第十一話(後編)

◆◆◆


「あー、やっときたー。遅いよー、真山くん」

 恭二が保健室に飛び込むと、既にゆかりは柚月と向かい合っていた。奥のソファセット――以前に柚月が居眠りをしていたところだ――に座って、すっかり話し込む態勢である。

「真山くん? どうして、あなたまでここに?」

「いや、どうしてって……」

 なんと説明しようか迷っていると、ゆかりがソファ越しに振り返って、ちょいちょい、と恭二を手招き。そして柚月に見えないよう、『しー』と指を立てる。

「あのね、あのね。作戦なんだよ。いきなり聞いちゃっても良くないから、まずは私が、先輩に恋愛相談に乗ってもらおうと思って。あとは私が、さりげなく話題を誘導するから!」

 むん! と、自信満々に胸を張るゆかり。その顔はとっても柚月に似ていた。つまり、不安しかない。

(いや、でも、そのほうがいいのか……。あんなこと聞かれたら、そっちのほうが困るし)

 思ったより、まずい事態にはならずに済みそうだ。

 恭二はホッと息を吐く……ものの、だからって、このままゆかりを放置もできない。

「あの……俺も同席していいですか?」

「え? ど、どうして真山くんが……? え、三池さんの相談……ですよね?」

「いや、その。トラ……三池の彼氏に頼まれて」

「ああ。……そういえば、お友達の彼女さんなんでしったっけ。三池さんがいいなら、私は構いませんよ」

「いいよ~。早く早く、真山くんも座ってー」

 ……と言われても。

 向かい合って座る柚月とゆかりの真ん中で、恭二は一瞬、迷う。

 いや、悩むまでもなく、自分はゆかりの付き添いなのだから、ゆかりの隣に座るのが自然なのだが……なんだろう、この気まずさは。若干首を捻りながらも、恭二はゆかりの横に、

「違うよ? 真山くんはあっち」

 にっこり笑顔で、ゆかりの指が向かい……つまりは、柚月の隣を指差す。

 何故に、という気持ちで、柚月と目を見合わせる恭二。柚月も微妙に困惑したような顔をしている。

「ま、まあ……三池さんがそう言うのですし。ど、どうぞ?」

「あ、はい……どうも」

 結果、柚月と恭二が隣同士、向かいにゆかりが座る形となった。一体これから何が始まるのだろう。

「ええと……そうですね。じゃあ、まずはお二人のお話を聞かせていただきましょうか。お付き合いはいつ頃から?」

「えっと……中学校の、二年生から。トラくんがね、『ずっとミケと一緒にいたい』って」

「あら。それではもう、一年以上になるんですね。仲が良いようで、とても羨ましいです」

 えへへ、と、ゆかりは愛らしくほっぺを染める。柚月もうふふ、と笑う。思いがけず友人の告白台詞を聞いてしまい、恭二は心の中で寅彦に土下座(だって自分なら絶対に人には知られたくない)。

「でも……確かに、交際して一年以上になるなら、色々と考えることも出てくるのかもしれませんね。もしかして、そろそろ次のステップに進みたいとか、そういう相談でしょうか?」

「わー、先輩すごい! どうしてわかっちゃうんですか!?」

 呑気に目をキラキラさせるゆかりをよそに、恭二は『おいおい』と目を剥く。

『……ちょっと、先輩。大丈夫なんですか? そんなこと言って」

 こそっと、隣の柚月に耳打ち。ゆかりが不審がるかもしれないが、この際仕方ない。


「そんなこととはなんですか。何もおかしなことは言っていませんよ」(小声)

「だって、『次のステップ』とか言い出すから……そんなこと相談されたって答えられないでしょ。先輩」(小声)

「問題ありません。三池さん達はまだ一年生ですよ? 『次』と言っても、精々ファーストキスレベルのはず。それなら問題ありません」(小声)


 相談者を目の前にして、恭二と柚月のひそひそ話は続く。

 そして、そんな有様を見せられれば、いくらゆかりがのほほんとしていても、さすがに疑問を持たないわけもなく……。

「先輩も真山くんも、なんのお話してるのー?」

「いや、こっちの話だ。三池は気にしなくていい」

「わかった! 気にしないね!」

 微塵の疑問も持たず、ゆかりは元気に頷いた。……今さらだけど、この子はちょっと色々緩すぎじゃないだろうか?

