」という印象を作ろうと考えていた。余計なお世話なのかもしれないが秋人は困っている人を見捨てられないタチだった。


「その余裕の笑み、ちょっとイラっとする」


 悔しそうに雪菜が秋人を睨む。秋人はそれを平然と無視した。


「本を返すのはいつでも良いから」


 そう言って秋人は自分の席へ戻ろうとする。しかし雪菜も負けっぱなしでは気が済まなかった。


「美味しそうなお弁当だったね、自分で作ったんでしょ。料理上手ですごいね」


 秋人の足が止まる。


「……聞いてたの?」


「聞こえたの。ぜひ私にも料理を教えて欲しいわ、料理上手の秋月君」


 今度は秋人がしてやられる番だった。



   ◆◇◆



 そんな二人の様子を面白くなさそうに見ている者が一人いた。


「いつの間に秋人と水川さん、仲良くなったの?」


 そうポツリとつぶやいたのは、さっきまで秋人と話をしていた莉緒だった。


「なんか最近あの二人話すようになったよね、なんでだろ?」


「きっかけは分かんないけど最近仲良くなったって聞いたぜ」


 香澄の質問に健史が答える。健史は秋人の隣の席のため、他の三人より秋人と話す機会が多い。以前雪菜の件を聞いたことがあった。


「へぇ~そうなんだ。てか水川さんって意外と普通に話せるんだね。もっと突き放した態度取るかと思ってた。本当はそんなに冷たい性格じゃないのかもね」


 秋人が狙った通り、徐々にではあるが雪菜に対するクラスの目は変わりつつあった。


「でもこうしてみると美男美女同士、絵になるよなぁ。二人が付き合ったら世紀のカップル誕生って感じじゃね?」


 悟がそうつぶやくと、健史と香澄が慌てて悟の口をふさごうとする。三人が莉緒を見ると、殺気立っていた。


「面白くない」


 思わず莉緒の口から本音がこぼれる。もう周りにはバレバレであったが、莉緒は秋人のことが高校に入学してしばらく経った頃からずっと好きだった。きっかけは些細ささいなことだったが、身近で秋人を追っていた莉緒からすれば、ポッと出の雪菜に横取りされたようで気に食わなかった。


「(私が最初に好きだったのに)」


 そんな思いが莉緒の心の中に渦巻いていた。

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