三章 妹、同級生、そして引き続き先輩
第六話(前編)
日曜日。晴れ。
とはいえ、別に出掛ける用事もない恭二である。普段通りに自室でスマホをいじる、生産性に乏しい休日……を、今日も過ごすと思っていたのだが。
「兄貴。ちょっと」
出し抜けに、ドアが開く。というか開けられる。ノックもなしに入ってきたのは、妹の
二つ年下の陽菜は、現在中学二年生。オタク丸出しの恭二とは違い、染めた前髪といい服装の趣味といい、見た目の印象は派手でイマドキ。身内のひいき目を抜きにしても、人目を引く容姿をしていると思う。
ただ、その外見に反して、性格は人見知り……というより、内弁慶のきらいがあった。おかげで子供の頃から友達も少なく、兄である恭二に四六時中べったりだったのだ。
そして、それは今でも、あまり変わっていなかったりする。
「お前な。部屋入るときはノックしろって言ってるだろ」
「いいじゃん、別に。なんか見られて困ることでもしてたワケ?」
生意気、を絵に描いたような台詞が、陽菜の口から発せられる。
これも思春期というヤツか、中二の半ばくらいから、陽菜は恭二に対して、露骨に雑な態度を取るようになったのだ。一体誰の影響なのか、呼び方まで『兄貴』になっている。昔は『にーたん』とか呼んでくれていたのに。恭二は別にシスコンじゃないけれど、可愛がっていた妹の変わり果てた姿を見るのはやはり悲しい。
「……で? どした? 出掛ける格好してっけど、どっか行くのか?」
陽菜の服装は、どう見ても部屋で寛ぐという感じじゃない。
尋ねると、陽菜は仏頂面を崩さないまま、口元をもごつかせる。
「用……っていうか。兄貴、今日は調子、どうかなって」
「なんともないよ。これでも、中学の頃よりだいぶマシになってんだって」
「ん……なら、さ」
明らかに、なんか言いたそうなのだが、肝心のその先はいくら待っても出てこなかった。
むっすりと押し黙ってこっちを睨む姿は、傍目には怒っているようにも見える。
けれど、そこは兄妹。こういう時の妹が何を訴えたいのかは、言われなくても大体予想がつく。
「わかった。支度するからちょっと待ってな」
ぴく、と陽菜の肩が揺れる。顰められていた顔があっという間に明るくなって……『ハッ』と、慌てたようにまた仏頂面に。
「し、支度って何」
「一緒に来てほしいんだろ。どこ行くのか知んないけど、まあ、暇だし付き合ってやるよ」
「そ、そんなこと……言ってないじゃん」
と言いつつ、陽菜の口元はわかりやすく緩んでいる。そわそわ、と体を揺らす仕草は、どこか子犬感があった。
……思春期になっても、呼び方が変わっても。こういうところは昔のままだ。だから恭二も、ついつい甘やかしてしまう。別にシスコンなんかじゃないけれども、これはもうしょうがない。
「てか……体調、いいの」
「ダメだったら言うっての。信用しろ」
わしわしと、意識して乱暴に、雛の頭を掻き回す。
陽菜も、それ以上はもう言わなかった。気を遣いすぎればかえって負担になると、この妹はわかってくれている。
「だ、だったら、早くしようよ。もうお昼になっちゃうし」
「急かすなよ。支度するっつってんだろ」
「早くしてよね。……って、何その服、ダッサ。信じらんない。もー、ちょっと貸してよ。選んであげるから」
着ようとしてた上着を横から取り上げて(というか捨てて)、陽菜は勝手にタンスを漁り始めた。
しかしその横顔はやはり、ちっとも嬉しさを隠せていないのだった。こっちに向けられた妹の尻に、恭二は犬の尻尾の幻を見る。
(こういうとこ人前でも出せれば、友達もできるんだろうけどな……)