「コホン……すみません、三池さん。相談中に……それで、お付き合いしている彼と、もっと関係を深めたい、というお話でしたよね?」

「はい、そうなんです。私とトラくん、まだ最後まではしてなくて」


 ――柚月と、恭二。二人の時間が、同時に凍り付く。


「……あー、俺ちょっと用事思い出したわ。悪いな三池。じゃあこれで」

「待ってください」

 立ち上がりかけた恭二の手を、柚月が『ぐわし』と掴む。そのままの姿勢で、柚月はゆかりに顔を向け、にっこり。

「すみません、三池さん。ちょっと真山くんと話したいことができました。少し待っていていただけますか?」

「あ、はい。わかりましたー」

 ほやー、と頷くゆかりをソファに残し、恭二は柚月に引きずられて保健室を出た。やってきたのは人気のない外廊下。

「どうしよう!?」

 足を止めるなり、柚月は叫んだ。一応、人に聞かれないよう配慮はしつつも。

 ……そして恭二は別のことでもひっそりと焦る。柚月の手は、まだ恭二の手首をしっかりと掴んだままなのだ。

 ほそっこい指に、『ぎゅう』と握り込まれて。すべすべした手のひらの感触が、どうも落ち着かない――。

「いたたたっ!? 痛い! ちょっ、痛いですって! そんなに強く握らな――あー!」

「え、あっ。ご、ごめんなさい」

 ギリギリと、拷問具のように締め上げられていた手首が解放される。微妙に赤くなっているそこをさすりつつ。

「で、でも、どういうことなんですか、真山くん!? 早すぎませんか!? いくら一年以上も付き合っているからって、こういうことはもう少し大人になってからですね……!」

「俺に言われても困りますよ!」

 こっちだってテンパっているというのに。

「うぅ……大人しそうな子だから相談内容も微笑ましい感じだと思ってたのに! 話が違うぅぅぅ……!」

 頭を抱え、柚月はその場にしゃがみ込んでしまった。恭二は為す術もなく、そのつむじを見下ろす。

「あー……もうこの際、しょうがないんじゃないですか。『そういうことはわからない』って正直に言って――」

「…………いえ。よくよく考えたら、慌てるようなことではありませんでした」

「え……? 急にどうしたんですか」

「重要なことに気付いたんです。いいですか? 真山くんもよく考えてみてください。三池さんとその彼氏の方はまだ高校生、それも入学したばかりの一年生なんですよ? 本当に、そこまで関係が進んでいると思いますか?」

「思うか思わないかで言ったらそりゃ思いたくはなかったですけど! でも現にご本人様がそう仰ってますし!」

「そこです。妙だとは思いませんか? 女の子なら普通、この手の話は恥ずかしがってなかなか口にできないはず! まして、あの場には未経験の真山くんもいたわけですし」

「わざわざ『未経験の』を付け足す必要性がどこに?」

「とにかく、以上を踏まえての結論は一つです! 三池さんは『最後までしていない』と言っただけ! 実際は、初デートとかファーストキッスだとか、そのレベルの微笑ましい話をしていたに過ぎないんですよ!」

「な、なるほど……」

 言われてみれば、一理あるかもしれない

 改めて、ゆかりのぽえぽえとした笑い顔を思い返す。女子と言うより、むしろマスコット感溢れるその雰囲気。あんなゆるキャラめいた子が実は色々経験済みだなんて、確かに信じがたい。ラブコメのギャップ萌え設定ではないのだからして。

「となれば、最早恐るるに足りません! その程度の話であれば私でも十分に対処できます! どんな相談でもばっちり華麗にアドバイスしてみせましょうとも!」

「どっちにしろ、先輩が未経験なことに変わりはないのでは? ……というか、そこまでして無理に相談に乗らなくても。断ればいいじゃないですか」

「そんなことはできません!」

 間髪入れずに、柚月が言い返してくる。

 でも、その顔に浮かんでいた表情は、恭二の予想とは少し違った。

 柚月はひどく、真剣な顔をしていたのだ。気負っている、と言い換えてもいい。『絶対にやり遂げなければ!』という責任と決意が、目の中に燦々と灯っていた。

「だって彼女は、私ならなんとかしてくれるって、そう信じて、私を頼ってくれたんです! 私ならなんとかできるって、そう思ってくれているはずなんです! なら、絶対裏切れません! 絶対!!」

