第六話(後編)
◆◆◆
――どういうことか説明して。
そう請う陽菜に連れられて、恭二は手近にあったファミレスに入店した。運良く開いていた隅のボックス席。向かいの席には当然のように柚月も座っている……話がややこしくなるから来なくて良かったのに。
「……結局、二人は付き合ってるの?」
ドリンクバーのココアをスプーンでかき回しつつ、陽菜が問うてくる。じとーっとした眼差しは、向かいの柚月に注がれていた。
「だから違うって――」
「そうですね。真山くんにも兄としての体面があると思いますし、私からはなんとも……ご想像にお任せします」
「先輩。俺がちゃんと説明するんで、余計なこと言うのやめてもらっていいですか」
「あら? 私は何も、嘘は言っていませんよ?」
『なお悪いわ』というツッコミが、喉まで出かかる。
当然、誤解しか生まない発言は火に油を注ぎ、陽菜の眉間に猛烈な縦皺が刻まれる。
結構がっつり睨まれて、しかし柚月に気にした様子はない。どころかむしろ満足げですらあった。つやつやと上気した頬に、『中学生にヤキモチを焼かれても一切動じない私!! オトナ!! ドヤァ!!』という思惑が透けまくっている。
……ふと思った。難しい顔で黙り込んでいる陽菜と、無駄に格好付けた仕草でドリンクバーの紅茶を飲んでいる柚月。端から見たら、どっちのほうが中学生に見えるんだろうな、と。
すると、陽菜が突然、
「それってお兄ちゃ――兄のこと、好きってことですか」
優雅に紅茶しばいていた柚月が、途端にゲッホンゲッホンと咳き込む。体をくの字に折り、脇腹の辺りを押さえて、まるでボディーブローか何か食らった人みたいだった。
とか言ってる恭二にとっても、今の妹の発言は腹に拳を叩き込まれるに等しい。全く同じリアクションで噎せる自分と柚月は、他の客や店員さんにどう見えているのか。
「い、いえ、あの……」
「誤魔化さないで答えてください」
「そ、そういうことは……ね? 言わぬが花と言いますか……ご想像にお任せを……」
「はっきり言えないような人に、兄は任せられません。その程度の気持ちならお兄ちゃ――兄に付きまとうのはやめてください!」
未だにむせ返りながら、恭二は心の中で悲鳴を上げそうになる。そうじゃないと再三言っているのに、この妹は何を勘違いしているのか。……いや、十中八九、柚月の余計な言動のせいだとは思うけれども。
そして、当の柚月は今さら引っ込みもつかないのか、反論もできずに口をあうあうさせていた。見開いた目の中、黒目の中央がぐるんぐるん渦を巻いて見える。顔色は言うまでもない。
しょうがないな本当に……と、恭二は一つ、ため息。
それから、
「陽菜」
今にもテーブルから身を乗り出さんばかりの妹、その頭にぽん、と手を置く。毛を逆立てた猫のようだった陽菜は、途端、我に返ったような顔でこっちを見た。
「あのな、陽菜。何度も言ってるだろ、誤解だって。この人とはそういうんじゃない」
「で、でも、この人はなんかありそうなこと言って……!」
「だから、それは単にからかわれたんだって。……お世話になってるんだよ、本当。感謝もして、るし……だから、その。付きまとわれてるとか、嫌々一緒にいるとか、そういうんじゃない」
陽菜と向き合っているから、柚月の顔は見えない。
けれど、彼女がじっとこっちを見ている気がして、恭二はにわかに照れくさくなる。でも、口にした言葉を、引っ込める気はなかった。
しばらくして、俯いていた陽菜が顔を上げる。そして、ぺこりと柚月に頭を下げた。
「そういう、ことなら……あの、ごめんなさい。冗談真に受けて、怒ったりして」
「あ、い、いえ! そんな、私のほうこそ、大人げなくて……! あの、大丈夫ですよ? 私とお兄さんは、本当に、なんでもありませんから。ちょっとからかってみたくて……ああ、いえ、あなたのことじゃなくてお兄さんを、なんですけど! ええと、あの……とにかく、ごめんなさい……」
有り余る罪悪感に、『しゅん……』と肩を縮める柚月。そんな顔をされると、陽菜も陽菜でどうしたらいいかわからなかったのか、「あ、いえ……」と言ったきり、会話が途絶えてしまう。
「……ちょっとドリンクバー、行ってくる」
気まずい空気に耐えられなかったのか、陽菜は席を立った。ついていこうか、と尋ねるも、「いい」の一言であっさり置いて行かれる。
「……ごめんなさい、本当に。私、ちょっと、調子に乗りすぎて……」
声は、向かいから。
柚月はすっかり意気消沈して、テーブルに額が着くほどに項垂れている。放っておいたらそのまま、地球の裏まで沈み込んでいきそうだ。
……まあ確かに、大人げなかったのは事実だし。文句を言いたい部分も、猛省を促したい気持ちもあるが。
「さっきも言ったけど。陽菜は、人見知りするほうなんです」
「……え?」
柚月が顔を上げて、きょとんとこちらを見る。恭二が急に何を言い出したか、よくわからなかったのだろう。
「今日は、よくしゃべってたけど。普段は、親戚相手にも、ろくに口きけないんですよ。そのせいか友達もいないみたいで……ずっと心配してたんです」
「そ、そうなんですね……。それは、あの、ひどいことを言ってしまってますます申し訳ないというか……」
「……だから、今日、先輩と会えて良かったと思ってます」
『はえ?』と、柚月が今度こそ、驚きに目を丸くする。
「え? え、あの? そ、それは、どういう……」