陽菜が学校でどう過ごしているかは知らないけれど、恭二が知る限り、陽菜が休みや放課後に、友達と出歩いている様子はない。中学三年間ずーっとだ。自分も似たようなもんとはいえ、兄としてはやはり心配せざるを得ない。
日曜日。晴れ。
どうやら今日は久しぶりに、休日らしい休日になりそうだった。
◆◆◆
妹に連れられてやってきたのは、最寄りのショッピングモールだった。中に本屋もあるので、恭二もたまに利用する。
「で、なに買うんだ?」
「んー……決めてないけど。とりあえず服とか?」
「衝動買いとかすんなよ。無目的の買い物は散在の元だぞ」
「わけわかんないゲームのわけわかんないガチャに、五千円とかつぎ込んでる兄貴に言われたくない」
兄らしく説教とかしてみるものの、秒で返り討ちに遭う。
ひっそり打ちひしがれる恭二を横目に、陽菜はショッピングを満喫しているようだった。何か気になるものがあったのか、店先の服をいくつか、手に取って眺めている。
「ちょっと見てくる。兄貴、ちょっとその辺座って待ってて」
「別にまだ一件目だし。店の中まで付き合うけど」
「いーよ。ここはちょっと覗くだけだし。まだ行きたいとこあるから」
「わかった。じゃあ、あそこにいるから」
通路脇、空いていたベンチを指差す。陽菜は「ん」と頷いて、店の中に消えていった。
この後もできるだけ付き合ってやりたいし、恭二は大人しく体力を温存することにした。ベンチに腰を下ろして、せめてもの暇つぶしに周りを眺める。
立ち止まった服屋の向かいは、ちょうど本屋になっていた。そういえば、ラノベの新刊を買い忘れていたのを思い出す。
帰り際にでも寄らせてもらおう、と、思ったところで。
「みゃ、みゃやまきゅっ……!?」
奇声が聞こえた。ついでに、多量の荷物をドササーッと落とす音も。
何事かと思って辺りを見回した恭二は、そこに不審者を発見する。
顔の半分を隠すごっついサングラス。黒いキャップを目深に被り、カラスマスクで口元まで覆ったその出で立ちは、一言で言えば『ジェネリック暗黒卿』。
でも、何かよほどびっくりすることでもあったのか、そのサングラスは今や完全にずり落ちて、まん丸に見開かれた瞳が露わになっている。愕然とした様子で、恭二を見つめるその顔は。
「……先輩?」
思わず疑問形になってしまった。だって格好が怪しすぎるし。
それとも、これが柚月の私服の趣味だとでもいうのだろうか。この暗黒面リスペクトの黒ずくめが。
柚月(仮)は恭二の声には答えず、ひたすらフリーズしていた。その足下には、向かいの本屋の紙袋が落ちている。さっきの『ドササーッ』は、もしかしなくてもこれだろう。
袋の中身は大量の雑誌のようで、その内の何冊かは、袋を飛び出して辺りに散らばってしまっていた。柚月が一向に動かないので、恭二は代わりに、その雑誌を拾ってやる。
「ハッ……! ま、待って! それは――!」
ようやく再起動した柚月が慌てて止めようとしてくるが、遅い。
既に恭二は見てしまった。散らばる雑誌の一冊。その表紙にデカデカ書かれた、『全部見せます! 男子がときめくマル秘テク!』とかいうアレな見出しを……。
「こ、これは知人に頼まれて! 私が読むわけではなくてっ! この雑誌を参考に今度こそ真山くんをぎゃふんと言わせようとかそういうあれでは!!」
「そうですか……」
必至に言いつのる柚月に、そっと雑誌を渡してやる。知人がどうとかは普通に嘘なんだろうとは思うが、ここでそれを指摘するのは、ちょっと人の心がないと思うのだ。
掛ける言葉が見付からず、恭二は無言。柚月も真っ赤になったまま、一向に立ち去ろうとしない。最早事態を収拾することは誰にも不可能と思われたが。
「……何してんの、兄貴」
いつの間にか、陽菜が戻ってきていた。恭二の袖をくいくい、と引っ張りつつ、ちらっと柚月を見やる。『知り合い?』と、その目が尋ねてきていた。