 いつもの見栄とは違う必死さに、恭二は言葉を飲み込む。ここは茶化してはいけない場面だと、この顔を見せられれば誰でもわかるだろう。

「……できそうですか、なんとか」

「………………」

 たらり、と、柚月の額を冷や汗が伝った。顔色がみるみる淀んでいく。

「自信はないんですね……」

「そ、そんにゃことは……! ただ、もう二、三日時間があれば完璧と思うだけで……いえ、でも、やってみせますとも! 大丈夫です! 仮に限界を迎えたとしても、私の経験上、『これ以上はまだ話すべき時ではありません』と思わせぶりに微笑んでおけば大抵乗り切れます!」

「誤魔化した経験だけは豊富にあるんですね」

 ふんぬふぬぬ、と、鼻息だけは勇ましく、柚月が保健室に戻っていく。

 ピシッと伸びた、その背中を見つめ。恭二はため息と共に、ポケットのスマホを取り出した。




「……あら?」

 保健室のドアを開けるなり、柚月が立ち止まる。

 中にいたのはゆかり……と、寅彦だった。見知らぬ男子の出現に、柚月は一瞬戸惑った顔をする。

「先輩。こいつです、三池の彼氏」

「ども。青柳っす。ミケと真山が世話んなってます」

 『なんで俺もだよ』と思う恭二をよそに、柚月は「ああ」と納得した様子で頷いた。すぐに、たおやかな微笑がその頬に浮かぶ。

「初めまして。二年の白瀬柚月です。三池さんから、お話は色々伺いましたよ。とても仲がいいようで、何よりです」

「やー。別に普通っすよ、普通。な、ミケ」

「えへー」

 笑いながら、寅彦の手はゆかりの頭を撫でる。ゆかりもゆかりで幸せそう、すっかりされるがままだ。

「それよか、白瀬先輩。ミケがなんか迷惑掛けたみたいで、すんません。こいつは俺が連れて帰るんで」

「えー。お話聞いてもらってただけだよぉ」

「膨れんなって。白瀬先輩は優等生なんだから、忙しいんだよ色々と。俺らのノロケ話に付き合わせんじゃねーの」

 その時、寅彦の視線がさりげなく恭二へ。

 恭二が軽く頭を下げると、寅彦は『気にすんな』というように笑った。

 保健室に戻る途中、恭二はスマホで寅彦に連絡。『ゆかりを回収しに来てくれ』と頼んでいたのだ。柚月に気付かれないよう、こっそりと。

「あー、ほら。三池もさ。話したいことがあるなら、別の日に改めて、とかにしたらどうだ。今日はいきなりだったけど、事前に約束しとけば先輩も困らないだろうし」

 ――柚月が。何かに気付いたように、こちらを振り返る。

 しかし、恭二はその視線に気付かないフリをした。

「そっかぁ。それもそうかも。ごめんなさい、白瀬先輩。また今度、遊びに来てもいいですか?」

「え? ええ、もちろん……構いませんよ」

「やったー! あ、じゃあじゃあ、連絡先、教えてください!」

 いそいそ、スマホを取り出すゆかり。

 「先行ってるぞー」と出て行く寅彦に続いて、恭二もさりげなく保健室を出る。これでひとまず、柚月に追及されずには済むだろう。

(てか……俺の悩みはなんも解決してねえじゃん)

 いや、まあ、悩みというほど大それたことでもないけれど。ほんのちょっぴり、気になっているだけだけれども。

 思わずため息つきそうになったところで、「そういや」と、先を歩いていた寅彦がこっちを振り返る。

「悪かったな、真山。ミケのヤツ、なんか変なこと言ってなかったか?」

「あー……」

 寅彦の顔を、じっと見つめた。脳裏を過る、『まだ最後までしてない』というワード。

「………………いや。別に。大したことは。なんにも」

「そうか? ならいいんだけど」



 真偽を確かめる度胸は、とてもなかった。

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