「いや、ほら。先輩が相手だと、あいつ、普通に話せるみたいだし。まあ、さっきのは仲良く……って感じじゃなかったですけど。でも、いい傾向かな、とは思うんですよ。一回本音ぶつけたら、後はもう取り繕ったりしなくていいだろうし」
何かに思い至ったように、柚月が瞬きをする。
彼女は、恭二の意図を汲んでくれたようだった。ちょっと下を向き、考えて、
「……ま、真山くんは」
「はい」
「真山くんは……それでいいんですか? その……私が、妹さんと仲良くしても」
「当たり前じゃないですか」
むしろ……ちょっと、感謝しているぐらいなのだ。
陽菜の人見知りを、恭二はずっと心配していた。けれど、まさか陽菜の中学に乗り込んでいって、クラスメイトとの仲を取り持って……なんてことはとてもできない。自分の知り合いを頼ろうにも、恭二には女子の知人なんてほとんどいない。まして、こんなことを相談できる相手ともなれば。
「先輩が、力になってくれたら。俺もその……助かります」
かぁ、と、血の色を透かして、柚月の頬が赤らむ。
「……し、仕方ありませんね。真山くんがそこまで頼むのなら、いいでしょう。私は、先輩で、オトナですからね。それに、陽菜さんには迷惑も掛けてしまいましたし……責任を取るのはオトナとして当然! なんでも力になりますよ! ええ、なんでも!」
コホンと咳払い、胸を反らして。いつもなら危なっかしいばかりのドヤ顔が、今は少し、頼もしく見えないこともない。
「そういえば、陽菜さん、遅いですね……。私が見に行ってきましょう」
「いや、だったら俺が――」
「いいえ。ひとまず、私に行かせてください。陽菜さんが嫌がるようなら戻ってきますから。……人見知りを克服してほしいんでしょう? だったら、お兄ちゃんも少しは我慢してください?」
からかうように言う顔は、お馴染みのドヤ顔とは違って、驚くほど『大人』に見えた。
思わず、ちょっとドキッとしてしまった恭二には気付かず、柚月は『すたたー!』とドリンクバーへ向かった。跳ねるような足取り。せっかく大人っぽく決めたのだから、最後まで貫けばいいのに。
遠目に見守る柚月と陽菜は。とりあえず、上手くやっているように見えた。
◆◆◆
「あの、さ……。今日、余計なこと言ってごめん……」
陽菜がそう言い出したのは、柚月と別れ、自宅の最寄り駅に戻ってきてからだった。
並んで、家へと向かいながら。横を歩く陽菜の足取りが鈍くなっているのを察して、恭二は立ち止まった。陽菜も、それを待っていたように足を止める。
そろり、とこちらを見上げる目は不安そうで。
随分、久しぶりの気がした。妹のこんな顔を見るのは。
「怒ってる……?」
「アホ」
いっちょ前に染めてある髪を、ぐっしゃぐっしゃ引っかき回す。陽菜のちっちゃな頭が前後に揺れるぐらい、大袈裟に。転びそうにでもなったのか、陽菜は「ちょわっ!?」とかいう珍奇な悲鳴を上げて、恭二に縋り付いてきた。
「ちょ、もー! 何、いきなり!」
「何、気にしてんだよ。ちゃんと謝ってただろ、お前。これでまだ怒ってたら俺に問題あるっての」
「それは、そうかもだけど……でもなんか、兄貴、いつもと違ったじゃん。だから……あの人は、特別なのかなって」
「だから、違うって」
反射的に否定したものの。何故か、『そうか?』という自問が、頭を掠めた。
あの時、陽菜を止めたのは、それが兄として、後輩として当然の反応だと思ったからだ。人としての常識、みたいなもの。
でも。本当は、恭二自身も自覚している。あの時の自分の声に、言葉に、必要以上に熱が入っていたこと。
それは、陽菜がどうとかではなく、単純に、柚月が困っていたからで――。
「……あの人のこと好きなの?」
「お前、今日ずっとそれな」
何度も言うように、そういうのではない……と思う。
けれど、『だったらどんな関係?』と聞かれても、上手く答えられる自信はなかった。ただの先輩と後輩というには、ややこしい間柄になってしまっていると思う。
(本当……なんなんだろうな)
懲りずに絡んでくる柚月と、そして、それを面倒がりながらも、本気で拒絶しようとは思っていない自分と。両方に対して、そう思った。
――しかし。そこそこ深い思索も、口に出さない限り、妹にはさっぱり伝わりはしないのだった。まだ勘違いしている顔で、陽菜は言う。今度はちょっと楽しそうに。
「悪い人じゃなさそうだし……まあ、応援したげてもいいけど」
「だから、違うって」
「そ、そんかわりさ……彼女ができても、さ」
恭二をからかうようだった声のトーンが、不意に沈んだ。俯いた顔は、その先を口にしない。
だから、恭二は手を伸ばして、その頭をぐしゃぐしゃと撫で回した。
「わっ……ちょ、何。いきなり……」
「あのな。何度も言ってるけど、あの人はそういうんじゃない」
それに。
「……仮にこの先、彼女ができることがあったとしても。別に、それで兄妹やめるわけじゃないし。今日みたいな買い物ぐらい、いつでも付き合ってやるよ」
怪訝そうにこっちを見上げていた目が、ぱちくり、と見開かれる。
「そ、そんなこと言ってないじゃん」
唇をとがらせ、そっぽを向いて。拗ねたようにそんなことを言う妹の横顔が、夕日に赤く染まる。
二人で歩く、駅からの帰り道。さすがにもう、手を繋ぐようなことはしないけれども、辺りに見える景色は子供の頃から変わっていない。
だからきっと、この先も、変わることはないのだろうと思った。
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