「あー、えっと、この人は学校の先輩で……」
「……ふーん」
ちろっ、と、半目に柚月を見上げながら。なんだかものすごく意味ありげな『ふーん』が、妹の口から発せられる。
「……初めまして。真山陽菜です。兄がいつもお世話に」
「へえ、真山くんの……」
陽菜の顔を覗き込むように、柚月が軽く身を屈める。
途端、陽菜の人見知りが発動。さっと、恭二の背後に身を隠す。
「すみません。こいつちょっと人見知り激しくて」
「あ。ご、ごめんなさい。こっちこそ、じろじろ見たりして」
そう言って、柚月は仕切り直すように、『にこ』と微笑んだ。
「初めまして、白瀬柚月といいます。ええと、陽菜さん? で、いいかしら? 名字だと、お兄さんと紛らわしいし」
保健室の聖母、と呼ばれるに相応しい、慈愛に満ちた笑み。
普段は知らない人が苦手な陽菜も、この笑顔には少し安心したようだ。ひょこ、と顔半分くらい、恭二の背から顔を出す。
「ま、真山陽菜、です……よろしくお願いします」
「はい。こちらこそ」
内心、『お』と思った。こんな出会ってすぐに、陽菜が自分から、相手に話しかけにいくなんて、滅多にあることじゃない。
「でも、そうですか。妹……ふぅーん」
ちらり、と陽菜から恭二に視線を移して。ふ、と、柚月が笑う。さっき、陽菜に向けた微笑とは明らかに違う表情だ。そしてまたしても、やたらと意味深な『ふぅーん』であった。
「へえ、そうですか~。へぇぇぇ。真山くん、妹さんがいたんですねぇ。もう、言ってくれればいいのに。水くさいじゃないですか」
雑誌を見られた恥も忘れた様子で、柚月は急に生き生きし始める。にんま~、と細められた目が、何やら妙に腹立たしい。
「……なんすか」
「いえ。休みの日に二人で出掛けるなんて、ずいぶん仲がいいんだと思って」
「別に普通でしょ」
シスコンだとでも言いたいのだろうか。だとしたら心外だ。日曜に一緒に出掛けるくらい、どこの家でもやっていると思うし、何も恭二が特別妹に甘いとか可愛がっているとかそういうことではない。いや陽菜は可愛いけれども。
「……普通なんだ」
なんだか陽菜の機嫌が下降した気がする。睨むような視線が向かうのは恭二……ではなく、何故か、柚月のほう。
「もしかして、この人……兄貴の彼女、とか……?」
「違う。んなわけないだろ。むしろ、どうしてそうなった」
「だ、だって……なんか仲よさそうだし。兄貴、今まで女子の知り合いとかいなかったじゃん」
「保健委員なんだよ、この人。保健室行くときとか、たまに世話になってるだけだって」
「――あら、そんな他人行儀な言い方、しなくてもいいじゃないですか。この前はあんなに情熱的に、『付き合ってください』、なんて言ってくれたのに」
クス、と微笑んだ柚月が、平然と爆弾を投下してくる。
『んなっ!?』と慌てて柚月を振り返ると、柚月は見たこともないほど楽しそうな顔で、「にんまぁぁぁぁ」と笑っていた。
――ふふ、どうですか? 私はオトナですから、こういう状況だって慣れていますけど。真山くんには、ちょーっとだけ荷が勝ちすぎるかもしれませんね?
「お、お兄ちゃ――兄貴、い、今のどういうこと!? この人のこと好きなの!? 彼女ってこと!? そ、そんなこと、私には一言も言わなかったじゃん!!」
「ちょっ、やめろ袖が伸びる! てか破ける!!」
ぐいーっ、と服を引っ張られて転びかける恭二を、柚月はニコニコと見つめている。『これが年上の余裕です!!』と言わんばかりの、全開の笑顔だった。
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